かるあ学習帳

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『ミュウツーの逆襲』『ルギア爆誕』『結晶塔の帝王』考察まとめ~存在の拡大~

私は今年の6月から、ポケモン映画の考察を何度もこのブログに書いてきました。とりあえず『ミュウツーの逆襲』『ルギア爆誕』『結晶塔の帝王』の考察が終わったので、ポケモン映画の考察はここで一旦一区切りにしようと思います。
 
脚本家の首藤剛志さんは『ミュウツーの逆襲』『ルギア爆誕』『結晶塔の帝王』のシナリオを書いた後、ポケモン映画のシナリオを全く書かなくなります。ですから、『ミュウツーの逆襲』『ルギア爆誕』『結晶塔の帝王』は、「ポケモン映画の初期三部作」であると共に「首藤さんが脚本を書いたポケモン映画の三部作」だといえます。
 
今回は私が今までに書いた『ミュウツーの逆襲』『ルギア爆誕』『結晶塔の帝王』の考察をまとめながら、首藤さんがポケモンで築いた素晴らしい業績を振り返ってみようと思います。
 

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(C)ピカチュウプロジェクト98
(C)ピカチュウプロジェクト99
(C)ピカチュウプロジェクト2000
 

ミュウツーの逆襲』『ルギア爆誕』『結晶塔の帝王』の考察

 
ポケモン映画第1作ミュウツーの逆襲』のテーマは、自己存在」です。人間のエゴによって生み出された遺伝子ポケモンミュウツーが、自分の存在を賭けた戦いを挑みます。今改めて観ると、自分探しの真っ只中にいるミュウツーは、頭は良くても精神年齢は意外と思春期の少年ぐらいかもしれないなと思います。逆に、設定を調べてみると、自分の存在を賭けた戦いを挑まなかった苦労人のニャースがすごく大人に思えてきましたね(笑)。
 

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余談ですが、『ミュウツーの逆襲』ディレクターズカット版には、アイちゃん」という少女のクローンが登場します。幼いミュウツーとアイちゃん(のクローン)がテレパシーによって交信する場面は、序盤の感動ポイントです。また、「アイ」という名前は英語で「私」を意味する「I」から来ていることや、アイちゃんが「涙」について語る場面は重要なポイントです。しかし、今年公開された『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』では、アイちゃんが出てくる場面が完全にカットされていました。なんでや~、残念です。
 
ポケモン映画第2作幻のポケモン ルギア爆誕のテーマは、「それぞれの自己存在の共存」です。『ミュウツーの逆襲』で確立した自己存在を、同じ世界に共存させる試みがなされています。「深層海流」や「音楽」などのモチーフを使って、「共存」というテーマが巧みに描かれていました。あからさますぎてあまり指摘されていませんが、生命を創造した神の存在」も明らかにされた作品でしたね。
 
『ルギア爆誕』が完成した後、人間でもポケモンでもないティラノサウルスの化石が登場する第3作目のポケモン映画が企画されました。それぞれの自己存在が共存する「世界全体の存在」を追求して揺さぶる、野心的で大胆な内容でした。しかし、この「ポケモン映画幻の第3作」の企画は、大人の事情でボツになりました。
 
結局、ポケモン映画第3作として公開されたのは、『結晶塔の帝王 ENTEI』です。『結晶塔の帝王』は、夢の世界にひきこもる少女・ミーが、現実の世界に戻るまでの過程を描いた物語です。いわゆる「ぼっち」「ひきこもり」からの脱出という深刻なテーマが、親子で楽しめるエンタメの形に見事に昇華されています。ひきこもり少女の成長を描くことによって「現実世界の存在」を肯定した傑作でした。なお、この作品は精神分析に詳しい方が鑑賞したら大変面白く感じられるだろうと私は思っています。
 

補説:『ミュウツー!我ハココニ在リ』と旧作エヴァンゲリオンの考察

 
ミュウツーの逆襲』『ルギア爆誕』『結晶塔の帝王』の考察をしているうちに、初期のポケモン映画と(新劇場版ではない)旧作エヴァンゲリオンのテーマがそれなりに近いことに私は気付きました。旧作エヴァンゲリオンの考察もいくつか書きましたので、ここに掲げます。
 
・『ミュウツー!我ハココニ在リ』とTV版エヴァの考察
 
設定や対象年齢が違う作品なので迂闊に比較できませんが、初期のポケモン映画と旧作エヴァンゲリオンは、どちらも「自己存在」「他者との共存」「現実世界」について考えさせられる作品だったと思います。いずれも20年以上の伝統がある作品ですが、ポケモンエヴァンゲリオンは今でも現役で十分通用する社会現象級のコンテンツであることを実感します。