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『沙耶の唄』病院ENDの考察

今回は、ニトロプラスのノベルゲーム沙耶の唄病院END」を考察します。『沙耶の唄には3種類の結末がありますが、私は「病院END」が一番好きですね。補説として、小説版『沙耶の唄の考察も添えます。

 

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沙耶の唄

シナリオ:虚淵玄
原画:中央東口
2003年12月26日発売
 
(ここから先には、「病院END」と小説版のネタバレが含まれます)

第三項の世界

 
郁紀は知覚障害を負ったことが原因で、身の周りに存在する人間や物体が醜悪な怪物や臓器に見えるようになってしまいました。郁紀は、唯一まともな人間に見える少女・沙耶と愛を育みます。沙耶は、人間の脳を操作する能力を持っていました。郁紀が元の暮らしに戻ることを望み、沙耶に脳の異常を治してもらうところから「病院END」は始まります。
 
郁紀は正常な知覚を取り戻しましたが、社会復帰することができませんでした。郁紀は知覚障害を負っている間に殺人を行っており、取り調べを受けた後、精神科医の勧めで病院に収容されることになりました。
 

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 僕が体験してきたことは確かに現実だ。が、それはこの部屋の外の世界とは折り合いのつかない現実なのだ。だから先生はこの小さな空間を切り分けて、僕だけのために与えてくれた。僕が僕の現実を生きる場所として。
 哀しいが、仕方ないことだと思う。より大勢の人が信じる大多数の現実で、この世界は成り立っている。その枠からはみ出た場所に僕は踏み出してしまったのだ。
 今、たしかにこの部屋の壁はー白い。その事実だけに感謝して、僕はこれからの一生涯を送る。
 
郁紀の知覚障害は治ったので、郁紀はもう「異常な個人が認識する世界」の住人ではありません。しかし、郁紀は知覚障害を負うことによって一般大多数の人々の常識からはみ出してしまったので、「大多数の常識人が認識する世界」の住人にもなることができませんでした。郁紀が収容された白い病室は、「異常な個人が認識する世界」でもなければ「大多数の常識人が認識する世界」でもない、「第三項の世界」なのです。
 

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先月書いたことの繰り返しになりますが、沙耶の唄では3種類の結末で3種類の世界が器用に描き分けられていることがこれでおわかりいただけたかと思います。「開花END」では、知覚障害を負った郁紀という「異常な個人が認識する世界」が徹底されていました。「耕司END」では、耕司に代表される「大多数の常識人が認識する世界」の崩壊が描かれました。そして「病院END」では、白い病室という「第三項の世界」が提示されます。虚淵さんが意図的に設計したことなのかどうかは私には定かではありませんが、3つの結末では重点的に描かれる世界が違います。
 

写真には写らない美しい愛

 
ある日、郁紀の病室のドアの向こうに、沙耶が現れます。沙耶は、ドアの覗き窓から携帯電話を差し入れます。
 

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 携帯電話。メモ帳機能が選択され、液晶画面にはいま入力されたばかりのテキストが表示されている。
わたしの声、
きっと変に聞こえるから
 
知覚障害を負った郁紀から見たらまともな人間に見えた沙耶の正体は、恐ろしい怪物でした。郁紀は知覚が正常に戻ったので、今の郁紀から見ると、沙耶は変な声で話す奇妙な化け物に見えるでしょう。
 
しかし、醜い怪物である沙耶には、「郁紀に自分の変な声を聞いて欲しくない」「自分の醜い正体を見て欲しくない」という羞恥心がありました。沙耶の「心のかわいらしさ」が、短い文章でよく表れていると思います。沙耶に恥じらいがあることを、郁紀は微笑ましく思います。
 

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 僕はつい可笑しくてクスリと笑った。沙耶でも、こんな風に恥ずかしがることがあるなんて。
そんなこと、僕はぜんぜん気にならないよ。君の声が聞きたい。姿が見たい
 
郁紀は沙耶の正体が怪物だったとしても全然気にせず、沙耶のことを愛していました。彼女の外見を嫌悪しない郁紀の「心の純真さ」が、短い文章でよく表れていると思います。相手が異形の人外だったとしても相変わらず愛するなんて、並大抵の人間にはできないことだと思います。郁紀は、とてもいい彼氏ですね。
 
「病院END」では、『沙耶の唄という作品だからこそ描ける美しい愛の形が描かれていると思います。病院のドア越しに語り合う沙耶と郁紀は、常識人から見たら怪物と社会不適合者です。しかし沙耶にはかわいらしい羞恥心があり、郁紀の愛情はとても純真なものだった。沙耶と郁紀みたいに、美しくなりたい。写真には写らない、美しさがあるから。
 

補説:小説版について

 

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去年の12月に、小説版『沙耶の唄』が発売されました。小説版『沙耶の唄』の文章は、ゲーム版の文章を忠実に再現しています。というか、小説版の文章の9割くらいはゲーム版のコピペだと言ってよいです(笑)。小説版『沙耶の唄』では、なんとゲーム版の文章だけでなく「選択肢」も小説化されています。原作のイメージを壊さないことは大事ですが、いくらなんでも選択肢まで小説に載せる必要は無かったんじゃねwwwゲーム版では登場人物が旧式の携帯電話を操作する場面がありますが、小説版では操作する端末がスマホに変更されています。小説版で小道具を時代に合わせて改変したところは良かったですね
 
小説版の結末は、ゲーム版の「開花END」と「耕司END」の内容を組み合わせたオリジナルの結末になっています。燃えあがる緑の木』のK伯父さんのようなことを言うと、「対立」する両極は場合によっては「両立」しうるものです。「異常な個人が認識する世界」を描いた「開花END」と「大多数の常識人が認識する世界」を描いた「耕司END」は多くの点で対立していると思いますが、小説版で両立し・組み合わさることができました。しかし「病院END」の内容は、小説版から完全に捨象されています。「病院END」では「第三項の世界」が描かれたので、二項対立する残りの2つの結末からはじき出されたのでしょう。
 
 
はーい、私の『沙耶の唄』考察はこれで終わりです!皆さん、読んで頂きありがとうございました。
 
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