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『幻影の覇者ゾロアーク』批評~映像は映像を語る~

幻影の覇者ゾロアーク(以下『幻影の覇者』)は、ポケモン映画第13作品です。端的に言って、この映画は傑作だと思う。この作品は映画という映像メディアであり、尚且つ映像倫理について考えさせられる物語でもあります。幻影の覇者』は、言わば「映像について表現した映像」なんです。

ポケモン映画第1作『ミュウツーの逆襲』はクローンという複製技術を描いた作品でしたが、『幻影の覇者は映像という複製技術を描いた作品です。映像はDVDやブルーレイ等に複製できるし、SNSでは人気のある映像が拡散され複製される。映像は、クローンとはまた違った意味合いで複製技術なんですよね。
 

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監督:湯山邦彦
脚本:園田英樹
(C)2010 ピカチュウプロジェクト
おすすめ度:★★★★★(「映像」というテーマを見事に描いた映像作品)
 

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幻影の覇者』には、ゾロアークゾロアという母子のポケモンが登場します。ゾロアーク母子は、「イリュージョン」という特性を持ちます。ゾロアーク母子は特性によって幻影を操り、他のポケモンや人間に化けることができます。また、ゾロアーク母子は他のポケモンの技のエフェクトを再現したり、固有結界のように大規模な幻を見せることもできます。幻影の覇者』という題名の通り、ゾロアーク母子は幻影という「映像」を自在に操るわけです。
 

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幻影の覇者』に登場する悪役は、コーダイです。コーダイは善人を装った悪人であり、メディアを操作する権力を持った巨大企業「コーダイネットワーク」の社長です。コーダイはゾロアークを騙し、ゾロアークが作る幻影を悪用します。さらにコーダイはCGでねつ造した映像を放送し、クラウンシティの住人を混乱させ退避させます。コーダイは映像を巧みに操る頭脳犯で、こういう脳筋じゃない悪役は好きですね。
 

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ゾロアークの幻影を悪用でき、加えて映像メディアをコントロールできる」という時点でコーダイは結構なチート能力の持ち主なのですが、彼にはさらなる能力があります。コーダイは「ビジョン」により、未来で発生する出来事を「見る」ことができます。コーダイは幻のポケモンセレビィから「時の波紋」のエネルギーを横取りし、未来予知ができるようになったのです。コーダイは映像を自分の思い通りに編集できるだけでなく、未来の出来事をビジョンという「映像」として見ることができるんですね。
 

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コーダイは自分の思い通りの未来をクリエイトすることができるのですが、サトシ達は「みんなの力で未来を変える」ことを決意します。『幻影の覇者』の前作『アルセウス 超克の時空へ』では、過去を改変することによって世界の破局が阻止されました。『幻影の覇者』では、未来に訪れる破局を今からの努力で阻止するという、至極ヒロイックな奮闘が描かれています。アルセウス 超克の時空へ』は「過去を変えることによって世界を救う」話で、それに続く『幻影の覇者』は「未来を変えることによって世界を救う」話になっているのね。
 

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コーダイは未来視によって理想の未来を手に入れられるかと思ったのですが、結局サトシ達に敗北しました。これはサトシ達の頑張りにより、コーダイが予知した未来が書き換えられたからというのが大きいでしょう。また、コーダイがビジョンによって見た映像が断片的に切り取られたもので、未来の全体を投影したものではなかったという点も指摘しておきたい。ともかくコーダイは映像を支配するメディア強者だったのですが、自分が見たビジョンという映像に裏切られたのです。映像で暴利を貪っていた悪役が映像に裏切られて敗北する」というのは、皮肉が利いていて良いオチですね。
 

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また、コーダイの悪事はジャーナリストのリオカとクルトによって録画されており、「映像」として世間に報道されることになりました。この映画では映像を悪用した犯罪や裏切りが繰り返されましたが、最後になって「映像を活用して真相を報道し、悪を懲らしめる」という善的なメディアの使い方が提示されるのです。ジャーナリズムには厭らしいイメージが付きまといますが、ジャーナリズムは真実を複製して社会を是正することがある程度できると思うんだよな。
 
テン年代の中盤ぐらいから、アニメや映画のような映像を作る楽しさや情熱を描いたアニメをよく見かけるようになったと感じます。でも、映像は暴力的に悪用できる複製技術であり、映像を発信する者には相応の倫理観が求められるでしょう。幻影の覇者』はテン年代初頭の2010年に作られた映画ですが、映像を発信する者の快楽や情熱ではなくモラルを主題化しているところが今観ても斬新だと思いました。俺はね?