かるあ学習帳

この学習帳は永遠に未完成です

僕たちが寺田心を「不自然だ」と感じる理由。

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皆さん、おはようございます!社会不適合者甘井カルアでございます!!!

 
いきなりカミングアウトしますが、私の社会的地位や経済力はとても低いです。私はコミュニケーション能力もとても低いので、面接で上手くしゃべれなかったせいでいろんな仕事を何回も落ちました(ドヤァ!
 
私は今、奇跡的に採用された職場で働きながら社会の底辺で生活しております。私は明らかに今の仕事に向いてない人間ですが、他の仕事が見つかりそうもないので今の仕事に必死でしがみついています。
 
今回は、社会に向いてない社会人である私が常識について語ります。
 

自分には常識がない

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私は社会人になってから、自分には常識がないということがよくわかりました。私は何度も転職してきた人間ですが、どこの職場でも採用されたらまず社会人としてのマナーというかを叩き込まれました。新しい常識を教わるたびに、「今までの自分には常識がなかったんだなあ」と思います。特に私の前の職場はマナーに異常なほど厳しい職場で、非常識な私は課長にものすごく怒られました。職場の常識に適合出来なかったので、前の職場はすぐに辞めました。
 

他人にも常識がない

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仕事をしていると、社会には常識がない他人が多いことに気づきます。私には意味のわからないことを言ったり、私には理解できないことをしたりする他人と、仕事ではうまくやっていかなければなりません。常識がない自分が、かろうじて常識を身につけて社会の中に立ったら、出会うのは常識を超えた世界でした。常識がない」という言葉はネガティブな意味合いで使われることが多いですが、常識がない私には常識がない他人を悪く言う資格はないと思います。おあいこです。
 

社会がこわい

 
フランスのノーベル賞作家カミュは、こんなことを言っています。
 

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人間の社会では、その習慣に従わないものは危険視され、ついには社会の名において公然と殺されるのです。*1
 
人間は、社会の秩序を守るために常識習慣を作っています。度を越して非常識な人は社会の平和を脅かす存在なので、処罰されます。社会に逆らう悪者だけでなく、私のように社会に擦り寄ろうとしても上手く適合できない不適合者に対しても、社会は冷たいと思います。
 
社会に従わない者は社会に殺されるとカミュは言っていますが、社会に従いすぎる者も社会に殺されるのでは?と私は思います。最近、とあるサービス業の偉い人が過労で亡くなったというニュースを見ました。社会に必要とされる優秀な歯車のような人が酷使されまくって死に至ることがたまにありますよね。
 
社会を作ったのは人間ですが、社会は時として親である人間を殺すと思います。社会に従わないと殺されるけど、社会に従いすぎても殺されるって怖すぎないですか?自分も他人も世界も常識に収まりきらないのに、常識の顔色を伺わないと殺されるって怖すぎないですか?私は社会が怖いです。
 

寺田心が「不自然な」理由

 

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社会に従いすぎる人間といえば、私は寺田心君を思い浮かべます。心君は子供ですが、彼は社会の要求に完璧と言っていいほど答えていると思います。常識がない私などは、心君の言動に正直「不自然さ」を感じるほどです。
 
私たちの多くは学生時代に他人との付き合い方を覚え、社会人になってから指導され、いちおう常識を身に付けるものです。生まれたばかりの人間には常識がないし、大抵の人間は常識を身に付けるまでに長い時間がかかると思います。子供の失敗は「いいんですよ、子供のしたことですから」と大目に見られることが多いですが、これは「幼い子供は常識通りに振る舞えるはずがない」という「常識」を私たちが共有しているからでしょう。
 
しかし、寺田心君は幼い子供なのに、常識を見事に体得しているように見えます。私たちが心君を「不自然だ」と感じるのは、「幼い子供は常識通りに振る舞えるはずがない」という「常識」を心君が裏切っているからではないでしょうか。心君は、私たちの「常識」を超えた「常識人」だと思います。
 
僕たちは非常識な人間として生まれるし、常識は時間をかけて身に付けるものだ。
 
そんなことぐらい、僕たちはもう知っているはずなんだ。
 
~終~

*1:三野博司『〈増補改訂版〉カミュ「異邦人」を読む』、彩流社二〇一一、一八六頁。