『神速のゲノセクト ミュウツー覚醒』
監督:湯山邦彦
脚本:園田英樹
(C)2013 ピカチュウプロジェクト
2013年7月13日公開
おすすめ度:★★☆☆☆(興味深いテーマ性が確認できるものの、 コレジャナイ感が強い作品)
『逆襲』とは別の『覚醒』
『神速のゲノセクト ミュウツー覚醒』(以下『覚醒』)には、伝説のポケモン・ ミュウツーが登場する。そして何より印象的なのは、『覚醒』 のミュウツーの声優が女優の高島礼子さんだということであろう。 名作『ミュウツーの逆襲』『ミュウツー!我ハココニ在リ』では、 ミュウツーの声を男優の市村正親さんが担当した。しかし『覚醒』 のミュウツーは『逆襲』とは別個体で、 声の性別も異なっているのだ。『逆襲』 の市村ミュウツーに慣れた視聴者は、 女性的な丁寧口調で喋る高島ミュウツーに困惑しても無理は無いだ ろう。
さらに『覚醒』の高島ミュウツーは、 性格も市村ミュウツーとは大幅に異なっている。 高島ミュウツーも人間によって造られたポケモンで、 実験室を爆破し脱出した。しかし高島ミュウツーは、 市村ミュウツーとは違って、 人間やオリジナルポケモンに逆襲しなかった。 高島ミュウツーは野生ポケモンに介護され、 自然界で自分の居場所を見付けることに成功する。 高島ミュウツーは野生ポケモンの庇護者のように振る舞っているの で、 コピーポケモン軍団を引き連れた市村ミュウツーとはかなりの別物 だと思った方が良さそうだ。
共生思想VS排他思想
『覚醒』には、幻のポケモン・ゲノセクトも登場する。 ゲノセクトは人間によって化石から復元されたポケモンであり、 自分たちを改造したプラズマ団の基地を爆破して脱出した。 そしてゲノセクトには帰巣本能があり、古巣に帰ろうとする。 しかしゲノセクトの古巣があった土地は今では開発が進んでおり、 新しいポケモンが生息するポケモンヒルズになっていた。 ゲノセクトは極度に排他的な性格で、 ポケモンヒルズから他のポケモンを排除しようとする。
高島ミュウツーとゲノセクトは、 両方とも人工的に造られたポケモンという点では共通している。 しかし高島ミュウツーは「 野生ポケモンの庇護者であり共生思想の持ち主」である一方、 ゲノセクトは「 自分の古巣から他のポケモンを排除しようとする排他思想の持ち 主」であるという点で対立している。したがって『覚醒』 で描かれている戦いは、善VS悪の戦いとはちょっと違う。 共生思想VS排他思想の戦いと言うべきであろう。
共生思想の萌芽
ゲノセクト「みんな、仲間…」
高島ミュウツーがゲノセクトを惑星の外に連れ出し、 ゲノセクトに説教をする場面には、脚本家・ 園田さんの思想が色濃く反映されていると思う。 高島ミュウツーは、「 この星に生きている人間もポケモンもみんな仲間だ」 という思想を語っている。この思想は良い子ちゃんすぎるし、 かなり陳腐な思想だと思う人が少なくないだろう。 しかしこの共生思想は、次回作『破壊の繭とディアンシー』 に繋がる重要な思想だと私は考えている。
『破壊の繭とディアンシー』 の前半では善VS悪の戦いが描かれるのだが、 後半では善と悪が平等に破壊され再生される。『 破壊の繭とディアンシー』は、 善と悪を同じ自然の摂理に従う仲間として扱う思想が表現された映 画だと解釈できる。 同じ環境に生息する生命をみんな仲間だと考える『 破壊の繭とディアンシー』の思想は、『覚醒』 の高島ミュウツーの共生思想から発展したものだと考えてよいだろう。
『覚醒』のコレジャナイ感
以上、私は『覚醒』を、 脚本家の園田さんの意図を探るアプローチで好意的に考察してみた 。『覚醒』は、園田さんの思想が良く表現された、 それなりに見所のある映画だったなと思う。しかしそれにしても、この映画は「コレジャナイ感」が強すぎると思った。
まず、先述した通り、ミュウツーの声の性別と口調が変わり、 高島ミュウツーの性格も市村ミュウツーと違いすぎるので強烈な違 和感がある。さらに、『覚醒』の高島ミュウツーには「 メガミュウツーY」にメガシンカできるという設定があるのだが、 この魅力的な設定をもっと活用することはできなかったのだろうか 。また、ミュウツーだけでなく、 ゲノセクトの設定もいまいち活用されきっていないように感じた。 ゲノセクトが復元される前の古代の様子や、 ゲノセクトを改造したプラズマ団の陰謀をもっと掘り下げても良か ったのではないだろうか。
こう書くと、「受け手の期待を作品に押し付けるのはやめろ」 という声が上がるかもしれない。しかし、 顧客満足度は映画の面白さを測定する際に重要な要素だと思うし、 少年漫画などは読者アンケートの結果によって打ち切りが決まった りする。『覚醒』 で作り手がやりたいことはある程度私なりに理解しているつもりな のだが、 この映画は受け手の期待にそぐわないものを作り手が作ってる感が 凄い。この映画は、少なくとも 私が期待する展開から大幅に外れた作品だった。