今回は、ロシアの文豪ドストエフスキーの代表作『罪と罰』
『罪と罰(1~3)』
2008~2009年初版発行
「6」にいろどられた物語
『罪と罰』は光文社古典新訳文庫では全3巻に分けられている、 長大な小説です。そして作中では、 ラスコーリニコフやスヴィドリガイロフなど、 名前が長い登場人物が多数登場します。 読むのがなかなか大変な小説ですから、 物語の内容を整理しながら読みたいところですよね。
「構成読み解き家」 としてネットで活動中のfufufufujitani様は、『 罪と罰』の物語を数字の「6」に着目して整理するという、 驚くべき考察を公表していらっしゃいます。『罪と罰』では「6」という数字が重要な意味を持つことに注目すると、 いろんなことが一気に整理されるという説です。
まず、『罪と罰』の主人公の名前はロジオーン・ロマーノヴィチ・ ラスコーリニコフといいます。 英語のRはロシア語ではPになるので、 ラスコーリニコフの頭文字はPPP。 そしてPPPをひっくり返すと「666」になります。このことは、『罪と罰』を和訳した江川卓先生や亀山郁夫先生も指摘なさっていることです。
そして、fufufufujitani様の解釈によれば、『 罪と罰』の登場人物は役割ごとに「6人」 のグループに分けることができるそうです。さらに『罪と罰』 では、ラスコーリニコフの論文や新約聖書のラザロなどが「復活」 する場面が「6回」描かれています。また、 文章とお金に関する表現が「6回」登場します。 詳しいことはfufufufujitani様のまとめに書いてあ りますので、興味がある方はこの機会にご覧ください。
「7」からはじまる物語
そして、『罪と罰』第1部は、7節に分かれています。やはり、 始まりは「7」です。ちなみに、第1部に続いて第2部も7節、 第3部と第4部は6節、第5部は5節、第6部は8節、 エピローグは2節に分かれています。途中で節の数が7→6→ 5と1ずつ少なくなっていますが、 この理由が今の私にはよくわかりません。どなたかわかる方、 教えてください。
『罪と罰』エピローグの1節目では、 裁判によりラスコーリニコフに8年の刑期が言い渡されます。 この「8」という数字は、エピローグの前に来る第6部が8節に分けられていることと対応していると思います。 エピローグの2節目(これが最後の節です)で、 ラスコーリニコフの刑期が残りあと7年になったところで『 罪と罰』の物語は完結します。「7」、 始まりを予感させる数字です。
この幸せがはじまったばかりのころ、ときどきふたりは、この七年を、七日だと思いたいような気持ちになった。(中略)しかし、もう新しい物語ははじまっている。ひとりの人間が少しずつ更生していく物語、 その人間がしだいに生まれかわり、 ひとつの世界からほかの世界へと少しずつ移りかわり、 これまでまったく知られることのなかった現実を知る物語である。 これはこれで、新しい物語の主題となるかもしれないーしかし、 わたしたちのこの物語は、これでおしまいだ。*2
最後の最後になって始まりを予感させる「7」 という数字が再び提示されたあと、 新しい物語の始まりを明確に告げる結末で『罪と罰』 は完結しています。 全部で6部からなる物語にエピローグが加わると「7」 になるところも天才的に上手いですね。『罪と罰』 のエピローグには、 新しい物語の始まりを告知する役割があると解釈できますね。
ネットで調べてみたら、聖書で「6」 という数字は不完全なものを表し、「7」 という数字は完全なものを表すことが多いみたいですね。また、「666」は「悪魔の数字」だといわれています。『 罪と罰』は不完全なものを表す「6」 に彩られた物語でしたが、そこにエピローグが加わると完全な「 7」になる。そしてそこから新たに物語を始めることができる。… といった意味合いが込められているのではないでしょうか。