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『青い空のカミュ』批評~うまくいかなくても幸せになれる~

今回は、『青い空のカミュ』製品版の作中で語られる「幸福」について考察します。

 

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『青い空のカミュ
シナリオ・原画:〆鯖コハダ
(C)KAI
2019年3月29日発売
 

人々は幸運を求める

 
『青い空のカミュ』の主人公・燐と蛍は、不気味に変容した小平口町に閉じこめられます。燐と蛍は田舎町で様々な怪奇現象に遭遇するのですが、作中では怪奇現象が発生した理由がちゃんと説明されています。
 

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怪奇現象は、蛍の家系である三間坂家が座敷童を祭っていたことが原因で発生しました。座敷童は世界の因果律を改変し、小平口町の人々に経済的成功などの幸運を与えてきました。しかし、何年間も因果律が改変され続けることによって、世界に歪みが生じてしまったのです。そして、たまりにたまった歪みが決壊し、小平口町は不気味に変容したというわけです。
 
私はこのお話を読んで、細木数子さんの六星占術を思い出しました(笑)。六星占術という占いでは、人間の運勢が上がったり下がったりする波のようなグラフで表現されています。人間の運勢は幸運に恵まれることもあれば、不運に見舞われることもあります。しかし『青い空のカミュに出てくる座敷童は、町の人々にずっと幸運をもたらし続けた。その無理がたたって、そのとばっちりを受けたのが燐と蛍だったわけですね。
 

幸運と幸せは異なる

 
『青い空のカミュ』の作中では、「幸運と幸せは違うものである」という思想が展開されています。この考え方はとても面白いと思いました。
 
DJゴドー
「ここで一つ、質問だ。幸運と幸せ、その違いってなんだろうね?
「幸運ってのは良くわかる、上手くいくようになること。宝くじが当たったりなんて、わかりやすくそうだね。今だったらレアガチャかな?」
「じゃあ、幸せって?これは難しいよ。成功したって幸せとは限らない。勝利は栄光を保証しない。なんたって成功した人の転落話なんて、幾らでも見てきてるし皆大好きだろ?」
「つまり幸運と幸せは同義じゃない、幸運の量と幸せの量も等量じゃない、イニクオリティ……不等だ」
 

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小平口町の人々は、経済などがうまくいくようにするために座敷童を利用しました。さて、作中で幸運とはうまくいくようになることだと定義されているので、小平口町の人々が望んだのは「幸せ」ではなく「幸運」だったわけですね。ところが、成功や勝利などの幸運に恵まれても、幸せだとは限らない。逆に、失敗や敗北などの不運に見舞われても、幸せになることがある。実際、燐と蛍は不条理な状況の中で友情を育み、幸せを感じます。悲劇的な状況の中で幸福になったシーシュポスの神話を想起しますね。*1
 

幸福は一人の女である

 
DJゴドー
「僕なんか思うんだけど、幸せって言う言葉が頭に浮かんだ時にはもうその時は過ぎ去っている。最高の時は本当に一瞬。気づいた時には過ぎ去ってるんじゃないかな」
(中略)
「誰もが幸せになりたい、でもすでに幸せだったときは過ぎ去っている……じゃあ、僕たちは……」
 

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DJゴドーは幸運と幸せの違いについてしゃべった後、幸せに気づいた時にはもう幸せは過ぎ去っている」という『青い空のカミュ』のコアになる命題を語ります。ついでに幸福について考えた人物の例としてアリストテレスとかショーペンハウアーとかが挙げられているんだけど、私はニーチェツァラトゥストラのことをずっと考えていましたねw
 

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ツァラトゥストラ』の主人公・ツァラトゥストラは、「シーシュポスの神話」のシーシュポスやオイディプス王のように(いや、彼らとはちょっと違うかもしれない…)悲劇的な苦しみを引き受けます。ツァラトゥストラ永遠回帰の教説を我が物にする苦しみを引き受けるのですが、なぜかその途中で幸福がやってきます。意に反する至福」ってやつです。
 
彼は、夜通し自分の不幸を待ったが、待ってもむだであった。夜は依然として明るく澄んで、静かであり、そして幸福そのものがますます彼に近づいて来た。だが朝方に、ツァラトゥストラは自分の心に向かって笑い、そしてあざけるような口調で言った。「幸福がわたしを追いかける。そういうことになるのは、わたしが女どもを追いかけないからだ。ところで、幸福は一人の女なのだ。」*2
 
ツァラトゥストラは、幸福は「一人の女」だと言っていますね。これは、モテようと必死になっている男が女にドン引きされるのと同じように、幸福になろうと必死になっている人は幸福を取り逃がすという例え話です。逆に、女の尻を追いかけない男が女に気に入られるのと同じように、幸福になることを考えないで自分の仕事に専念している人には幸福が訪れるという例え話でもあります。この話、『青い空のカミュのシナリオとけっこう親和性が高そうだと私には思えるんですが、どうですかね皆さん???
 

まとめ

 
今回のポイントは、
「人々は幸運=うまくいくようになることを求めるが、うまくいっても幸せになれるとは限らない。逆に、うまくいかなくても幸せになれる場合がある」
ということと、ついでに『ツァラトゥストラ』によれば
「人々は幸福になりたいと思うが、幸福を希求する人は幸福を掴めない。逆に、幸福を意識せず事業に専念する人に幸福は訪れる」
ということです。
 
予想以上に文章が長くなったので、今回はここまでです。次回は、今回のポイントを踏まえて「シーシュポスの神話」を再読します。では~ノシ
 
〈関連記事〉
↑この記事、少し書き直しましたw

*1:「シーシュポスの神話」と『ツァラトゥストラ』では、『青い空のカミュ』とは違って「幸運」と「幸せ」の違いについて言及されていない(と私は思いました)。そのため、本稿で「シーシュポスの神話」と『ツァラトゥストラ』における「幸運」と「幸せ」について語る際は、その両者を「幸福」という言葉で統一しました。

*2:ニーチェ(吉沢伝三郎訳)『ツァラトゥストラ・下』、ちくま学芸文庫、一九九三、三七頁。巻末の訳註も大いに参考にしました。