かるあ学習帳

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「親殺し物語」としての逆転裁判

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やべぇ、『逆転裁判123』と『逆転検事2』は「親殺し物語」だと解釈できることに気付いてしまった。まず最初に、「親殺し」という物騒な言葉の定義を与えなければなるまい。「親殺し」というのは、父親や母親を物理的に殺害することである。それに加えて、父親や母親の存在を心の中で乗り越えることも、私は「親殺し」と呼びたい。心の中で父親や母親から自立したり、離別したりすることも、本稿では「親殺し」と呼ぶことにしよう。
 
(!!!ここから先には『逆転裁判123』『逆転検事2の重大なネタバレが含まれています。閲覧は自己責任でお願いします!!!)

 

 
 

逆転裁判123』:壮大な〈父親〉殺しと〈母親〉殺し

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逆転裁判1』には、名門と言える2つの家柄が登場する。狩魔家と綾里家である。私が観察した限り、狩魔家と綾里家は対照的な名門である。狩魔家は御剣や狩魔豪など、検察側の登場人物に縁が深い名門である。その一方、綾里家は千尋や真宵など、(どちらかと言うと)弁護側の登場人物に縁が深い名門と言えるだろう。さらに、狩魔家は、狩魔豪という〈父親〉が強大な権力を握る父権社会である。その一方、綾里家は、綾里舞子という〈母親〉が家元を務める母権社会である。逆転裁判1』の第4話では、狩魔豪という〈父親〉が有罪判決を受け、「殺害」されることになる。
 

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狩魔豪は『逆転裁判1』の第4話で退場するのだが、豪という〈父親〉が子供たちの心に刻んだ影響は大きかった。逆転裁判2では、幼少期から豪に育てられた御剣と冥が〈父親〉の呪縛から解放されるまでの過程が描かれている。御剣は放浪の旅の末、豪が求めた「カンペキな勝利」ではなく、「カンペキな真実」を追求することになる。そして『逆転裁判2のラストでは、冥が豪という〈父親〉に依存していたことに気付き、心を改める。要するに逆転裁判2』は、検事たちが狩魔豪という〈父親〉から自立する=〈父親〉を精神的に殺害する物語だったわけだ。
 

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逆転裁判3』には、ゴドー検事が登場する。ゴドーは、御剣・豪・冥とは違って、狩魔家にほとんど接点が無い人物である。代わりに元弁護士のゴドーは、綾里家と深い接点を持っている。ゴドーは『逆転裁判3の第5話で綾里舞子を殺害した張本人である。舞子は綾里家の家元であり、千尋・真宵の実の〈母親〉だ。つまりゴドーは、〈母親〉殺しの黒幕なのである。
 

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逆転裁判3』のラストでは、真宵が綾里家の家元を継ぐことになる。千尋によれば、家元を継ぐことは母親との別れを意味しているそうだ。つまり真宵は、家元を継ぐことによって舞子という〈母親〉から自立した=〈母親〉を精神的に殺害したと解釈できる。逆転裁判3』では舞子という〈母親〉がゴドーによって物理的に殺害され、〈母親〉の存在は真宵によって精神的にも乗り越えられるに至ったのである
 

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では、これまでの考察をまとめてみよう。まず、『逆転裁判1』では狩魔家という父権社会と綾里家という母権社会が提示され、狩魔豪という〈父親〉が退場した。続く『逆転裁判2では検事たちが豪という〈父親〉の支配から精神的に独立し、父権社会が克服された。最後に『逆転裁判3では綾里舞子という〈母親〉がゴドーによって殺害され、母権社会の家元は〈母親〉ではない真宵が継承することになった。
 
こうして我々は恐るべき結論に到達する。成歩堂三部作」と呼ばれる『逆転裁判123』は、〈父親〉殺しと〈母親〉殺しの過程を描いた、壮大な「親殺し物語」だったという結論に。
 

逆転検事2』:〈父親〉の大量虐殺

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逆転検事2逆転裁判本編から外れたスピンオフ作品なのだが、「親殺し」という観点からすると看過できない代物だ。逆転裁判2では検事たちによる〈父親〉の克服が描かれたのだが、『逆転検事2』ではそのテーマがさらに徹底化されているからだ。逆転検事2』で行われるのは、〈父親〉の大量虐殺である。ラストの伏線回収劇にしろ、〈父親〉殺しにしろ、『逆転検事2は過剰すぎて個人的に好きになれない。しかし、『逆転検事2は紛れもなく優秀な作品なのだろうとは思う。
 

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逆転検事2』をプレイして印象的なのは、この作品にはたくさんの〈父親〉が登場するということである。怜侍の父親である御剣信。冥の父親である狩魔豪猿代草太の父親である風見豊。内藤馬乃介の父親である氷堂伊作。弓彦の父親である一柳万才。シモンの父親である王帝君。ロウ捜査官の父親である大龍。部下たちに「師父」と呼ばれているロウ捜査官も、ある意味では〈父親〉だと言えるかもしれない。逆転検事2』には数多くの〈父親〉が登場し、彼らの殆どは物理的ないしは精神的に「殺害」されていく。
 

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逆転検事2』の第5話では、おバカ検事である弓彦が、〈父親〉である万才の支配から独立する。弓彦は〈父親〉殺しに成功し、精神的に大きく成長する。その一方で、物語の黒幕である猿代草太は、〈父親〉との繋がりから逃れることができなかった。猿代は、自分が凶悪犯罪者・風見豊の息子であることを知らず、知らないうちに〈父親〉と同じように卑劣な犯罪に手を染めていた。猿代は〈父親〉と同じ轍を踏み、身を滅ぼすことになった。この結末では、「〈父親〉を乗り越えることによって成長した息子=弓彦」と「〈父親〉との繋がりから身を切り離せず破滅した息子=猿代」が対照的に描かれている。
 

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そして極めつけは、『逆転検事2』のラストである。御剣は〈父親〉である信と同じ弁護士になることを拒絶し、検事として生きる決意をする。逆転裁判2で義父のような存在である狩魔豪から解放された御剣は、『逆転検事2』で実の〈父親〉である信とも違った生き方をすることを望んだのだ。こうして御剣は、2人の〈父親〉から自立した大人として生き始め、御剣の〈父親〉殺しは完遂されたのである。もっとも御剣によれば、検事の道と弁護士の道は究極的には分かれていないらしいのだが。
 

優れた物語には「無意識的な深層」がある

以上の理由で『逆転裁判123』は壮大な「親殺し物語」だったと私は思っているし、『逆転検事2』は〈父親〉の大量虐殺譚だったと私は思っている。ここで気になるのは、『逆転裁判123』のライターである巧舟と『逆転検事2のライターである山﨑Dは、この事実に気が付いているのかどうかということである。私の予想では、おそらく彼らはこの事実に気が付いていないのではないかと思う。巧舟と山﨑Dは、無意識的に物語の深層で「親殺し」を遂行したのだろう。
 

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多くの優れた物語には「無意識的な深層」があると考えられる。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』も「父殺し」を象徴する物語として読めるし、カミュの『異邦人』もベルナール・パンゴーによる優れた精神分析批評がある。優れた物語には人々の無意識に働きかけるような奥深い深層が存在し、それゆえ人々を大きな感動に誘うのではないだろうか。逆転裁判123』と『逆転検事2』は「神ゲーとして今でも称賛されているけれども、これらの作品には人々の無意識に潜在する〈父性〉や〈母性〉に強く訴えかける何かがある気がするのだ。
 
ついでに余談だが、『逆転裁判 蘇る逆転(逆転裁判1)』は、物語の深層で「オトナの世界」を描いた作品だと解釈もできるだろう。このように逆転裁判は、深層的な裏読みができる、優れた物語なのである。