かるあ学習帳

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『コップクラフト』第1話を観た感想。~きれいな正義と汚れた正義~

ここ最近20年くらい前のポケモン映画のことばっかり書いているので、たまには今放送されているアニメについて書いてみます。

 
ってなわけで今回は、コップクラフトとかいうアニメについて書きます。異世界ファンタジーとハードボイルドな刑事ものが融合した、なんだか渋いアニメです。
 
コップクラフト』の主人公は、マトバという刑事のオッサンと、異世界からやってきたティラナという少女です。マトバとティラナは、異世界との交流が始まった地球上で発生した事件を捜査します。
 
とりあえず第2話まで観ました。マトバとティラナはこれからすごく仲良くなりそうな予感がしますが、今のところそこまで仲が良くはないです。第1話では、マトバとティラナの「正義」観の違いがさりげなく描かれていて、面白かったな。
 

きれいな正義と汚れた正義

 
マトバは刑事ですが、事件の捜査を進めるためなら、ときには犯罪者と取り引きをします。世間知らずで心がきれいなティラナは、そんなマトバのやり口に納得できません。ティラナは車の中で、マトバに怒ります。
 
ティラナ「理解できない。お前たち警察は、正義の執行者ではないのか?
マトバ「それは…」
ティラナ「私は、地球にも正義の戦士たちがいると聞いていた。万民を助け、悪をくじく者たちがいると。お前たちポリスマンのことだ。少しは期待していたのだ。それが盗人と取り引きなど、信じられない。お前たちに誇りはないのか?」
 
ティラナにとっての正義は、犯罪をするような悪を倒すことみたいですね。ティラナの正義は悪に対抗する正義で、悪を受け付けない正義だと思います。
 
マトバは車の中でタバコを吸っていて、ティラナはタバコの煙にむせます。ティラナは悪を受け付けない心の持ち主だし、ティラナの体は体に悪いタバコの煙を拒絶しているんですね。
 
マトバ「複雑なんだよ
ティラナ「何がだ?」
マトバ「いろいろだ。昔はそれで良かったが、今は…えらく複雑なのさ
ティラナ「私にはわからない」
 
マトバはすれた大人なので、マトバにとっての正義はずいぶん複雑なんですね。仕事で悪を取り締まらないといけないんだけど、そのためにはたまに悪を利用する。マトバの正義はティラナの正義と違って、ときには悪を許す正義だと思います。そんな正義を正義と呼んでいいのかっていうツッコミはありそうですが、こういう形で正義を貫く刑事は現実にもいるでしょうねw
 
第1話で、マトバはタバコをよく吸っていました。マトバの心はときには悪を許すし、マトバの体も体に悪いタバコの煙を受け付けるんですね。
 
まとめると、今のところ、
ティラナの正義は悪を受け付けない、きれいな正義
である一方、
マトバの正義はときには悪を利用する、汚れた正義
といったところですかね。
 
悪いものを受け付けないティラナと、ときには悪いものを受け付けるマトバの違いが、タバコという小道具で上手に表現されていると思いました。
 
公式サイトには「二つの世界 二つの正義 その先にー」と書いてあるので、二人の正義がこれからどうなっていくのか見守っていこうと思います(・∀・)

『結晶塔の帝王』と『社会的ひきこもり』~ひきこもりのメタファー~

今回は、ポケモン映画第3作結晶塔の帝王 ENTEI』(以下『結晶塔の帝王』)を考察します。脚本家の首藤さんのコラムによると、『結晶塔の帝王』にはひきこもり状態の少女の解放」というテーマがあるそうなので、考えてみましょう。

 

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『結晶塔の帝王 ENTEI』
監督:湯山邦彦
(C)ピカチュウプロジェクト2000
2000年7月8日公開
おすすめ度:★★★★★深刻なテーマを優しい筆致で描いた傑作)
 

「物理的な意味のひきこもり」と「精神的な意味のひきこもり」

 

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『結晶塔の帝王』には、ミーという少女が登場します。ミーの父親は行方不明になっており、ミーの母親も(作中では理由が明かされていませんが)ミーのそばにいません。ミーは、両親がいない大きなお屋敷で、孤独な日々を送っています。
 

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正体不明のポケモンアンノーンはミーのお屋敷に侵入し、ミーのお屋敷を「結晶塔」に作り変えます。ミーは結晶塔の中に閉じ込められ、塔の外に出ないひきこもりになります。
 

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さらにアンノーンは不思議な力で伝説のポケモンエンテイを創造します。エンテイはミーが望む父親役になり、ミーの願いを叶えようとします。ミーが母親を欲しがったので、エンテイはサトシのママを洗脳し、誘拐します。こうして、ミーの願いは次々に叶います。
 

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ミーは、「パパとママが帰ってきて、ミーは嬉しいの。このままがいい!誰も入ってこないで!」と宣言します。サトシは洗脳され・誘拐されたママを救出するため、ミーが自閉する結晶塔に潜入します。
 
ミーは、物理的な意味でも精神的な意味でもひきこもりの少女だといえますまず、ミーの体は結晶塔の外に出ないので、ミーは外の世界から物理的に切り離されたひきこもりだといえます。そして、ミーの心はアンノーンエンテイが何でも願いを叶える夢の世界に幻惑されているので、ミーは現実から精神的に切り離されたひきこもりだともいえます。ミーの夢は何でも叶うので、ミーの心はいつまでも夢を見ていられます。
 

「去勢否認」のメカニズム

 
精神科医斎藤環さんが書いた『社会的ひきこもり』という本があります。先月も引用しましたが、この本にはこんなことが書いてありました。
 

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まず「去勢」について簡単に説明しておきます。(中略)精神分析において「ぺニス」は「万能であること」の象徴とされます。しかし子どもは、成長とともに、さまざまな他人との関わりを通じて、「自分が万能ではないこと」を受け入れなければなりません。この「万能であることをあきらめる」ということを、精神分析家は「去勢」と呼ぶのです。*1
 
皆さんは子どものころ、「大人になったらサッカー選手になる!」「将来は博士になりたい!」とか、いろいろな夢を見たことがあるかと思います。しかし、みんな成長するにつれて自分の力量がわかるようになり、無理な夢を見なくなると思います。無理な夢を見なくなるのは寂しいことではありますが、成長の証でもあります。万能であることをあきらめることを「去勢」と呼びますが、ミーは何でも願いが叶う世界にひきこもっているので「去勢」されていません。
 

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 まず問題とされるべきは、子どもたちが学校において「誰もが無限の可能性を秘めている」という幻想を強要されることです。これが問題となるのは、すでに去勢の過程を済ませつつある子どもたちにとって、このような幻想が、あたかも「誘惑」として強いられることです。つまりこれが、去勢の否認です。*2
 
斎藤さんは、子どもたちが学校で「誰もが無限の可能性を秘めている」と教えられ、現実を見ることができなくなっていることを指摘しています。自分にはできないことがあるという現実を見ず、何でもできる夢を見せられている子どもたちは、たとえ学校に通っていても、夢の世界に閉じ込められた「精神的な意味のひきこもり」のような状態であります。
 
こうして考えてみると、ミーの願いを何でも叶えるアンノーンエンテイの力って深いですよね。アンノーンエンテイの力は、子どもに何でもできる幻想を見せる学校教育や現代文明の象徴みたいなものだと私は思っています。「ひきこもりと去勢否認」という深刻なテーマを親子で楽しめるエンタメ映画の形に落とし込んだ首藤さんの脚本は、素晴らしいですね。*3
 

「去勢」をめぐる冒険

 
『結晶塔の帝王』は、何でも願いが叶う夢の世界にひきこもるミーが、現実の世界へと脱出する物語です。精神分析用語を借りて言えば、万能感があって「去勢」されていないミーが、「去勢」されるまでの過程を描いた成長物語だといえます。
 
私は先月、このブログで『ミュウツーの逆襲』を考察し、今回と同じように『社会的ひきこもり』についても書きました。ミュウツーの逆襲』では、ミュウツーは「去勢」されていない万能の存在として描かれ、ニャースは「去勢」された大人として描かれていました。『結晶塔の帝王』のミーは、ミュウツーのように「去勢」されていない状態からニャースのように「去勢」された状態に移り変わる少女です。
 

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(C)ピカチュウプロジェクト98
『結晶塔の帝王』は「ひきこもり」という問題をあからさまに扱った作品ですが、ひきこもりについて考える足場は『ミュウツーの逆襲』の段階ですでにある程度できあがっていたのではないかと私は考えています。

*1:斎藤環『社会的ひきこもり』、PHP新書、一九九八、二〇六頁。

*2:同上、二〇七頁。

*3:念のため補足しておきますが、「去勢否認」というテーマは、私=甘井カルアが首藤さんのコラムと『社会的ひきこもり』の内容から推論して導き出したものです。首藤さんが「去勢」という術語をご存知なのか、そもそも精神分析にお詳しい方なのかは、私には不明です。

「ポケモン映画幻の第3作」VS『のび太の恐竜』~恐竜の化石が世界にもたらすもの~

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皆さんは、ポケモン映画幻の第3作」を知っていますか?

 
映画館で公開された第3作目のポケモン映画は『結晶塔の帝王 ENTEI』ですが、実は『結晶塔の帝王 ENTEI』の企画が通る前に、ボツになったシナリオが1つあったのです。今回はそのボツになった「ポケモン映画幻の第3作」のシナリオを批評します。
 

ポケモン映画幻の第3作」のあらすじ

 
ポケモン映画幻の第3作」のシナリオの簡潔なあらすじがWikipediaに載っていたので、引用します。
 
実は本作(注:『結晶塔の帝王 ENTEI』のことです)以前に首藤が半年をかけて作ったプロット、もう一つの劇場版ポケットモンスター第3作の存在があった。それは劇場版第1作の「自己存在」、第2作の「共存」に続く「自分の生きている世界は何なのか?」というものである。
 
劇場版第1作『ミュウツーの逆襲』では、ミュウツーの思索を通じて「自分の存在」というテーマが扱われました。第2作『幻のポケモン ルギア爆誕』では、伝説の鳥ポケモン同士の相互作用を通じてそれぞれの自己存在の共存」というテーマが描かれました。

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そして、「ポケモン映画幻の第3作」のテーマは自分の生きている世界」です。第1作から第3作に進むにつれて、話のスケールがどんどん大きくなっていますね。『ルギア爆誕ではそれぞれの自己存在が共存することによって成り立つ世界が描かれましたが、「幻の第3作」はその世界全体の意味を考える内容になっているみたいですね。これは大きく出ましたね。

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物語は、人間とポケモン以外の動物がいないはずのアニメポケモンの世界でティラノサウルスの化石が発見されるという事件から始まる。この発見にポケモン学会は大騒ぎになり、やがて学者達は自分達の住む世界に何か秘密があるのではと疑問を抱き始める。しかし例のティラノサウルスの化石に意思が宿り、動き始め暴走してしまう。
 
アニメ版ポケモンには、人間とポケモン以外の動物が登場しません。ピカチュウはねずみポケモンですが、ピカチュウのモチーフになっているネズミという動物は作中に姿を現しません。ティラノサウルスがモチーフになっているガチゴラスというポケモンは存在しますが、ティラノサウルスという恐竜は作中に姿を現しません。
 
ポケモン映画幻の第3作」では、そんなアニメ版ポケモンの世界でティラノサウルスの化石が暴走します。「幻の第3作」のシナリオは「人間とポケモン以外の動物は出さない」というルールを破っていますし、ティラノサウルスの化石を暴走させてポケモンの世界観をぶっ壊しているようにも思えますね。ずいぶん滅茶苦茶というか、攻めすぎな脚本だなあと思います。
 

ポケモン映画幻の第3作」の挫折

 
脚本家の首藤さんのコラムによると、「ポケモン映画幻の第3作」のシナリオは無機質なものに意識が宿り動きだすストーリーはヒットしない」という(ちょっと意外な)理由でボツになったそうです。昔『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』の映画で「意識が宿ったミニ四駆が暴走する」というネタをやってウケなかったことが、おエラいさんの間でトラウマになっていたらしい(笑)。
 

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特別番組「ポケットモンスターの平成史」より
こうして「幻の第3作」のシナリオはお蔵入りになりました。そして今年の初め、アニメ版ポケモンの舞台が「地球とは別の惑星」であることが明かされたので、今後アニメ版ポケモンに人間とポケモン以外の地球上の動物が出現する可能性は絶望的に低そうです。
 
かりに「幻の第3作」のシナリオが採用されたとしても、映画はヒットしなかっただろうなあと思います。ポケモンの世界に場違いなティラノサウルスの化石が現れたら観客は困惑するでしょうし、ティラノサウルスの化石がポケモンの世界観をぶっ壊しているのを観てもいい気分はしないでしょうから。
 

恐竜の化石が世界にもたらすもの

 
ついでにいい機会なので、ドラえもんについても触れさせていただきます。
 
ポケモン映画では恐竜の化石を登場させることができなかった一方、映画ドラえもん第1作『のび太の恐竜』では恐竜の化石が登場し、ポケモン映画では通りそうにないネタが続々披露されていたことは印象的です。
 

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(C)藤子プロ・小学館テレビ朝日 1980
のび太の恐竜』は、スネ夫ティラノサウルスの化石をのび太たちに自慢するところから始まります。ポケモン映画幻の第3作」ではボツになった「ティラノサウルスの化石が発見されるところから始まる」というのに近いネタから、ドラえもんの映画は始まっています。
 

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(C)藤子プロ・小学館テレビ朝日 1980
また、「ポケモン映画幻の第3作」では同じくボツになった「恐竜の化石に意思が宿る」というのに近いネタも、『のび太の恐竜』では披露されています。のび太が発掘した恐竜の卵の化石がドラえもんひみつ道具で復元され、卵からフタバスズキリュウのピー助が誕生します。
 
アニメ版ポケモンの世界は広大で、多様な人間やポケモンが住んでいますが、
「人間とポケモン以外の動物は出さない(出せない)」
という厳しい制約があります。
一方、ドラえもんの世界には恐竜が出てもいいし、宇宙人や魔法使いなどが出てもいいので、
「おおざっぱに言うとなんでもあり」
です。