かるあ学習帳

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『呪術廻戦0』超考察~愛は生を祝福する~

『呪術廻戦0』は呪術師たちの戦いを描いた漫画で、作品の仕様上「呪い」がテーマになっている。しかしこの漫画では、「呪い」だけでなく「祝福」も描かれていると思う。『呪術廻戦0』は、里香に生を「祝福された」乙骨憂太が、自己の生を「祝福する」ようになれるまでの物語である。
 

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『呪術廻戦0』
芥見下々
2018年12月9日初版発行
(C)Gege Akutami 2018
 

凶悪な呪い/強大な祝福

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主人公・乙骨憂太は、「里香」という怨霊に呪われている。里香はもともと憂太の彼女だったのだが、交通事故で一旦死亡した。憂太と里香は幼少期に結婚を誓い、固い約束で結ばれていたので、里香は死んだ後でも怨霊になって憂太に取り憑いていた。里香は憂太を愛しているので、憂太に危害を加える者には容赦無く攻撃する。自分に憑いた怨霊が原因で他人が傷付くことを怖れた憂太は、呪術高専「呪いを祓うために呪いを学ぶ」ことになる。
 

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憂太は怨霊に呪われているのだが、尚且つ怨霊に生を「祝福されている」と言ってよい。怨霊の里香は憂太がピンチになったら守ってくれるし、憂太が自殺するのも阻止した。つまり憂太は、里香の愛によって強力に生存を保証されているのだ。憂太は里香に愛され、祝福され、生きることを許されている。五条悟は「愛ほど歪んだ呪いはないよ」と語った。憂太は里香の強大な愛=祝福を受けており、その祝福が結果的に凶悪な呪いに転じているというわけだ。
 

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憂太は内向的な主人公で、自分は生きていいという自信を持っていなかった。憂太は怨霊によって生きることを「許されて」いたのだが、自分が生きることを自分で「許して」いなかったのだ。自分の生存を自分で許せなかった憂太は、自分の生を呪っていたと言ってよい。憂太は自らの生を呪っていたから、閉じこもろうとしたし、死のうとした。憂太は呪いを祓うことを学びながら、自らの生を祝福し、自分が生きることを許せるようになっていく。
 
生を呪う者は生きることを否定し許さず、生を祝福する者は生きることを肯定し許す。
 

進化する呪い

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『呪術廻戦0』の後半部分からは、夏油傑という悪役が濃密に描かれる。呪術師は呪術を使えない一般の人間=非術師よりも優れていると夏油は考えており、彼は呪術師が社会の表舞台で活躍できない現状を嘆いている。夏油は一般の人間を「猿」だと見下しており、呪術師は一般の人間よりも進化した存在だと考えている。彼は選民を進めるため、非術師を皆殺しにしようと企んだ。
 
非術師は「劣った猿」であり、呪術師は「進化した強者」だというのが夏油の言い分である。おそらく現実世界には、「人間は猿よりも進化しているから優れている」という、夏油に近い見解を持った人間が存在するだろう。しかし人間は本当に、進化しているから猿よりも「優れている」と言い切れるのだろうか?
 
素晴らしき日々』の由岐によれば、動物は常に幸福に生きており、絶望しないらしい。その一方で人間は動物と違って死を想像できるので、絶望するという。
 
由岐「動物は永遠の相を生きている……」
由岐「だから、幸福に生きようとする動物は、いつだって幸福なんだよ……
皆守「動物って死を知らないのか?
由岐「当たり前じゃない?
皆守「なんで?」
由岐「だってさ、本当は誰も死なんて知らないんだからさ」
皆守「誰も?」
由岐「そう、誰も死なんて知らない……死を体験した人なんかいないんだからさ……」
由岐「死は想像……いつまで経っても行き着くことの出来ない……
由岐「人は死を知らず……にも関わらず人は死を知り、そしてそれが故に幸福の中で溺れる事を覚えた……
由岐「絶望とは……幸福の中で溺れる事が出来る人にだけ与えられた特権だな
 
この「動物と人間」の違いを、「猿と人間」の違いに置換して考えてみよう。猿は人間と違って(たぶん)死を知らない動物なので、常に幸福に生きることが許されている。一方、人間は死を怖れ、自分が死という呪いをかけられていることに絶望する。こう考えてみると、人間は猿よりも進化しているかもしれないが、自分の生が死に呪われていることを知っているぶんだけ、幸福に生きられないことになる。
 
人間は猿よりも進化しており、呪術師は呪術が使えない人間よりも進化している。しかし猿→一般の人間→呪術師へと進化するにつれて、呪いの割合がどんどん濃くなっていると思う。人間は猿から進化することによって、自分の生が死に呪われていることを知った。そして呪術師は呪いが使えるように進化したことによって、呪術によって世界を直接呪えるようになった。このように猿の進化が呪いも進化させることは、喜ばしいことだとは思えない。
 
猿の進化が呪いを発展させるにも関わらず、夏油は呪い合うことを肯定した。
 

命を許されている

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憂太と夏油の最終決戦を考察しよう。憂太は自らの命を生け贄にすることにより、呪力の制限を解除して夏油に立ち向かった。憂太本人が「純愛だよ」と公言している通り、憂太と里香は愛情を呪いに変換して」最後の一撃を放った。対する夏油は猿=非術師への「憎悪を呪いに変換して」応戦した。つまりこの最終決戦は、愛情と憎悪のぶつかり合いだったと言えるだろう。もっとも憂太には夏油への憎悪があったし、夏油にも彼なりの崇高な使命があったので、二人は互いの愛憎入り雑じった感情をぶつけ合ったと言うべきだろうか。
 
呪いが解けた憂太は、自分を祝福し、自分が生きることを許せるようになりながら日常に帰っていく。里香に生きることを「許されて」いても自分が生きることを「許す」ことができなかった憂太は、死のうとした。しかし里香と離別しても自分が生きることを「許す」ことができるようになった憂太は、力強く生きていいのだ。彼の指は、里香から受け取った婚約指輪で飾られている。
 

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この婚約指輪は、憂太が里香から愛を、生の祝福を、受け取った証拠だ。