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『ボルケニオンと機巧のマギアナ』批評~頑固オヤジの二元論~

ボルケニオンと機巧のマギアナは、ポケモン映画第19作品です。この映画の見せ場は、空中要塞でのメガシンカしたポケモン軍団とのバトルでしょうか。ダイナミックな作画にワクワクしました。ですが、私はこの映画があまり好きではありません。なぜならこの映画では人間の悪意が色濃く描かれていて、観ていて辛い気分になったからです。
 

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ボルケニオンと機巧のマギアナ
監督:湯山邦彦
脚本:冨岡淳弘
(C)2016 ピカチュウプロジェクト
おすすめ度:★★★☆☆(丁寧に作られた作品だが、この映画は人間の悪意に満ちている)
 

人間不信おじさん

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この映画には、ボルケニオンという幻のポケモンが登場します。ボルケニオン役の声優は市川染五郎さんで、おっさんの声でしゃべります。ボルケニオンは筋金入りの頑固オヤジで、「ポケモンはウソをつかねえが、人間はウソをつくから信用できない」という、偏屈な思想を持っています。ボルケニオンはネーベル高原という自然豊かな土地で、人間に傷付けられたポケモン達の世話役をしています。ボルケニオンは日頃から人間の悪意と戦い続けていて、ボルケニオンが保護するポケモン達も、人間の悪意の被害者です。だからボルケニオンは、人間がとても嫌いなんですね。
 
それにしても、ポケモンはウソをつかねえが、人間はウソをつくから信用できない」って、結構な偏屈ですよね。ポケモンの中にはウソハチウソッキーなんてポケモンがいるし、うそなきやだましうちなんて技もある。そして人間の中にはサトシのように誠実な人間がいる。だから、「ポケモンの中にもウソつきはいるし、人間の中にも信用できる正直者がいる」というのが正論でしょう。ボルケニオンさん、あんた屈折しすぎてるんとちゃいます?……と途中までは思ってしまいました。
 

繰り返される人間の悪意

でも、この映画を観ていると、ボルケニオンが人間を嫌いなのもしょうがないよなあと思えてくるんです。この映画では、ポケモンを乱暴に扱う人間の悪意が繰り返し描かれているからです。悪意ある人間は、ポケモンにこんなに酷い事をしているのか。確かに人間は信用できないかもしれないな。……と、人間嫌いのボルケニオンの肩を持ちたい気分になってくるんですねでは、この映画で描かれた数々の悪意を振り返ってみましょう。
 
人間の悪意その1:邪道の科学「メガウェーブ」

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この映画に登場する悪役達は、悪の科学者ジャービスが発明したメガウェーブ」を利用しています。メガウェーブというのは、人間とポケモンの絆は関係無しに、対象のポケモンを強制的にメガシンカさせる技術です。通常の場合、人間とポケモンの絆が深まった時に、ポケモンメガシンカできるという設定になっています。しかし、ポケモンを乱暴に扱う悪人達は、自分のポケモンを邪道の科学によって強制的にメガシンカさせるのです。メガウェーブを浴びたポケモン達はみんな苦しそうで、観ていて辛くなりました。
 
人間の悪意その2:高原を侵略する小悪党達

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この映画には、ネーベル高原を侵略する小悪党達が登場します。ゲス顔のポケモンハンターが、野生ポケモンを乱獲しようとします。ジャービスの部下のドーガとイーサもネーベル高原を侵略するのですが、こいつらはかなりヤベー奴らです。こいつらは高原に住むポケモン達を人質に取り、人質のポケモンに電流を流します。電流に苦しむポケモン達を観ているのは、とても辛かったです。さらにイーサは自分のポケモンに命令を出し、人間であるサトシすらも攻撃します。ポケモンの技を使って人間を攻撃する悪役って、卑劣すぎませんかね?
 
人間の悪意その3:歴代最凶レベルの黒幕

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で、極めつけは黒幕の科学者ジャービスです。ジャービスは、ポケモン映画史上最凶レベルの極悪人だと思います。ジャービス幻のポケモンマギアナからソウルハートという魂を奪取し、ソウルハートのエネルギーを悪用して自然環境を破壊しました。心優しいマギアナの魂を利用し、マギアナにとって大切な土地であるネーベル高原を破壊しようとするというやり口が、悪趣味の極みだと思いました。少しでも良心がある人間なら、ジャービスの存在を不快に思って当然でしょう。
 

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話を少し脱線させて、マギアナの話をさせて下さい。マギアナは、大昔の人間によって開発された人造のポケモンです。マギアナは機械の身体と魂を持っており、人間に使用される「道具」としての側面を持ちます。その一方、マギアナには優しい心があり、「生命体」としての尊厳も持っています。「人間に使用される一方、生命体としての尊厳も持つ」という点で、マギアナはある意味そこら辺のポケモン以上にポケモンらしい存在かもしれません。そしてジャービスマギアナの「生命体」としての尊厳を軽視し、マギアナを「道具」として悪用しました。マギアナのギミックを活かした脚本は、上手いなあと思いましたね。
 
この映画で表現された人間の悪意は他にも細々とあるのですが、特に印象的だったのは以上かな。この映画には楽しい場面も勿論ありましたが、それにしても観ていて辛くなる人間の悪意が強く印象に残りましたこの記事を読んだら「映画の嫌な所に目が行き過ぎだろこいつ」と思われるかもしれませんが、実際、嫌な場面が心に残りやすい映画だったというのが私の正直な感想です。
 

ラストの解釈

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この映画のラストでは、ボルケニオンが心配するサトシ達にウソをつき、単独で空中要塞に乗り込んで自爆します。ポケモンはウソをつかねえが、人間はウソをつくから信用できない」と言ったボルケニオンが、なんとウソをついたのです!このラストでボルケニオンは、ウソをつくことによって信用できない「人間」に近付いたと解釈できます。そしてボルケニオンは、「ポケモンはウソをつかない」という自説をウソをつくことによって自分で裏切ったとも解釈できるでしょう。

 

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自爆して生還したボルケニオンは、ボルケニオンに協力したサトシ達人間を「ネーベル高原名誉ポケモン」に認定します。ボルケニオンに協力した人々が悪意の無い誠実な人間だったので、これらの人々はウソをつかない理想化された「ポケモンの仲間に入れていいとボルケニオンは考えたのでしょう。ボルケニオンは素直じゃない性格なので、一部の善良な人々の存在を、ポケモンとして認定するという不器用なやり方で受け入れたのだと思います。
 
ボルケニオンは、「ポケモンは正直者である一方、人間はウソつきだ」という偏屈な二元論を持つ頑固オヤジでした。しかしこの映画のラストでは、ボルケニオンの二元論がこっそり解体しつつあります。ポケモンもウソをつく場合があるし、人間の中には誠実な人間もいる。そしてポケモンが人間のような言動をする場合があるし、ポケモンの仲間に入れられる人間もいる。私が観た限り、この映画の究極的な狙いは「人間とポケモンの区別を解体し、曖昧にする」ということではないかな、と思います。
 
人間とポケモンの区別を曖昧にするために、あえてボルケニオンという頑固オヤジにはっきりした二元論を語らせ、その二元論をラストで解体しようとする。こういうアクロバティックな構成は好きですね。SFには人間とロボット、人間とAIの区別を曖昧にする作品がよくあると思います。この映画のオチはそういうのに近いかもしれません。
 
キュレムVS聖剣士ケルディオは人間の悪意を極力排除した純粋な野生ポケモンの世界を描いた映画でしたが、『ボルケニオンでは野生ポケモンの世界に介入する人間の悪意が色濃く描かれていました。そういう点で、ケルディオ』と『ボルケニオンは好対照をなす映画だったなと思います。