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『美少女万華鏡 理と迷宮の少女』考察~愛は全てを繋ぐ~

『美少女万華鏡』第5話「理と迷宮の少女」は、『美少女万華鏡』シリーズの最終話です。この第5話は最終話なだけあってシナリオがかなり長く、内容もシリーズの集大成として申し分無い出来でした。ただ、話が長めなぶんだけプレイしていて若干ダレる所があり、病的な完成度を色んな意味で誇る第4話には及ばないかなと思いました。それにしても第5話は力作ですから、この作品を創った制作スタッフからの恩を考察で返そうと思います
 

『美少女万華鏡 理と迷宮の少女』
シナリオ:吉祥寺ドロレス
原画:八宝備仁
2020年5月29日発売
(C)omegastar
 
(以下、超ネタバレ)

 

キャラ配置について

第1~4話までは、怪奇作家・深見夏彦蓮華から万華鏡を借り、鏡像の夢を覗き見るという筋書きでした。しかし第5話では夏彦が行動の主体になり、彼の身の周りに起こる怪異に立ち向かうお話になっています。第5話には夏彦を含めて6人の主要登場人物が存在しますが、彼ら6人のキャラ配置がしっかりしているなあと思いました。
 

公暁は、直木賞ならぬ「直本賞」を受賞した人気作家です。皇はミステリーやサスペンスの筆力に定評があり、彼自身も高度な推理能力の持ち主です。また、彼はオカルトや非科学的なことをあまり信用しない立場です。私が読んだ限り、皇は「夏彦とは対照的な人物」として設計されていると思います。夏彦はオカルト好きな怪奇作家で、対する皇は現実的な推理作家、と言った感じで。
 

月丘香恋は、夏彦の担当編集者です。香恋は夏彦に恋愛感情を持っており、「夏彦には非現実的なことではなく私のことを見て欲しい」と思っていました。第5話には夏彦と香恋が結ばれるエンディングが用意されていて、この結末は「夢よりも現実を選び、大人になる」生き方を表現しています。香恋ENDは一応尊い結末ではありますが、夢と転生を描いた第5話の趣旨からすると本筋ではないでしょう。
 
皇と香恋は「現実グループ」に属する人物だと思います。皇はオカルトを信用しない現実主義者ですし、香恋は夏彦を現実に引き戻す女性ですから。
 

菜々山もよかは、妖狐の怨念に取り憑かれた少女です。運命を受け入れる様子を見せていた蓮華とは対照的に、もよかは運命を破壊しようとしました。まあ、もよかに取り憑いた妖狐は蓮華の残留思念なので、もよかは蓮華のある部分を体現していたわけですが。そして高瀬舞斗はもよかの遠い親戚で、保護者としてのキャラが立っていましたが、彼には考察すべき点があんまり見付からないなwもよかと高瀬先生は親戚なので、「もよかグループ」としておきましょう。
 

で、主人公・夏彦は、オカルトや幻想を追いかける夢追い人です。彼は第5話で死者と生者の境界にトリップし、現世に帰らず蓮華と一緒に転生することを決断しました。夏彦は純粋な心を持ち続けた幼稚な青年ですが、夢と転生の果てに来世でハッピーエンドを迎えます。夢追い人の夏彦と夢を見せる蓮華は、「夢グループ」としてまとめてみます。
 

第5話の6人の主要登場人物で、男女のペアグループが3つ作れると思います。皇と香恋は現実に引き戻す「現実グループ」もよかと高瀬先生は親戚同士の「もよかグループ」夏彦と蓮華は夢と転生を重視する「夢グループ」
 

夢と転生と愛について

第5話の冒頭では、荘子胡蝶の夢の話があります。昔、中国の荘周は自分が蝶になった夢を見ました。荘周は目を覚ましましたが、いったい荘周が蝶になった夢を見たのか、それとも蝶が荘周になった夢を見ているのだろうか。荘周が蝶になった夢が本当は現実だったのかもしれないし、蝶から荘周に戻った現実は本当は夢なのかもしれない。このように考えると夢と現実の区別は曖昧であり、我々が絶対不変だと思っている現実は相対化されます。
 
夏彦は「胡蝶の夢」を引き合いにして、自分の存在の不確かさを感じていました。そして夏彦は幼少期から幽霊や妖怪に興味を持ち、小説の創作に熱中していました。夏彦は座敷童の蓮華に出会い、愛の力で来世に転生することに成功します。第5話は夢の力で現実を相対化し、有限の生を愛と転生によって突破するシナリオになっていました。
 

生とはー
避けられぬ苦しみの鉄鎖
 
死とはー
人生における最後の安らぎ
 
真理は醜く 栄華は朽ち果てる
 
人の世の儚さは喩えれば泡沫
 
喩えれば万華鏡
 
ただきらめく一瞬の欲望に
身をまかせるだけ
 
万華鏡の輝きー
それは魅惑の悦楽
 
万華鏡の輝きー
それは流転の悦楽
 
万華鏡の輝きー
それは夢幻の悦楽
 
混沌から出現する極上の快楽を
あなたは体験する
(公式サイトより)
 
公式サイトの謳い文句を読むと、『美少女万華鏡』は盛者必衰な人生の儚さを表現した作品なのかな?と思ってしまいがちですが、この作品はそんなに素直じゃないんですよ(笑)。人の世が儚いことは第5話でもある程度表現されているのですが、夏彦と蓮華は古来から愛し合いながら万華鏡の鏡像のように流転していて、来世に転生してきたんです。夏彦は愛が全てを繋げている」と考えていて、儚く散った生も愛によって他の何かに繋がっていくと考えていますつまり『美少女万華鏡』で表現される人生の儚さは通過点であり、この作品は5話通して儚さを突破した先の未来に突き進んでいると思いますね。
 

夏彦「太陽の光を植物が受け取って、皆に分配する。生き物は死んで他の生き物の食事になる。与えられ、与えてこそ愛だ。愛が全てを繋げている。歴史の営みこそが愛なんだ
 

万華鏡の秘密について

第5話では、謎に包まれていた万華鏡の秘密が明かされます。蓮華は万華鏡を使って、「現世に取り残された記憶の残骸」を回収していました。万華鏡で回収された記憶は、アカシックレコード集合知に刻まれます。世界全体の出来事が貯蔵されるアカシックレコードには、様々な歴史上の記憶が書き込まれています。夏彦は万華鏡を覗いて、アカシックレコードに保存された記憶にアクセスしていたのです。第1~4話の鏡像はアカシックレコードのデータベースの一部だったわけですが、一連の鏡像が結局史実だったのかフィクションの情報だったのかは、私にはよくわからないw
 
第1~4話では、万華鏡に様々な愛の記憶が投影されていました。なぜなら、夏彦は真実の愛を捜し求めていたからです。私の観察だと、『美少女万華鏡』では有限性を愛によって突破して永遠に到達する」という思想が全5話を通して表現されていると思います。
 
第1話では、交通事故で有限の命が尽きようとしていた滋比古が霧枝の愛によって蘇生し、永遠の命を得ました。第2話では、ねつ造された記憶に閉鎖された彰人が雫によって罪を許され、永遠に現実から逃げないことを誓いました。第3話では、有限の旧世界の終わりが表現され、アンドロイドに愛された龍之介が終わらない新世界の日常を生きる決心をしました。第4話では、夕摩と夕莉が父性権力を殺害し、自己陶酔的な永遠の愛の世界を創造しました。そして第5話では、夏彦が人生の有限性を蓮華との愛で突破し、来世に転生しました。
 

作中では明言されていませんが、古来から転生を繰り返してきた夏彦には、愛によって有限性を突破したいという強い意志があったのだと思います。万華鏡には夏彦の願望が反映され、そのためアカシックレコードに保存された永遠の愛と快楽の世界」の記憶が呼び出されたのではないでしょうか。夏彦は来世に転生し、同じく転生した蓮華と一緒に平凡で幸せな日常を送ります。夏彦と蓮華は強い絆で結ばれているので、来世の先の来世でも愛し合い続けると予想されます。
 
 
……私の『美少女万華鏡』考察は以上で完結です。書く機会が無かったのでここに書き残しておきますが、美少女万華鏡』には各話ごとに象徴的な植物が存在します。第1話は薔薇、第2話は忘れな草、第3話はひまわり第4話は白百合、第5話は彼岸花。それぞれの植物は、各話の世界観に絶妙にマッチしていると思います。いずれ『美少女万華鏡』シリーズ全体の総括的な批評を書く予定ですが、今の私にはまだその準備が整っていません。とりあえず、ここまでの考察に付き合って下さった皆さん、ありがとうございました。
 
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第5話では夢と転生が追求され、その結果現実が相対化された。そういう意味で第5話は「三島由紀夫が挫折した仕事をやり遂げた作品」……だと言えるかな(誉めすぎ?)