かるあ学習帳

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カミュ『異邦人』の考察~ムルソーの性格編~

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『異邦人』

アルベール・カミュ(窪田啓作訳)
1954年初版発行
 
私は最近、フランスのノーベル賞作家アルベール・カミュの小説を読んでいます。私はカミュの崇高な理念を理解するためにカミュの小説を読んでいる…のではなく、これから発売されるエロゲーの評論を書くための材料として読んでいます(苦笑)。
 

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(C)KAI
いや、なんでも、来月の末に『青い空のカミュっていうエロゲーが発売されるそうなんですよ。公式サイトのコラムによると、このエロゲーカミュの文学から着想を得た作品だそうです。このエロゲーのサンプルCGはとても美しいと感じますし、ライターの〆鯖コハダさんはなかなか博識な方だとお見受けしました。うん、『青い空のカミュ、期待できそうです。
 
…ってなわけで今回はカミュの代表作『異邦人』を考察します。『異邦人』については論点がたくさんあるので、とりあえず主人公・ムルソーの性格に的をしぼって見ていくことにしましょう(・∀・
 

ムルソーの無関心と関心

 
『異邦人』の主人公・ムルソーは、社会のしきたりに従わずに自分の性格に対してバカ正直に生きた男です。ムルソーの言動を社会は許さず、ムルソーは社会によって抹殺されてしまいました。
 
ムルソーの家の隣人であるレエモンはムルソーと友達になろうとしますが、ムルソーは「私にはどうでもいい」と思います。(p.43)
ムルソーの彼女であるマリイはムルソーに「あなたは私を愛しているか」と尋ねますが、ムルソーは「それは何の意味もないことだが、恐らく愛していないと思われる」と答えます。(p.46)
ムルソーの職場の上司はムルソーに野心がないことを注意しますがムルソーは野心を無意味だと思います。(p.54)
・マリイはムルソーに結婚を提案しますが、ムルソーは結婚には何の重要性もないと答えます。(p.55)
・判事はムルソーに神を信じているかどうか尋ねますが、ムルソー信じないと答えます。(p.88)
ムルソーは司祭に、もう一つの生活や金持ちになることや早く泳げることや形のよい口許になることを望むのは無意味だと言います。(p.152)
 
一般大多数の人々は「友情」や「恋愛」や「出世」や「結婚」などに意味を見いだしますが、ムルソーはこれらのことがらに無関心です。ムルソーの無関心な性格は、『異邦人』のラストを考えるうえで重要な用件だと私は考えています。
 
ムルソーは多くのことに無関心な人間ですが、すべてのことに完全に無関心な人間ではないようです。死体置場の門衛の話をムルソーは面白いと思いましたし(p.12)、ムルソーがマリイの話に興味を持つ場面もあります(p.56)。
 
ムルソーが特に関心を持つのは、女の肉体です。ムルソーはマリイと海水浴をしたり映画を見たりする途中で、マリイの胸を触ります(pp.26-27)。マリイの扇情的な外見を見たムルソーが性欲を覚える場面もあります(p.44,46,95)。牢屋に入れられたムルソーは、激しい性欲に苦しみます(p.98)。
 
ここまでの材料から判断すると、ムルソーの性格はすべてのことに無関心ではないが、一般大多数の人々が強く関心を持つことがらの多くに関心を持たず、性欲が強い」というものです。いやあこの主人公、なかなか強烈な性格をしていらっしゃるwムルソーは自分の本性を偽って社会に溶け込もうとするタイプの人間ではありませんでした。カミュはこう言っています。
 
『異邦人』の悲劇は、自分に正直であろうとするものの悲劇なのです。(中略)人間の社会では、その習慣に従わないものは危険視され、ついには社会の名において公然と殺されるのです。(中略)この作で私の言おうとしたことは、うそを言ってはいけない自由人はまず自分に対して正直でなければならない、しかし真実の奉仕は危険な奉仕であり、時には死をとした奉仕であるということです。*1
 
カミュは自分を偽らないムルソーのような生き方を肯定しているのですが、ムルソーのような生き方は危険を伴うものだと断じてもいます。私は『異邦人』を読んで、ニトロプラスエロゲー沙耶の唄の「病院エンド」の文言を思い浮かべました。
 

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 僕が体験してきたことは確かに現実だ。が、それはこの部屋の外の世界とは折り合いのつかない現実なのだ。だから先生はこの小さな空間を切り分けて、僕だけのために与えてくれた。僕が僕の現実を生きる場所として。
 哀しいが、仕方ないことだと思う。より大勢の人が信じる大多数の現実で、この世界は成り立っている。その枠からはみ出た場所に僕は踏み出してしまったのだ。
 
『異邦人』のムルソーも『沙耶の唄』の郁紀も、一般大多数の人々と常識や習慣を共有することができなかった男だと思います。常識や習慣を共有しない人間に対して、社会は冷淡ですね(>_<)
 
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↑この記事を書き終わって他の方々の考察を読んでいるうちに気付いたのですが、この記事の内容はこちらのブログさんの記事とだいぶ似てますね…
このままだとこの記事がパクリみたいに思われるでしょうから、次回はムルソーの母親への愛について考察して差別化を図ろうと思います。では、今回はこの辺でノシ

*1:三野博司『〈増補改訂版〉カミュ「異邦人」を読む』、彩流社二〇一一、一八六頁。