かるあ学習帳

この学習帳は永遠に未完成です

ミヒャエル・エンデ『モモ』第二部を読んだ。

前回は『モモ』第一部の感想を書いたので、今回は『モモ』第二部の感想を書きます。今回は構成の都合上、『モモ』の重大テーマである「時間の節約」について書くことができませんでした。時間の節約については次回書く予定です。
 

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『モモ』

1976年初版発行
 

時間には弾力がある

 
『モモ』第二部の冒頭では、時間について説明されています。
 

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 時間をはかるにはカレンダーや時計がありますが、はかってみたところであまり意味はありません。というのは、だれでも知っているとおり、その時間にどんなことがあったかによって、わずか一時間でも永遠の長さに感じられることもあれば、ぎゃくにほんの一瞬と思えることもあるからです。
 なぜなら、時間とはすなわち生活だからです。そして人間の生きる生活は、その人の心の中にあるからです。(p.75)
 

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『モモ』の時間に対する考え方は、「トポロジーと呼ばれる考え方に近しいように思いました。私は数学に詳しくないので説明が間違っているかもしれませんが、トポロジーでは時間に「弾力性」を想定します。例えば「一時間」という時間の幅があるとしたら、その一時間という幅には、ゴムのように伸び縮みする弾力があると想定するのです。*1
 
同じ一時間でも、伸びに伸びて永遠のように長く感じられることがあるし、逆に縮むに縮んで一瞬のように短く感じられることがある。時間とは人の生活であり、人の心境次第で伸びたり縮んだり感じられるものだ……というのが、『モモ』的な時間論なわけです。
 

やりすぎなおもちゃ批判

 
『モモ』では、リモコンで走る戦車(いわゆるラジコン?ですね)や、歩いたり頭が回転したりするロボットなどのおもちゃが批判されています。『モモ』では現代的なおもちゃが批判されているのですが、この批判は辛口すぎでは?と思いました。
 

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ごくさいきん始まったばかりのことなのですが、子どもたちが、そんなものを使ってもほんとうの遊びはできないような、いろいろなおもちゃを持ってくることが多くなったのです。たとえば、リモコンで走らせることのできる戦車ーでも、それ以上のことにはまるで役に立ちません。あるいは、細長い棒の先でぐるぐる円をかいて飛ぶ宇宙ロケットーこれも、そのほかのことには使えません。あるいは、目から火花をちらして歩いたり頭をまわしたりする小さなロボットこれも、それだけのことです。
(中略)とりわけこまることは、こういうものはこまかなところまでいたれりつくせりに完成されているため、子どもがじぶんで空想を働かせる余地がまったくないことです。(pp.98-99)
 
ラジコンの戦車や可動するロボットなどのおもちゃでは「ほんとうの遊びはできない」し、「子どもがじぶんで空想を働かせる余地がまったくない」らしいのですが、この批判は厳しすぎでしょうw
 
ラジコンやロボットのおもちゃで遊ぶのも、子どもの心を育てるれっきとした遊びだと私は思います。また、完成された戦車やロボットのおもちゃでも、子どもによっては塗装したり改造したりして遊ぶ子どもがいるのではないでしょうか。ですので、空想を働かせる余地が「まったくない」とは言い切れないと思います。上述のおもちゃ批判を鵜呑みにするのは、時代錯誤だと思いますね。
 

「付属品商法」への批判

 
『モモ』第二部では、「灰色の紳士」という怪しい男が、モモにお人形遊びを提案します。「ビビガール」「ビビボーイ」というしゃべるお人形に、アクセサリーや家電などのアイテムをあげる遊びを、灰色の紳士は提案します。
 

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「これはビビボーイだよ! この人形にもやっぱり、たくさん、たくさんの付属品がある。そしてもしこれにもあきてしまったら、こんどはまたビビガールの女友だちがいるんだ。その人形にも、彼女だけに合う専用の持ちものがある。ビビボーイにも男の友だちがいて、それがまた男と女の友だちを持っている。どうだ、これでわかっただろう。もうけっしてたいくつするなんてことはいらないんだ。いくらでも新しいものがあるんだから。それにほしいものなら、考えればまだまだあるはずだよ。」(p.123)
 
ビビガールにはビビボーイという姉妹品があって、ビビガールとビビボーイにはそれぞれまた別の姉妹品の人形がある。しかも、それぞれの人形にはたくさんの付属品がある。だから、ビビガールの関連商品を集めるのにはきりがない……というわけです。このビビガールにまつわる挿話でも、現代的なおもちゃ遊びが批判されていると思いますが、この批判はその通りだと素直に思いました。
 

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話が少し逸れますが、今の日本で売られている仮面ライダーの関連商品も、『モモ』のビビガールと同じような売り方がされていると思うんですよね……。まず、仮面ライダーの変身ベルトがあって、その変身ベルトに取り付ける変身アイテムが何種類もある。また、変身ベルトに連動する仮面ライダーの武器もたくさんある。だから、一旦買いだしたら果てしなく思えるくらいだ。こういう商品展開はかなり拝金主義的だと思いますが、こういう商法が『モモ』で否定的に描かれているのは、読んでいてスカッとしました。
 
 
……『モモ』は時間の節約に対する批判で有名な児童文学ですが、玩具業界への批判もそれなりに興味深いと思います。では、今回はこの辺で!

*1:参考文献:フィリップ・ヒル(新宮・村田訳)『ラカン』、ちくま学芸文庫、二〇〇七、一九六頁。