かるあ学習帳

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『美少女万華鏡 呪われし伝説の少女』考察~ひとときの永遠~

『美少女万華鏡』は、テン年代を代表する美少女ゲームです。このゲームは全5話からなる作品ですが、分割商法により一話ずつ断続的に発売されました。このゲームの特色は、話数が進むにつれてシナリオがどんどん高度になっていく所です。私はこのゲームのシナリオに正直あまり期待していませんでしたが、良い意味で期待を裏切られました。今回は第1話「呪われし伝説の少女」を考察します。
 

『美少女万華鏡 呪われし伝説の少女』
シナリオ:吉祥寺ドロレス
原画:八宝備仁
2011年12月29日発売
(C)omegastar
 

さあ、万華鏡を覗いてごらん……
それは妖しく、美しい世界。
あなたの目に映るのは、美少女達が織り成す、まばゆいばかりのひとときの快楽の光。
あなたはそれを、見つめる勇気がありますか?
(公式HPより)
 
『美少女万華鏡』公式サイトによると、このゲームは美少女達が織り成す、まばゆいばかりのひとときの快楽の光」を表現した作品だという。で、私がプレイしてみた限り、このまばゆいばかりのひとときの快楽の光」という題材が、なかなかの曲者でした。
 

駆け出しのホラー作家・深見夏彦は、小説の取材旅行で「人形の間」という曰く付きの和室を訪問します。「人形の間」の持ち主は、蓮華という美少女でした。蓮華は夢を見せるのが私の仕事」だと言い、夏彦に不思議な万華鏡を見せます。夏彦は万華鏡の中を覗き、万華鏡の中で繰り広げられる情事を目撃することになります。第1話では、斧神滋比古と篝ノ霧枝の性愛が、万華鏡の内部に映し出されます。
 

斧神滋比古は、名門・私立マリアンヌ女学園の音楽教師です。彼は教師でありながらロリコンという、かなりのヤベー奴ですロリコンの教師って現実に大勢潜伏してそうだけど)彼は普段は自分の性癖を隠して真面目さを装っているのですが、教え子の美少女・霧枝に一目惚れしてしまいます。霧枝に惚れ込んだ彼は超えてはいけない一線に足を踏み入れ、徐々に転落への道を歩むことになります。
 

滋比古は家庭訪問という名目で霧枝の家を訪問するのですが、彼女は薄暗い森の中にあるゴージャスな洋館に住んでいました。そして霧枝の正体は、300年ほど生き続けてきた吸血鬼でした。滋比古には他の教え子を吸血鬼から守りたいという思いと霧枝に屈服したいという欲望があり、霧枝に彼の血液を進んで差し出すことになります。霧枝は滋比古に初めは嫌々付き合っていたのですが、他人と長い間一緒に居ると情が移るもので、二人の間には徐々に愛情が芽生え始めます。
 

滋比古は霧枝に自分の血を吸われているうちに、体調を崩してゆきます。そして彼は仕事を首になり、路上を徘徊しているところで車にはねられます。
 
……気の早い私は、ここまでの展開を読んだ時点で「あー俺、この話の趣旨が大体わかったわ」と思いました。おそらくこの作品では、「有限の生命を持つ人間の男=滋比古」「末永く生きられる吸血鬼の女=霧枝」が対比的に描かれているのではないだろうか。これからきっと、滋比古は死亡するだろう。そして末永く生きられる霧枝とは対照的に、若死にした滋比古の人生の儚さが強調される。だから滋比古の束の間の性愛は公式サイトに書いてある通りまばゆいばかりのひとときの快楽の光」だったって事になるんだろ??我ながら名推理だよなあ!!?
 
しかしこの作品は、私の予想を裏切る展開を迎えたのでした……。
 
(以下、超ネタバレ)

 

滋比古は交通事故で死にそうになるのですが、霧枝は彼女の血を彼に分け与えました。霧枝の血を飲んだ滋比古は吸血鬼の一族に加わり、老いも病も無い、永遠の時間」を霧枝と一緒に過ごすことになります。ゲームが完結してスタッフロールが流れた後でも後日談が続き、滋比古と霧枝の幸福な日常が続いていることが示唆されています。滋比古が生き返り、霧枝と結ばれたので、物語はとりあえずこの上無いハッピーエンドだったと言えるでしょう。

 

滋比古と霧枝がめでたく結ばれたところで、万華鏡を覗いていた夏彦は目を覚ましました。夏彦は滋比古の物語の内容をはっきりと覚えておらず、不思議な夢を見た後のような気分でした。そして夏彦は、現実の日常生活に帰っていく……。
 

……さて、私たちはこの結末をどう解釈したら良いのでしょうか。万華鏡の中から見える滋比古と霧枝は永遠に続く愛の世界を営んでいるので、この二人は「ひとときの快楽」どころか逆に「永遠の快楽」を感じているはずでしょう。しかし、この二人の愛を万華鏡で覗いていた夏彦にとって、この二人の物語は「ひとときの夢」だったはずです。つまりこの作品は、万華鏡で見られる側には「永遠の快楽の世界」が広がっている一方、万華鏡で見る側の夏彦は「永遠の快楽の世界をひとときだけ体験する」という、なかなか手の込んだ構造になっているわけです。
 
このゲームのテーマである「美少女達が織り成す、まばゆいばかりのひとときの快楽の光」というのはおそらく、万華鏡で見られる側の視点ではなく、万華鏡で見る側の視点から得られるものではないでしょうか。彼岸には永遠の快楽の光が輝いているのですが、万華鏡で彼岸を覗く夏彦は永遠の快楽の光をひとときだけ観測する。現実を生きる観測者は、彼岸の夢を、ひとときだけ見ることができるのです。
 
私がプレイした限り、『美少女万華鏡』では第2話以降でも様々な形で万華鏡で見られる側の永遠の快楽の光」が描かれていて、それらの光を夏彦が万華鏡でひとときだけ体験する、という筋書きになっていました。そのため、永遠の快楽の世界を万華鏡でひとときだけ覗き見る」という自分の見立てをとりあえず信頼して、第2話以降の考察に取り組んでいきたいと思います。また、『美少女万華鏡』の根幹では「愛によって有限性を突破し、永遠に到達する」という思想が表現されていると思うのだけれど、その件についてもいずれ詳しく検討します。