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『ミュウと波導の勇者ルカリオ』批評~厨二、人情、歴史~

今回は、ポケモン映画第8作ミュウと波導の勇者ルカリオ以下『ルカリオ』)を批評する。
 

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監督:湯山邦彦
脚本:園田英樹
(C)ピカチュウプロジェクト
2005年7月16日公開
おすすめ度:★★★★☆(少年漫画のような熱さ。男の子におすすめ)
 

厨二、人情、歴史

 

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Youtubeで『ルカリオ』のMADを観ていたら、この映画には男の大好きな厨二と人情と歴史が物語いっぱいに散りばめられている。」というコメントを見付けた。このコメントは、ルカリオ』という作品の魅力を端的に表現していると思う。
 

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まずは、「厨二」である。サトシ達はオルドラン城という由緒ある城を訪れ、中世ファンタジーのような服装に着替えてイベントに参加する。サトシ達は、ミュウによって連れ去られたピカチュウニャースを探すため、ミュウが住む「世界のはじまりの樹」に向かう。異世界ファンタジー風の世界観といい、世界樹をめぐる冒険といい、いかにも厨二が好きそうだ。他のフィクションではよくある話なのだが、科学が発達したポケモンの世界でやると新鮮に感じられる。
 

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次に、「人情」である。この映画では、封印されたポケモンルカリオと伝説の勇者アーロンの時空を超えた絆が描かれる。ルカリオとアーロンは主従関係で結ばれており、ルカリオはアーロンに仕える忠実な従者である。ポケモンと対等な「友達」であろうとするサトシと、主人アーロンに忠実な「従者」であろうとするルカリオは対立する。しかしサトシとルカリオの間には、冒険を共にするうちに絆が芽生え始める。こう書いてみると、「人情」というよりは「人間とポケモンの絆」を描いた映画と言うべきだろうか。
 

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最後に、「歴史」である。『ルカリオ』では、まだモンスターボールがなかった大昔の歴史が(断片的にだが)紐解かれる。モンスターボールによって管理されておらず、武装したポケモンと人間の軍勢が戦争をしている様子が描かれている。大勢のモンスターと人間による戦闘は既視感のある光景だが、これもポケモンでやると新鮮に感じられた。
 

90年代後半のミュウ、ゼロ年代のミュウ

 
ルカリオ』には、ポケモンの先祖だと言われるミュウが登場する。ポケモン映画のシナリオにミュウが大きく介入するのは、『ミュウツーの逆襲』に続いて2回目である。
 

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映画『ミュウツーの逆襲』より

ミュウツーの逆襲』では、ミュウのコピーであるミュウツーの葛藤が描かれた。『ミュウツーの逆襲』は、自己存在をめぐる陰鬱で内向的なドラマである。セカイ系」や「心理主義」という言葉で統括される90年代後半の雰囲気が、『ミュウツーの逆襲』にもよく表れていると思う。

 

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一方『ルカリオ』は考察要素が乏しいのだが、冒険と絆と壮大な歴史を描いた熱いドラマである。ミュウツーの逆襲』と『ルカリオには両方ともミュウが出てくるが、90年代後半の『新世紀エヴァンゲリオン』とゼロ年代の『天元突破グレンラガンぐらいの作風の開きがあると思う。ミュウツーの逆襲』の脚本家である首藤氏と『ルカリオの脚本家である園田氏の資質の違いについては、別の機会に詳説するつもりである。
 

悪役の不在について

 

Wikipediaで『ミュウと波導の勇者ルカリオの記事を読んでみた。Wikipediaの記事によると、『ルカリオ』は「シリーズ内では珍しく、サトシ達と明確に対立する存在(悪役)が登場しない作品」だという。ルカリオに悪役が登場しないのはその通りだと思うが、悪役が登場しないのはポケモン映画史上では別に「珍しい」ことではないと思う。

例えばポケモン映画第7作『裂空の訪問者』や第10作『ディアルガVSパルキアVSダークライでは人間の善悪を超越した怪獣バトルが描かれており、悪役が登場しない。第3作『結晶塔の帝王』に登場するエンテイはサトシ達と明確に対立する存在だが悪意は無いので、悪役だとは言いにくいと思う。また、ロケット団のムサシ・コジロウ・ニャースは劇場版ではチョイ役になることが多く、悪役として活躍しづらい。悪役が登場しないことを「珍しい」と評したWikipediaの執筆者は、ポケモン映画をあまり観ていないのではないかと思う。
 
『裂空の訪問者』や『ディアルガVSパルキアVSダークライを観ていると、「悪役が登場しなくても怪獣映画は成立する」ことがよくわかる。『ルカリオ』を観ていると、「悪役が登場しなくても冒険映画は成立する」ことがよくわかる。そして、ポケモン映画は「悪役が登場しなくても作劇が成立する」シリーズなのである。