かるあ学習帳

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『終ノ空』琴美END考察~終わりなき日常を生きろ~

今回は『終ノ空』の琴美ENDを考察する。音無彩名に関する情報が出揃っていないため、少し締まりの無い考察になった事をお許し下さい。
 

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終ノ空
シナリオ:SCA-自
原画:SCA-自、基4%、にのみー隊長
1999年8月27日発売
 

音無彩名ちゃんの消失

 
行人は、気が付くと学校の校門の前に立っていた。世界が終わると卓司が予言した7月20日が過ぎた後も、相変わらず日常世界が続いているように思えた。教室には、音無彩名の姿が見えた。行人と彩名は、人気の無い教室で言葉を交わす。
 

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彩名「ゆきとくん」
彩名「たぶん
彩名「わたし、ゆきとくんが好きだったんだと思う
行人「はぁ?」
彩名「世界を祝福できるゆきとくんを」
彩名「自らの生を祝福できるゆきとくんを…」
行人「祝福?」
彩名「たぶん、卓司くんも…」
行人「なんだよ、それ?」
彩名「だって、ゆきとくんは愛しているんだもん
行人「何を?」
彩名「世界を
彩名「だから、ここで、見つめていられる
 
理性の限界を超えて突き進んだ卓司とは違って、行人は理性の限界で立ち止まった。卓司が言う通り、この世界は間違いだらけなのかもしれない。しかし行人は立ち止まり、間違いだらけのこの世界を観測し続ける。なぜなら、なんやかんやで行人はこの世界を愛しているからだ。そんな行人が彩名は好きだったし、卓司も好きだった。
 

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行人「いいや」
行人「生きなくともいい」
行人「ただ
行人「見つめる事だ
卓司「見つめる?」
行人「そうだ」
行人「呪われた、生を
行人「祝福された、生を
行人「呪われた、死を
行人「祝福された、死を
行人「見つめる事だ
(中略)
行人「この誤謬の世界」
行人「それこそが」
行人「それゆえに正しいものさ」
行人「それが
行人「どんなに
行人「俺達にとって
行人「グロテスクな姿を見せても
行人「それを
行人「見続ける
行人「それが
行人「正しさだ
行人「世界を見続ける…
行人「それが
行人「俺達の責任の取り方だ!
 
彩名は不明瞭だが意味深な事を言って、行人の元を去る。まず、「わたし、わたしとして、ゆきとくんに出会えた事を感謝してる」と言うセリフの「わたしとして」が気になる。「わたしとして」と言う事は、彩名は彩名という人間以外としても存在できると言う事だろうか。
 

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彩名「ゆきとくん」
彩名「わたし、わたしとして、ゆきとくんに出会えた事を感謝してる
(中略)
彩名「また
彩名「また会えるといいね
行人「?」
彩名「無限のなかの有限のうちに…」
行人「なに、わけわかんない事いってるんだよ」
彩名「永久回帰って本当かな…
 
彩名は「永久回帰って本当かな…」と言った。永久回帰(永遠回帰永劫回帰)とはニーチェの術語で、万物が全く同じ姿で永遠に繰り返される現象を指す。彩名は行人を愛し、行人に出会えた運命を愛し、行人に再会したいと思った。これはニーチェの言う運命愛だ。無限のなかの有限のうちに…」というセリフには、永遠に(無限に)繰り返される世界の(有限な)一部の出来事として、行人にまた会いたいという彩名の思いが込められているに違いない
 
彩名は行人にキスをし、唐突に姿を消した。教室の椅子には、姿を消した彩名の代わりに、琴美が座っていた。そして、行人と彩名以外は誰もいなかったはずの教室には、学生が溢れていた。人気の無い夏の教室から賑やかな新学期の教室へ、一瞬で場面が切り替わる。
 

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 なに!?
 ク、クラス中に人が…?
 俺は…。
 誰もいない教室に、
 音無といたはずだ…。
行人「音無は?」
琴美「はい?」
行人「音無彩名は?」
琴美「…」
琴美「ちょいと
琴美「行人さん…
行人「いてててててて!」
行人「耳ひっぱんな!」
行人「痛てぇよ!」
琴美「その女
琴美「誰!
 

終わりなき日常を生きろ

 
琴美は、行人に不穏な映画の話をする。
 

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琴美「飛行機に突然トラブルがあってね」

琴美「それで、その飛行機、無人島に不時着するの…」
行人「それで…」
琴美「とりあえず、何人か助かるんだ」
琴美「でね、無線とかで、助け呼ぶの」
行人「…」
行人「当然だな」
琴美「でも、すぐ向かいますとかいって、救助隊は全然こないの」
琴美「なんか、明日には、あと数時間後には、あと何十分後にはとか言って…」
琴美「ずっと来ないの」
琴美「そのうち、一人が気がつきだすの…
琴美「自分たちは既に死んでいるのではないかと…
琴美「ここは地獄であり
琴美「永久に、希望と絶望をくり返さなければならないのではと…
琴美「その時、また無線が入って…」
琴美「もう、すぐに助けに向かいます…ってね」
行人「ふふふふ、発狂もんだ…」

 

琴美ENDの行人は、無人島の映画と同じように地獄的な状況に置かれているのではないかと推測できる。行人は、7月21日の教室から9月1日の新学期の教室へと一瞬で転移した。行人が一瞬で転移した新学期の教室は、何か映画の無人島のような永久の地獄を思わせる。琴美ENDの行人は、新学期の教室という永久の地獄で、希望と絶望を繰り返す破目になりそうだ。
 
新学期の始まりと共に、行人と琴美は永久に一緒の生活をする事になるだろう。行人と琴美がこれから過ごす日常では、永久に希望と絶望が繰り返されるだろう。行人と琴美はこれから、永久に呪われた生と祝福された生を生きるだろう。行人と琴美はこれから終わりなき日常を生き、その日常はユートピアであると同時にディストピアでもあるだろうしかし行人とずっと一緒の生活は、琴美が望んだ幸福の形だったはずだ。
 

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琴美「新学期が始まったから」
琴美「一緒だね…
琴美「ずっと
琴美「ずっと、ずーと
琴美「一緒だよ
琴美「有限のなかの無限のうちに…」
彩名「無限のなかの有限のうちに…」
琴美「ここで…」
彩名「ここ以外で…」
琴美「この世界は、それまでの世界?」
彩名「それまでの世界は、この世界?」
琴美「ずっと
彩名ずっと、ずっと
琴美「永久に…
彩名無限に…
琴美「一緒
琴美「だよ
琴美「今日から、新学期だから、ここで、行人とずっと一緒だよ
 
「有限のなかの無限のうちに…」という琴美のセリフは、閉ざされた(有限な)学校生活を永久に(無限に)一緒に過ごそうという意味だと私は解釈した。終ノ空には声優によるボイスが存在しないので見落としがちだが、琴美ENDのラストでは琴美のセリフの間に消失したはずの彩名のセリフが混じっている。琴美のセリフと彩名のセリフは混雑しており、文章が殺人的に難解になっている。この殺人的な文章を解読しようと思ったが、彩名の正体がよくわからないせいで(私には)無理だった。申し訳無い。
 

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彩名については、現時点では情報が足りていない。終ノ空remake』では彩名の正体が明かされるらしいので、『終ノ空remake』の発売を待ちたい。
 

恋愛ゲームとしての『終ノ空

 
終ノ空』をプレイし終わって、このゲームには哲学や電波だけでなく、恋愛がちゃんと含まれていると私は思った。琴美と彩名は行人の事が好きで、彩名と親しげに話す行人を見た琴美は悔し泣きをした。琴美は、行人が彩名に近付く事を好ましく思っていない様子だ。終ノ空では、琴美・彩名・行人の三角関係のような(?)関係が描かれていると思う。そして『終ノ空』は、行人と卓司のボーイズラブ(?)を描いた作品だと言えなくもない。琴美と彩名と卓司に愛された行人は、モテモテ主人公である。
 
シナリオライターのSCA-自氏は、「(恋愛ゲームを作らなければならない立場にありながら)恋愛を書くことができない」と自認しているという。しかし『終ノ空』では、一応恋愛が描かれていると思う。『終ノ空は恋愛を全面に押し出したゲームではないが、『終ノ空にはまぎれもなく恋愛があると思う。だからSCA-自氏は恋愛を全く書けないわけではないし、『終ノ空は恋愛ゲームの一種だと言って良いだろうと結論しておく。
 
また、インタビューでSCA-自氏は「恋愛モノの作品って、誰かを好きになってその人と結ばれたら終わるじゃないですか。でも僕は、『その後別れたりしないのかな』っていつも不安だったんです」と語っている。ではつまり、裏を返せば「好きな人と別れずに永久に一緒だったら、それは理想の恋愛だ」と言う事ではないか。行人と琴美が永久に一緒になる琴美ENDは、琴美だけでなくSCA-自氏にとっても幸福な結末なのかもしれない。琴美ENDは少し奇妙な内容ではあるけれど、SCA-自氏は理想の恋愛を描こうとしたつもりなのかもしれない。

『終ノ空』彩名END考察~一寸先は奈落~

今回は『終ノ空』の彩名ENDを考察する。彩名ENDは今日に至るまであまり考察されてこなかったように思う。彩名ENDの深淵を探りたい。
 

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終ノ空
シナリオ:SCA-自
原画:SCA-自、基4%、にのみー隊長
1999年8月27日発売
 

一寸先は奈落

 
学校の噂や間宮卓司の予言では、7月20日に世界が終わるという。行人は、気が付くと晴天下の校門の前に立っていた。世界が終わると予言された7月20日が過ぎた後も、相変わらず日常世界が続いているかのように見えた。学校の屋上には、音無彩名が立っていた。彩名は、行人の記憶の異常を、鋭く指摘する。
 

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彩名「ゆきとくんは
彩名「ここまで
彩名「学校まで来た記憶がないのに
彩名「学校にいるんでしょ
行人「ああ、そうだ」
行人「なら」
行人「…やばいよな」
行人「俺、病気かな?」
彩名「くす」
彩名「かもね」

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彩名「もしかしたら
彩名「永久に続くかもよ
行人「何が?」
彩名「目をつぶった瞬間」
彩名「また」
彩名「透明な白の中で」
彩名「自分を感じるの」
彩名「そして」
彩名「また」
彩名「校門の前で」
彩名「立ちつくすかも」
彩名「そして」
彩名「ここでわたしと会うかもしれない」
彩名「いいえ」
彩名「もしかしたら」
彩名「わたし以外のわたしと会うかも」
彩名「無限のわたしと
行人「どこで?」
彩名「ここで…」
彩名「ここでよ」
 
もしかしたら記憶が欠落している行人は、目をつぶった瞬間に光に包まれ、晴天下の校門にワープしたのかもしれない。そして行人は学校の屋上で、彩名との邂逅を無限に繰り返すのかもしれない。学校の校門へのワープと、彩名との邂逅が、無限にループしているのかもしれない。いわゆる「無限ループ」発生の可能性を、音無彩名は示唆する。
 

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行人「たしかに
行人「そうなったら
行人「俺がいた
行人「あの
行人「あの世界は
行人「終わってるな
行人「ここは
行人「あの世界ではなく
行人「無限という
行人「死の世界だな
彩名「くす」
彩名「あの世界…」
彩名「まるで」
彩名「あの世界と呼んでいる」
彩名「現実世界が」
彩名「あの世になったような」
彩名「そんな、言い回し」
行人「ふふふふ」
行人「その通りだよ」
行人「もし
行人「俺がいままでいた
行人「現実世界というものが
行人「終わっているなら
行人「もう
行人「あの世界
行人「つまり
行人「現実世界は
行人「あの世だよ
行人「そして
行人「無限という
行人「死の世界が
行人「この世となる
行人「…」
行人「死が絶対にない」
行人「死の世界」
行人「ふふふふ」
行人「それは」
行人「地獄だな…」
 
行人が今まで過ごした現実世界は、もう終わったのかもしれない。そして行人は、無限にループする異世界に転移してしまったのかもしれない。もしそれが本当ならば、行人が今まで過ごした現実世界は「終わりのある世界」だったわけだ。そして代わりに行人は、「終わりのない世界」の住人になったことになる。
 
行人は目をつぶり、また「さっきと違う世界」にワープした(?)。行人と彩名は学校の屋上でセックスをする。行人と彩名によれば、愛は「最高の鎮痛剤」である。愛という鎮痛剤の効果は、束の間のものだ。しかし、孤独な生の痛みを、愛はしばらくながら確実に忘れさせてくれる。奈落の中で、二人は愛し合う。
 

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 次の瞬間が奈落だとしても、
 それは、
 しかたない事なのだ。
 我々はそんな、
 むき出しの不条理のなかを、
 実は、
 生きているのだ。
 …。
 
一寸先は闇、という言葉がある。私たちはほんの少し先の未来も満足に予測する事ができず、一歩先の未来にすら底知れぬ闇が広がっている。行人が一歩先に進んだ未来には、地獄や奈落が広がっていた。私たちには明るい未来が保証されておらず、私たちにはいつでも理不尽な目に遭う可能性が残されている。嫌な話だが、「しかたない事なのだ」。私たちの生については、一寸先は奈落、という言葉がよく似合うと思う。彩名ENDは、私たちの不条理な実存を作品化したものだと解釈できるだろう。
 

99のその先

 
彩名ENDの結末は、行人が7月20日に行った思索の内容に明らかに対応している。
 

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 ふと俺はこんな話を思いだした。
 ある哲学者がまだそれでは食っていけず、塾の講師をしていた時の話らしい。
 彼は、ある学生に九九を教えていた。
 この学生は鈍臭く、何をやってもだめだったが、あたりまえのように九九もだめであった。
 しかしこの学生の間違えには面白い法則性があった。
 彼は、答えが100を超える数字になると、とたんに答える事が出来なくなったのだ。
 つまり、彼は九九とは100以下まで有効な法則だと思い、それ以上の数にはまた新しい法則が付け加えられなければならないと考えたらしい…。
(中略)
 科学は過去起きた事のなかから法則と呼ばれるものを取り出し、未来を予測する。
 〈高いところにあるリンゴから手を離すと、過去にもそれが誰がやってもそう落ちたようにこれも下に落ちる〉と未来予測をする…。
 我々の認識の大半も過去にあったものの再現によって、未来予測をおこなっている。
 昨日、明日が来たから、今日にも明日が来ると…。
 さっきの一歩が踏めたから次の一歩も踏めると…。
 明日が来ないかもしれないといって、仕事をやめる人もいないし、
 次の一歩はまだ世界が出来ておらず、踏み出せば奈落に落ち込むといって次の一歩をためらう人もいない…。
 だが、そう言えるのか?
 今までの事が次も起こるのか?
 もしかしたら次の一歩には世界がまだ間に合っておらず、踏み出した瞬間に奈落に落ち込むのでは…。
 もしかしたら、今までが99であって…もうすでに…。
 
これは根拠の無い私の推測なのだが、終ノ空が1999年に発売された事が、彩名ENDや行人の思索の内容に大きな影響を与えたのではないかと思う。1999年当時、「2000年問題」が騒がれていた。1999年までは普通に作動していたコンピュータが、2000年になったら日付を正常に認識できなくなり、誤作動するかもしれないという可能性が当時は危惧されていたのだ。結局2000年問題は杞憂に終わったのだが、行人が懸念している事は2000年問題に近しいだろう。
 
1999年までは正常に作動していたコンピュータでも、2000年になったらバグるのではないか。100以下までは有効な九九も、100を超えたら無効になるのではないか。今まで有効だった科学法則も、未来になったら無効になるのではないか。今までの一歩先には、今までの常識が通用しない奈落が広がっているのではないか。その不安は、1999年から2000年に移行する際に先鋭化したと推測できる。私たちの踏み出す先が奈落であるという卓司の予言は、極めて90年代終盤に相応しい。そして行人は今までの一歩先を懐疑し、彩名ENDでは実際に奈落に落ち込んだ。
 
彩名ENDの奈落は、1999年の想像力に支えられたものだろう。しかし、2020年の今になっても、私たちの一歩先に奈落が広がっていないという保証は無い。(むしろ、現在の方が危機に満ちていると言えるかもしれない。と言うか、2020年はすでに奈落?)『論理哲学論考の言葉を借りるなら、太陽は明日も昇るだろうというのは一つの仮説である。すなわち、われわれは太陽が昇るかどうか、知っているわけではない」のである。