村上龍『69 sixty nine』書評~徹底化された反骨精神~
文春文庫
2007年8月10日初版発行
反権力な自伝的小説
今の村上龍はテレビ番組で経済人と対談する社会派キャスターであ り、過去に多くの文学賞を受賞し一世を風靡した作家…… と言った具合のイメージが持たれている人物だと思います。 村上龍が昔書いた本をよく読んだ事が無い人は、「 村上龍ってなんか偉そうで権威がありそうなオジサン」 みたいに思っているのではないだろうか。
拾い画。
しかし、 村上龍は高校時代に学校の屋上をバリケード封鎖して処分された問 題児であり、 反社会的な小説を書いて尾崎豊にリスペクトされた事のある、 札付きの健康優良不良青年でした。『69』には、村上龍が青春時代に主導したバリケード封鎖や「朝立ち祭」の様子が詳しく書かれています。当時の村上龍の反権力な人柄や作風が良く表れた小説でした。
この小説では、教師や刑事や優等生など、 権力の手先の事が徹底的に悪く書かれています。 バリケード封鎖の翌日に「僕」 の胸ぐらを掴んで泣いた生徒会書記長が、 京大在学中に赤軍派に入って逮捕されたのには笑いました。
権力を拒む文体
私はこの小説を読んで、「面白いけど文学的価値が低そうな文章だな」と思いました。 村上龍の代表作である『限りなく透明に近いブルー』や『 コインロッカー・ベイビーズ』 などと比べて文章がふざけすぎていて、 これでは何の文学賞にも通らないだろうと思いました。 それもそのはず、『69』は「群像」や「文学界」 のような文芸誌ではなく、「MORE」という雑誌( たぶんファッション誌だよね?)に連載された小説だそうです。
こう書くと、私が「『69』 は文学的価値が低そうな小説だから悪い」 と思っているように聞こえるかもしれません。いいえ、逆です。「 『69』 は文学的価値が低いぶんだけ権力に吸収されにくいから良い小説だ 」と私は思っています。芥川賞や野間文芸賞のような文学賞は、 有名で実力のある作家センセイという権威が選考しています。 つまり、文学賞を受賞した小説は、嫌な言い方をすると「 権力がある大作家センセイに気に入られた小説」 だと言う事になります。
『69』 は教師や優等生のような権力の手先に対する反抗を描いた小説です から、この小説が権力者に評価されたり、 賞を受賞して権威あるブンガクになったら、 いささか矛盾していると思います。権力に反逆する小説なら、 権力に吸収されにくい文体にした方がカッコイイと思う。 その点で、この小説は文体まで徹底してる。 村上龍がどこまで意識的にやっている事なのかはよくわかりません が、 この小説はとにかく権力を受け付けないようになっていると思いま す。
今、「うっせぇわ」という曲が流行っています。 この曲の難儀なところは、 最新の流行を追う事や上司に対する嫌悪感を歌っているのに、 この曲自体が流行や中高年に吸収されているところだと思います。 「うっせぇわ」は今、 メチャクチャ流行って再生回数を増やしているし、「うっせぇわ」 のLINEスタンプなんかも出てる。そして、 テレビの音楽番組を観ると、中高年のミュージシャンが「 うっせぇわ」をカバーしたり、中高年のタレントが「うっせぇわ」 を楽しそうに聴いていたりする。これでいいのか? だって最新の流行や中高年って、「うっせぇわ」の敵じゃん。
最新の流行や中高年に敵対しているのに最新の流行や中高年に吸収 され消費されている「うっせぇわ」って、 これでいいのかなと思う。一方、『69』 は権力に敵対しているだけでなく、 文学的価値が低いので権力に吸収されづらい小説だと思う。 この徹底化された反骨精神、最高にロックだぜ。 考えすぎな気がしますが、『69』という題名は「ろっ(6)く( 9)」という語呂合わせを意識しているのかもしれませんね。