『七夜の願い星 ジラーチ』批評~小さきものに贈る壮大な物語~
ポケモン映画第6作『七夜の願い星 ジラーチ』(以下『ジラーチ』)は、
『七夜の願い星 ジラーチ』
監督:湯山邦彦
脚本:園田英樹
(C)ピカチュウプロジェクト
2003年7月19日公開
(ここから先には重大なネタバレが含まれています)
『ジラーチ』には、バトラーというマジシャンの男が登場します。 バトラーは、ポケモン映画史上初の「わけありの悪役」です。『 ジラーチ』ではバトラーの過去が具体的に描写されているし、 バトラーは更正の余地がある人物です。バトラーは、前作『 ラティアスとラティオス』までには無かったタイプの悪役です。『 ジラーチ』は、さりげなくバトラーの成長物語だったりする。
バトラーはもともと手品が好きで純朴な少年だったのですが、 悪の組織マグマ団の研究員になります。*1バトラーは伝説のポケモン・ グラードンを復元する実験をしますが、実験に失敗します。 バトラーはマグマ団で信用を失い、マグマ団から追放されます。 バトラーはマグマ団を見返すため、幻のポケモン・ ジラーチの力を利用してグラードンを復活させようと企みます。
しかし、バトラーが卑怯な方法で召喚したポケモンは、 グラードンではありませんでした。 見かけ上はグラードンに似た巨大生物「メタ・グラードン」 だったのです。メタ・ グラードンは身体中から触手を伸ばす気持ち悪い怪獣として描写さ れており、いかにも「伝説のポケモンになり損ねた何か」 といった感じです。この映画には、「 不正な仕方で願いを叶えようとしても、 不正な結果が生まれるだけだ」 というメッセージがあると思います。
少しこじつけのようなことを言うと、バトラーの職業が「 マジシャン」であることが、 バトラーの性格にぴったりだと思いました。 マジシャンは本当に魔法を使うのではなく、 観客には分からないタネや仕掛けを使って人々を魅惑する職業です 。嫌な言い方をすると、 マジシャンはニセモノの魔法を見せる仕事だと思います。 不正な細工でグラードンのなり損ねを召喚したバトラーという男には、マジシャンという職業がよく似合うと思いました。*2
この映画のラストで、 ハルカは自分の願い事を自分で叶える決心をします。 この映画からは、バトラーという大人の男の失敗を通じて「 不正な仕方で自分の願いを叶えようとするな」 という教訓が得られると共に、ハルカという少女の決心を通じて「 自分の願いは自分の力で叶えよう」という教訓も得られます。「子供への促し」と「大人への戒め」が両立する脚本が素晴らしい。
『ジラーチ』のエンディングテーマは「小さきもの」 という曲なのですが、この曲がまた良い。 林明日香さんの歌声には「MISIAか!?Superflyか! ?」ってくらい声量がある(と私は思っている)。「小さきもの」 は壮大な曲ですが、 映画の作中ではその名の通り小さきものに贈る「子守唄」 として愛唱されています。そして、 この曲の歌詞をよく読んでみると、この曲が「幼いころの私」 にも思いを寄せた歌だということが分かります。
そして私は 幼い頃に少しずつ 戻ってゆく意味も知らず歌う 恋の歌を誉めてくれた あの日に
歌を歌っている大人の女性(の心?)が、 初恋を知るよりも前の幼い頃に戻ってゆく様子が歌われています。 「小さきもの」は幼い子供たちに贈る子守唄であると同時に、 大人たちに子供の魂を呼び戻すための歌でもあると思います。「 子供への促し」と「大人への戒め」が両立する『ジラーチ』 の世界観に相応しい歌だと思いました。