かるあ学習帳

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『SWAN SONG』教会ENDの考察

ノベルゲームSWAN SONGには、「教会END」と「トゥルーEND」と呼ばれる2通りの結末が用意されています。今回は教会ENDを考察します。
 

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SWAN SONG
シナリオ:瀬戸口廉也
原画:川原誠
(C)2005 SWAN SONG製作委員会
2005年7月29日発売
 
(ここから先には『SWAN SONG』『キラ☆キラ』の結末のネタバレが含まれています)

白鳥の歌」という虚構

 

SWAN SONG』教会ENDを考察するための準備として、この作品の題名になっている「白鳥の歌(swan song)」という言葉の意味を考えねばなりません。主人公・司は、宗教団体「大智の会」の中心人物である妙子から、「白鳥の歌」の伝説について教わります。

 

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妙子「白鳥は死ぬ間際に一声だけ美しく啼くという伝説がありますが、ご存じですか?」
 
司「ええ。随分古くから伝わるお話ですよね。僕はハイネの詩で知っています」
 
妙子「そうです。しかし、実際には、たとえ最期のときだとしても、白鳥は美しい声なんか出すことは出来ませんでしょう? そんなことは、伝説が生まれた時代にだって、普通に観察をしていればわかることです。それなのに、なぜこんな伝説が生まれて、語り継がれているのかと、考えたことはございますか?」
 
司「さあ、なぜなのでしょうか?」
 
妙子「私は思うのです。一生をあの絞め殺される寸前のような醜い声でしか啼けないとするならば、白鳥の声というのはみじめで救いのない声になってしまいます。でも、最後に美しい声で歌えるという物語をそこに作れば、たとえ誰もが嘘だと知っていたとしても、そこに希望を見いだすことが出来るのです。この伝説をモチーフに取り入れた先達は、それぞれの自分なりの思いをこの夢の歌に見ています」
 
妙子「……いや、嘘だと知っているからこそ、そこに隠された願いが、実際に聞こえている白鳥たちの鳴き声の醜ささえも美しく輝かせるのでしょう。それは見るものの心次第で色を変える孤独な美しさなのかもしれませんが。……私はこのありかたこそが、祈りの本質だと考えています。切実なのに空虚で、哀しくはありますが、必要なのです」
 
白鳥は死ぬ間際に一声だけ美しく啼くという伝説がありますが、これはただの伝説です。実際の白鳥は死ぬ間際に美しく啼くことができず、むしろその啼き声は醜くすらあります。しかし私たち人間は、白鳥は死ぬ間際に美しく歌うというフィクションを創造することができます。そして人間は、自分たちが創造したフィクションによって、白鳥の死に希望を見いだすことができるというお話です。
 

絶望に抵抗した男

 
SWAN SONG』教会ENDのエピローグで、司と柚香は、快晴の夜明けを迎えます。この快晴の夜明けは、『SWAN SONGのプロローグが雪の降る暗夜だったこととは対照的ですね。
 
不幸により左腕を失い、血まみれになった司は、柚香と一緒に教会を訪れます。震災で教会は崩壊し、自閉症児のあろえは瓦礫の下で絶命していました。あろえは天才的な能力により、バラバラに壊れたキリスト像を復元して残しました。司は柚香に、あろえが復元したキリスト像を立てることを提案します。
 

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司「見てくださいよ、この像を。あちこち歪んでますよね。なんだか不気味でさえあります
 
柚香「……」
 
司「でも僕、これは好きだな。宗教的なものって、どっちかと言うと嫌いなんですけど、でもこれは悪くないです。やっぱりそれは、あろえが手で一つ一つ貼り付けたからだと思うんですよね。綺麗ではないけれど、すごく、いいと思うな
 
柚香「何が言いたいんですか?
 
柚香は、いつの間にか僕を見つめている。ちょっと怒っているようだ。
 
司「それくらい、わかってくださいよ
 
僕は困った顔を作る。
 
あろえが復元したキリスト像は、先程解説した「白鳥の歌のようなものだと思います。実際の白鳥は美しい歌を歌いませんが、そこに人間の思いが加わると鳴き声が美しく輝く。それと同じように、あろえが復元したキリスト像は歪んでいますが、司の認識では素晴らしい像に思える。
 
もっとも、白鳥が美しい歌を歌うのは嘘だと大勢の人々が内心思っている反面司はキリスト像を心の底から素晴らしいと思っているという違いがあります。キリスト像は素晴らしいという司の思いは、凡庸な「信仰」を通り越した天才の「信念」だと思います。
 
SWAN SONG』の作中では、ピアノの才能に関して言うと司は天才で、柚香は凡人として描かれています。そして残酷なことに、人生観についても司は天才で、柚香は凡人です。司は宗教的なものに頼ることなく、人生や歪んだ像を心から素晴らしいと思える卓越した人生観を持った男です。一方、柚香は過酷な現実に絶望しており、人生や歪んだ像を良いと思えません。
 
教会ENDのラストでは、柚香の深刻なニヒリズムと、司と柚香の心の断絶が描かれています。天才である司は凡人である柚香の弱音を否定し、人生を肯定しました。既存の宗教に頼らない司の信念が、教会ENDでは孤独に輝きます。

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補説:『キラ☆キラ』きらりノーマルENDとの比較

 
SWAN SONG』の教会ENDは、『SWAN SONG』と同じく瀬戸口廉也がシナリオを担当した『キラ☆キラ』のきらりノーマルENDにテーマが似ています。きらりノーマルENDは、『SWAN SONG』の教会ENDと同じく、光の溢れる空間で終わります。きらりノーマルENDでは、主人公・鹿之助がありのままの世界を受け入れ、肯定します。
 

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この、くそったれな世界に、精一杯の愛をこめて。
 

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よく読んでみると、『SWAN SONG』の教会ENDと『キラ☆キラ』のきらりノーマルENDには、微妙な違いがあります。教会ENDで司は「人間」や「人生」を肯定しましたが、「世界」とはあまり打ち解けていないように思います。司はキリスト像を立てながら、「世界」と和解するどころか「世界」に抵抗する意志を見せています。教会ENDで司は徐々に感覚を失い、まぶしい世界を直視できなくなり、結局司の心と「世界」は融和せずに終わります。
 
教会ENDの司は理不尽な「世界」に抵抗しながら進みますが、きらりノーマルENDの鹿之助はくそったれな「世界」を受け入れて進みます。ここが教会ENDときらりノーマルENDの違いだと思います。
 
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この記事はarto様のホームページを参考にして執筆しました。arto様、コメントにお返事をして頂きありがとうございました。