かるあ学習帳

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『眠れぬ羊と孤独な狼』眠れぬ羊ルート考察~暴力は意味に先行する~

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『眠れぬ羊と孤独な狼』

シナリオ:昏式龍也
原画:のりざね
2017年12月22日発売
 

死はあらゆる瞬間に可能である

 
『眠れぬ羊と孤独な狼』の主人公・村木武生は、不眠症に悩まされる殺し屋である。「いつでも誰かに殺されるかもしれない不安」が、村木にとって不眠をもたらす「毒」だ。京都アニメーション放火事件などを見ればわかるように、人は時として、突然に何者かに殺害される。唐突な死。他者からの暴力。それらが村木を不安にさせる。
 

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 いつでも誰かを殺せる力を実感することだけが、いつでも誰かに殺されるかもしれない不安ーー俺に不眠をもたらす毒を、つかの間だけ癒やしてくれるから。
 
 あのホストが、一秒前までは想像すらしていなかった突然の死を俺から与えられたように。それは、驚くほど突然に誰の身をも襲うのだと俺は知っている。
 
 だから俺は、いつでもそれを恐れながら生きている。
 
ハイデガーの『存在と時間』によれば、死はあらゆる瞬間に可能である」道中ですれ違った他人や電車で隣に座った他人に、いつでも誰もが殺されうる。しかし、ありふれた人々は、自分は当分の間は死なないという根拠の無い虚構を信じ、安らかな眠りにつく。しかし村木は、「死は確実にやってきはするが、しかし当分はまだやってきはしない」ということが虚構だということを痛切に弁えている。だから村木は、軽傷ではいられない。
 

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 ひとは言う、死は確実にやってきはするが、しかし当分はまだやってきはしない、と。この「しかし……」でもって世人は死の確実性を否認している。(中略)こうして世人は、死の確実性に特有なこと、すなわち、死はあらゆる瞬間に可能であるということを、隠蔽してしまう。*1
 
村木が身を置き、恐怖するのは、ありふれた人々が信じる虚構を取り払った、剥き出しの暴力の世界である。
 

暴力は意味に先行する

 
剥き出しの暴力が横行する世界の住人である村木は、力の重要性を知悉している。この世界には様々な暴力が存在する。私たちは意味や理由や刑罰を、暴力が発生した後になって貼り付ける。
 

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 重要なのは“理由”じゃなく、それを為しうる“力”の方だということを、俺はよく知っている。理由はいつも、それが起こった後を虚しく追いかけてくるだけだと。
 
 俺たちは圧倒的な現実に対して常に後手を強いられ、浅知恵で意味や理由という本当に合っているかどうかもわからないラベルを貼りつけることしかできないのだ。
 
この思想は、『Maggot baits』で無名の魔女が語った思想の延長上に位置しているのではなかろうか。無名の魔女によれば、「意味不明で無価値な愚行だろうと、貫く力がそこに意味を与える」。無名の魔女の思想からは、貫く力が先に生じ、その後で意味が随伴するかのような印象を受ける。村木の思想でも暴力が先行し、その後で意味や理由が付け加えられる。
 

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無名の魔女「行為に意味を与えるものは、ひとえにこめられた質量だけよ。意味不明で無価値な愚行だろうと、貫く力がそこに意味を与える…与えてしまうの」
 
(ここから先には、『眠れぬ羊と孤独な狼』眠れぬ羊ルートのネタバレが含まれています)

 

因果性の解体

 
死や暴力と親しい間柄である村木は、事象の因果性に対して懐疑的である。村木は十三歳の春、母親と姉を殺害された。殺害したのは、未成年の少年である。少年は村木の姉に一目惚れし、村木の姉の後をつけた。少年は衝動的に村木の母を殺害し、村木の姉を強姦し殺害した。この事件を起こしたのは、あくまでも少年の突発的な衝動である。意味に先行する衝動と暴力が、村木に懐疑の種を植え付けた。
 

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 母親と姉にも落ち度は何一つない。ただ普段どおりの日常生活を送っていただけにもかかわらず、最悪の運命に見舞われ死んでしまった。
 
 俺の中で何かが揺らいだ。今まで常識として踏みしめていた世界の輪郭が、急に不確かで疑わしいものに思えてきた。
 
 そんな理不尽が当然なら、この世に理とは果して存在するのか。一人の人間が生きていることの裏付けは、単なる偶然の集積でしかないのではないかーーと。
 
もしかしたら、この世界や人の生は偶然の集積でしかないのではないか。ありふれた人々が偶然の集積に後から意味を付け解釈し、それらしい必然性や物語が生まれているだけなのではないか。恐るべき疑念である。
 

日常性と因果性を解体する

 
『眠れぬ羊と孤独な狼』はその名の通り村木という羊とあざみという狼の物語だが、この物語には「ハイエナ」が登場する。東儀衛に関わる秘密を追いかける裏社会の名もなき人々や悪徳刑事の紗雪が、“噂”を追うハイエナと呼ばれている。東儀によれば、ハイエナどもにとっては「見えない真実はどうでもいい」。ハイエナどもは「ただ見えている噂だけを追いかける」。
 

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東儀「東儀衛に関わる秘密を持った男が殺された。女がそれを奪って逃げた。その女は今どこにいる……と、ハイエナどもの口から口に伝わってな」
 
東儀「奴らにとって見えない真実はどうでもいい。ただ見えている噂だけを追いかける。裏の世界に生きていれば、嫌というほどわかるだろう」
 
意味に先立つ鮮烈な現実に身を浸している村木やあざみとは違って、ハイエナどもはこの世の真理からは遠ざかっている。ハイエナどもにとってこの世の真理はどうでもよく、真理から遠ざかった空談がハイエナどもの餌だ。ハイエナどもは好奇心に従い、空談に群がる野獣である。
 

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『眠れぬ羊と孤独な狼』眠れぬ羊ルートで遂行された抗争劇は、海江田の策略によって「中国人組織による襲撃事件」という「物語」として人々に受け容れられた。しかし、抗争劇の渦中には中国人ではない村木とあざみが関わっていたことを私たちは知っているし、人々に受け容れられた物語は生々しい暴力沙汰の後で生み出された虚構であることも私たちは知っている。中国人組織による襲撃事件」という物語は、真実から遠ざかった空談なのである。
 
抗争劇の末、歌舞伎町には平穏な日常がもたらされた。そしてありふれた人々は物語をいともたやすく信じる。しかし、その「日常」や「物語」とやらは疑わしいものだ。なぜなら、平穏な日常がもたらされたところで、死は依然としてあらゆる瞬間に可能なのだから。そして、物語は所詮人間の産物であり、全ては偶然の集積にすぎないのかもしれないのだから。

*1:ハイデガー(原・渡邊訳)『存在と時間II』、中公クラシックス、二〇〇三、三〇六頁。