久し振りにエヴァンゲリオン旧劇場版「Air/まごころを、
脚本:庵野秀明
(C)GAINAX/EVA製作委員会
1997年7月19日公開
スクリーンの夢、客席の現実
エヴァ旧劇場版の終盤には、実写の映像が垂れ流される「 実写パート」があります。アニメ映画に「虚構の外の現実」 を取り入れる手法は、当時衝撃的だったことでしょう。 さらにこの「実写パート」では、シンジとレイが「夢と現実」 に関する印象的な会話をします。
レイ「都合のいい作り事で、現実の復讐をしていたのね」シンジ「いけないのか?」レイ「虚構に逃げて、真実をごまかしていたのね」シンジ「僕一人の夢を見ちゃいけないのか?」レイ「それは夢じゃない。ただの現実の埋め合わせよ」
シンジは「逃げちゃダメだ」が口グセで、 現実から逃避しようとしてきた主人公です。 そんなシンジに対して、 レイは現実的な立場からものを言っています。 そして映像が切り替わり、 席に座って映画を観ている観客が映し出されます。
シンジ「じゃあ、僕の夢はどこ?」レイ「それは、現実の続き」
誰も観客がいなくなった映画館の客席が映し出されて、「 夢は現実の続きである」とレイは言っています。観客や映画館は「 現実」に存在していて、「現実」 に存在する映画館のスクリーンに映し出された「夢」が『 エヴァンゲリオン』というアニメである。 実在する映画館に取り付けられたスクリーンに虚構のアニメが映し 出されるのと同じように、 夢は現実から切り離されずに繋がっている。 大体そんなことをレイは言いたいのだと(私は)思いました。
シンジ「僕の、現実はどこ?」レイ「それは、夢の終わりよ」
レイは、「現実は夢の終わりである」と言っています。その後、 ネット上に書かれたエヴァの制作スタッフに対する意見( ほとんどが悪口や暴言) やガイナックスのスタジオに書かれた悪意ある落書きが映し出され ます。アニメという「夢」が終わったら、 こんな嫌なことをする人たちがいっぱいいる「現実」 に帰らないといけないんだよ… という嫌すぎるメッセージを感じました。
「実写パート」に出てくる悪口や暴言は、 実際に届いた意見を元にスタッフが作成したものらしいです。 中には、「スタジオに火をつけに行ってやる」 という暴言もありました。先月、 京アニが放火される痛ましい事件がありましたが、 90年代後半のガイナックスも凄まじい悪意に晒されていたんだな あと思います。 今は昔と比べてオタク文化に対する世間の態度はだいぶ変わったと 思いますが、 現実世界には相変わらず嫌な人がたくさんいるなあと思いますね( 激怒)
旧劇場版のラストで、シンジはアスカに「気持ち悪い」 と言われて終了です。 現実そのもののように複雑な結末を見せられた観客は、 アニメという「夢」 が終わった後の現実世界に引き戻されるのでした。
ほんとうに現実はいやなものかしら
エヴァ旧劇場版では、 現実世界には悪意に満ちた嫌な人や嫌な出来事が存在するというこ とが示されていました。また、 他人に拒絶されるので自分の思い通りにいかず、 人と人とが傷つけ合う現実も表現されていると思います。エヴァ旧劇場版にはいろいろな解釈がありますが、 エヴァ旧劇場版が現実を厳しいものとして表現しているということはおそらく間違 いないし、 現実にはそういう嫌な側面があるということはまぎれもない真実 だと思います。
ただ、「エヴァ旧劇場版は現実を悪く描きすぎなんじゃないか?」 という疑問は正直ありますね。現実世界には、 いい人やいいこともそれなりに存在すると思います。たぶん、 エヴァ旧劇場版を制作していたころの庵野さんは精神的に追い詰め られていて、 現実の嫌さにうんざりしていたんじゃないかなwポケモン映画第3 作『結晶塔の帝王』では、 そこらへんのフォローがしっかりしていたと思います。
『結晶塔の帝王』は、夢の世界にひきこもる少女・ミーが、 現実の世界に戻るまでの過程を描いた物語でした。『 結晶塔の帝王』は、エヴァ旧劇場版と同じように、「 現実に帰れ」というメッセージがある映画だと思います。 夢の世界にひきこもるミーに対してタケシが言ったセリフが、 私は好きです。
(C)ピカチュウプロジェクト2000
サトシ「出ようぜ、外に」カスミ「外に出るとケンカもすれば、」タケシ「仲間もできる。いっぱいね」
庵野さんのように精神的に追い詰められたり、 京アニ放火事件のように凶悪な出来事が発生したりすると、 現実の嫌な側面に目がいきがちです。しかし、 そんなときこそ絶望や悪意に屈服してはならないと思います。 タケシが言う通り、現実には仲間もいっぱいいるはずです。 現実にはきっといい人やいいこともあるという希望が、 私たちをひきこもりたい誘惑から遠ざけていると思うのです。
エヴァ旧劇場版の考察は、次回も続く予定です。
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