かるあ学習帳

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方法序説~どうすれば「何万文字もする長文記事」が書けるのか~

「何万文字もする長文記事」への憧れと達成

 

はてなブログの世界には、すごい人がたくさんいます。

 
毎日休まずに更新を続けている人。最新のテレビアニメをディープに考察している人。楽しい文章で人々を笑わせている人。読者数を500人以上獲得している人。小説やイラストを創作するのが上手い人。……など、ブログもまだまだ捨てたもんじゃないなあと思わせるすごい人々がはてなブログの世界には溢れています。
 
そんな中でも私が特にすごいと思うのは、「『何万文字もする長文記事』を書けて、しかもその長文を大勢の人々に評価されている人」です。
 
大学の卒論か!?と思ってしまうような大作長文記事を構成する能力。長文に大勢の人々を集める人望とカリスマ性。長文を高評価されるほどの文才。角が立つので具体的に誰だとは言いませんが(笑)、これらの能力を兼ね備えているブロガーは本当にすげえなあと思っています。私はいっとき学者に憧れていた事があるので、長文が上手い人を尊敬しているんだろうなあ。
 
そんな私ですが、先月『終ノ空の考察を2万字超えの長文で書き終わりました。有り難い事にこの『終ノ空』の考察には、今でも大勢のアクセスを頂いています。本当はあともう1ランク上の文章を書きたかったし、あともう1ランク上の反響を期待していたのですが(←欲深い)、私の実力不足で今一歩及ばず……でしたねwそこは今後の課題としておきましょう。
 
今回は、ブログ新参者の私がどうやって2万字超えの長文記事を書いたのかについて、気ままに書き残してみます。誰かの参考になったらいいな。
 

文章術としての『方法序説

 

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私が2万字超えの長文を書く際に参考にしたのは、デカルトの『方法序説』第2部です。デカルトは数学の難問を解決するため、4つの規則に従ったと言っています。*1
 

f:id:amaikahlua:20210110150143p:plainデカルト(1596~1650)

1、明証性の規則……疑う余地が全く無いほど明晰かつ判明に精神に現れるもの以外は、何も自分の判断の中に含めないこと。
2、分析の規則……難問をできるだけ多くの、しかも問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分割すること。
3、総合の規則……もっとも単純でもっとも認識しやすいものから始めて、少しずつ、もっとも複雑なものの認識まで昇っていくこと。
4、枚挙の規則……すべての場合に、完全な枚挙と全体にわたる見直しをして、なにも見落とさなかったと確信すること。
 
哲学者の古賀徹は『愛と貨幣の経済学』で、デカルトの4つの規則は文章術にも応用できることを指摘しています。4つの規則は、数学の難問を解くためだけではなく、文章を構成するためにも使える。興味深いですね。*2
 

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十七世紀に活躍したフランス生まれの哲学者であるデカルトは『方法序説』において、ものごとを正確に認識する学問の方法として、複雑な対象をできる限りの小部分に分割すること(分割)、その分割された最小のものを明晰・判明にじかに観ること(明晰・判明)、そのように直観されたものに順序を仮定すること(順序の仮定)、こうして順番に配置されたものがなにかを取り落としていないことを確認すること(レビュー)という四つの規則を挙げています。
 こうしたデカルトの四つの規則がそのままテクストを構成する方法であることに注意しましょう。*3
 
例えば『終ノ空』というゲームのシナリオは、4人の登場人物の視点と2つのエンディングに分かれています。ですので、考察対象を6つに分けます(分割)。そして、考察対象について間違いなく言い切れそうなことをひねり出します明晰・判明)。さらに、思い付いた考察を、重要性やゲームのシナリオの順序に合わせて配列します(順序の仮定)。最後に、考察の抜けているところをできるだけ埋めていきます(レビュー。こうしているうちに私は、2万字超えの『終ノ空の考察を完成させました。
 
ついでに、去年の『群像』2月号で東浩紀さんが話していた文章術も参考にしました。東さんは2000字くらいの文章で1つのブロックを作り、ブロックを組み合わせて文章を構成しているようです。この書き方は、字数を稼ぐのに便利そうですね。
 

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東:僕は自分の批評では、二千字ぐらいで一つのユニットにして、それをブロックみたいに組み合わせて文章をつくっています。*4
 

「何万文字もする長文記事」のリスク

 
ここまで書いておいてこう言うのもアレですが、何万文字もする長文記事を書くのは疲れますし、書き終わった後の誤字チェックなどもしんどいです。何万文字もする長文記事は書く側がしんどいだけでなく、読む側もしんどい。何万文字もする長文記事は、ブログを見に来て下さった読者様にも、多大な「読む負担」を与えると思います。
 
ここだけの話ですが……。私は去年、(マジで、常軌を逸脱したレベルで)天文学的なくらい文字数が多い記事が書いてあるブログを発見しました。Twitterでこっそりそのブログの評判を覗いたら、「文字がたくさんあって読みづらい」「この文章、最後まで読み終わった奴いるの?」とか、散々な言われようでした。まあそうですよね。クッソ長い文章を読んでウンザリするのは、お客様として当然の反応だと思います。
 
何万文字もする長文記事を書いて成功するのは、少なくとも私にとっては魅力的な栄光です。しかし、何万文字もする長文記事を公表するのには、少なからずリスクが伴うと思います。何万文字もする長文の他にも魅力的な書き方はいくらでもあるはずで、何万文字もする長文を書く前には「その書き方は最適解なのか」をよく考えた方が良いと思いますね。私は熟慮の末、『終ノ空の場合は大長編の考察にした方が良いと結論し、長文記事の公表を決断しました。
 
何万文字もする長文記事を書いて失敗したら、ネット上に巨大な「活字の屍の山」を残すことになるかもしれない。その覚悟が、あなたにはあるだろうか。

*1:デカルト(谷川多佳子訳)方法序説』、岩波文庫、1997、pp.28-29

*2:デカルト本人も、4つの規則が数学以外の諸学問にも有効に適用できる事を期待していた

*3:古賀徹『愛と貨幣の経済学』、青灯社、2016、pp.68-69

*4:東浩紀大澤真幸山城むつみ「いま批評を書くとはどういうことか」(『群像』2020年2月号)