かるあ学習帳

この学習帳は永遠に未完成です

『SWAN SONG』トゥルーENDを再評価する。

18禁ノベルゲームSWAN SONGには、2つの結末が用意されています。「教会END」と「トゥルーEND」です。教会ENDは悲劇的な結末を圧倒的な迫力で描いており、読み物としての評価が高いです。一方、トゥルーENDはささやかな生活芝居をあっさりした文章で紡いでおり、読み物としての世評はあまり高くありません。今回は、教会ENDと比べて低評価されがちなトゥルーENDを再考し、トゥルーENDの価値を高めようと思います。

 

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SWAN SONG
シナリオ:瀬戸口廉也
原画:川原誠
(C)2005 SWAN SONG制作委員会
2005年7月29日発売
 

メタファーとしての「雪」

 
SWAN SONG』の物語の舞台は、雪に覆われた被災地です。巨大地震によって瓦礫と死体が散乱した大地を、白い雪が覆っています。
 
SWAN SONG』では、極限状態に置かれた被災地の人々の言動が、リアリズム溢れる筆致で描かれています。魔法や妖怪のようなオカルトは、『SWAN SONG』には登場しません。『SWAN SONG』は、非常に現実的な物語であるように見えます。
 

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しかし、雪や天候に関する描写には、ちょっと現実味がありません。昼間になっても、世界が薄暗い。2月の半ばになっても、異常な寒さが続いている。4月が近付いても雪が降り続いており、春の若芽が顔を出さない。この氷河期のような異常気象は、さすがに非現実的ですね。
 
SWAN SONG』の非現実的なまでの異常気象には、何か意味があるのでしょうか。ライターの瀬戸口氏は、長引く寒さや降雪に、何か意味を持たせているのでしょうか。どうやら、そうらしいのです。そのことは、教会ENDでの柚香の発言から窺い知れます。
 

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柚香「(中略)きっと私の心のなかはこの街と同じなんです。グロテスクな廃墟を、冷たい雪が覆い隠して、そして全てを拒絶しているんです
 
この発言から察するに、SWAN SONG』の世界を覆い尽くす雪は、世界を拒絶する心の壁の象徴でしょう。自分の本心をさらけ出せず、ありのままの世界を受け入れない人間の心の冷たさが、雪に象徴されているのでしょう。
 

氷河から大地へ

 
SWAN SONG』トゥルーENDでは、快晴の青空の下で、大地を覆う雪が溶けそうになります。このことは、世界を拒絶する柚香の心が変わり始めていることを示唆していると思います。
 

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司「一ヶ月もすれば、雪は全てなくなるでしょうね」
 
柚香「それまでずっと沢山の死体が雪の下で眠り続けるんですね
 
 突然といえば突然の言葉に、僕は驚いて彼女を見た。しかし彼女は前を眺めたまま、普通の表情をしている。
 
司「そうですね」
 
柚香「雪が溶けたら、止まっていた彼らの時間がまた動き始めてしまうんですね
 
司「そうなりますね」
 
柚香「私、どうしても想像してしまうんです。いまは氷のなかで綺麗なままの人たちも、暖かくなりはじめて剥き出しになったらって。どうなると思いますか?
 
心に深いニヒリズムを抱える柚香は、ありのままの自分の心、ありのままの世界が剥き出しになるのをためらいます。雪が溶けて露出した大地に醜い瓦礫や死体が転がっていることが象徴しているように、ありのままの自分の心、ありのままの世界はグロテスクなものだと柚香は思っているでしょう。だから柚香は雪が溶けることを恐れるし、全てがさらけ出されることを恐れます。
 

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司「まあ、雪が溶けないのなら、氷の上で生きてゆく方法を考えるだけです。溶けたのなら、違うやり方があるはずです。どちらでも一生懸命やるだけですよ」
 
柚香「……」
 
司「あ、でも、わがままを言わせてもらえば、溶けてくれないと困るかもしれません
 
柚香「困る?」
 
司「ええ、凍り付いた大地の上じゃ、ひまわりが育ちませんから
 
強靭な心を持つ司は、柚香と違って、雪溶けを受け入れます。そして、雪が溶けて露出した大地にひまわりの種を撒こうとします。ひまわりの種は、ありのままの世界をポジティブなものに作り変えようとする司の意志の象徴でしょう。雪が溶けたありのままの大地が荒れ果てているのならば、そこにひまわりの種を撒けばいい。ありのままの自分の心、ありのままの世界がグロテスクならば、その醜さをを改善する意志を持てばいい。だから、ありのままの自分の心、ありのままの世界が剥き出しになるのは、怖くない。
 
 僕には彼女がいま何を思っているのかわからないけど、それがいいことだったら、凄くいいなと考えている。
 
他人の気持ちがわからない司は、もちろん柚香の気持ちがよくわかりません。しかし、司も柚香も雪解けした大地を受け入れ、心を開いてありのままの自分や世界を迎え入れれば、同じ空の下、歩み寄ることができるのではないでしょうか。そこから、みんなで世界をポジティブなものに作り変えればいい。
 

トゥルーENDの意義

 

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いかがだったでしょうか。トゥルーENDの内容は、確かに教会ENDと比べてあっさりしていると思います。しかしトゥルーENDでは、「柚香のニヒリズムの救済」「司と柚香が歩み寄る可能性」「ありのままの世界を受け入れること」が描かれています。この3つは、教会ENDが挫折した項目です。
 
教会ENDでは柚香のニヒリズムは救済されなかったし、司と柚香の心の断絶が描かれたし、司と柚香はありのままの世界からも隔絶されていました。しかしトゥルーENDでは柚香のニヒリズムがにわかに救済され、司と柚香が歩み寄る可能性が示唆され、ありのままの世界を受け入れる用意が整えられました。つまりトゥルーENDは、教会ENDの不備を補完する役割を担っていると解釈できるわけです。
 
トゥルーENDでは、教会ENDよりも簡潔な文章で、教会ENDの挫折が補完されています。ものは言いようですが、「トゥルーENDはあっさりしている」ということは、そのぶんだけ文章が簡潔だということです。そして、少ない文章量で、教会ENDの補完が果たされています。この長所は称賛に値するでしょう。トゥルーENDは、再評価されるべきだと思います。