「でんげきたいけつ!クチバジム」批評~アメリカ的マチズモVSニホン的カワイイ~
初代アニメ版ポケモン第14話「でんげきたいけつ!クチバジム」 は、ポケモンを考察する上で非常に重要な回である。 なぜならこの回では、主人公サトシの相棒・ ピカチュウが進化しない理由が説明されているからだ。 さらに私が視聴したところ、 この回ではアメリカ的価値観と日本的価値観の対立も描かれている と考えられる。第14話はようつべで無料配信されているので、 未視聴のお客様は良ければ上の動画をご覧くださいませ~☆
アメリカ的マチズモと種族値の暴力
サトシたちはクチバシティに到着し、クチバジムのリーダー・ マチスに戦いを挑む。ポケモンの世界には、 ジムリーダーと呼ばれる強力なポケモントレーナーが各地に存在す る。ジムリーダーの牙城であるジムを訪問し、 ジムリーダーとのポケモンバトルに勝利したトレーナーは、 その功績の証であるバッジを貰えるのだ。
今では設定が改変されているのだが、 当時のマチスは元軍人のアメリカ人で、「イナズマアメリカン」 という通り名で呼ばれていた。*1マチスは筋肉がムキムキ に鍛えられた金髪の男で、アメリカ訛りの片言の日本語で喋る。 マチスから見るとサトシとピカチュウは幼稚な子供でしかなく、 サトシとピカチュウは「ベイビー」と呼ばれる始末。マチスは「 強いアメリカの男性の象徴」として描かれている。
マチスはライチュウというポケモンを保有していて、 ライチュウもまた「強さと成熟の象徴」である。 ポケモン世界では「かみなりのいし」 という強化アイテムを使うと、 ピカチュウをライチュウに進化させることができる。 ピカチュウがライチュウに進化すると基本ステータス(種族値) が大幅に上昇するので、ピカチュウとライチュウが純粋に殴り合うとライチュウが勝つ可能性が高い。*2サトシのピカチュ ウはマチスのライチュウよりも成熟していなくて弱いので、 ライチュウにボコボコに殴られて敗北した。
強さが進化してもかわいさは劣化する
マチスのライチュウはそのまま戦って勝てそうもない相手なので、 サトシのピカチュウもライチュウに進化させたらどうかという話に なる。 しかしピカチュウがライチュウに進化したら外見が大幅に変わり、 しかも進化前の外見に戻らなくなる。 ポケモンが進化するとポケモンの「強さ」 は飛躍的に向上するものの、ポケモンの見た目の「かわいさ」 が劣化する場合が多い。そういう理由もあるので、「 自分のポケモンを進化させるかどうか」 の判断が重要になってくるのだ。
サトシはピカチュウに「かみなりのいし」を差し出したが、 ピカチュウはライチュウに進化することを拒否した。 なぜならピカチュウのままでライチュウに勝たないと、 一度ライチュウに負けた悔しさを拭えないからだとサトシのピカチ ュウは主張する。 確かにピカチュウをライチュウに進化させて勝つと、「 ピカチュウはライチュウよりも弱い」 ということを遠回しに認めることになってしまう。 サトシのピカチュウはライチュウに成熟することを拒否し、「 ベイビー」 な状態のままでライチュウに勝利して溜飲を下げたいという熱意が あったわけだ。
ちなみにメタ的な話をすると、 第14話でサトシのピカチュウが進化しなかったのは、「 ピカチュウのマスコットキャラクター的な価値を維持したい」 という制作スタッフの大人の事情が非常に関係していると考えられ る。ピカチュウは見た目がとてもかわいく、 デザインが優秀な国民的マスコットキャラクターである。 そのためサトシのピカチュウが成熟した外見に進化すると、 ピカチュウを愛玩する視聴者に見放される恐れがある。 制作側はピカチュウのかわいさから収益を得ているので、 サトシのピカチュウを進化させる展開を拒否したのだろう。
アメリカ的マチズモVSニホン的カワイイ
四方田犬彦著『「かわいい」論』とかいう新書がある。 この本はギャル文化やオタク文化に関する説明がかなり粗雑で、 四方田さんが十分に資料調査をしないまま書いたことが丸わかりの 悪書である。しかし、この『「かわいい」論』に書いてある、 西欧と日本の「成熟の観念」 の違いの説明には引用する価値があると思う。 以下の説明も西欧と日本やジェンダーに対する偏見が満ち溢れてい て、多くの人々を不快にさせる文章だなと思う。 私は四方田さんの評論が良いと思えないけど、 これを引用しないと先に進めないので引用することをお許し下さい 。
「ジェンダーも未分化なまま、 幼げな子供として両親の庇護のもとにある者は、 まだ十分に人間ではない。 男女いずれかのジェンダーにまったき帰属をはたし、 完全に成熟した存在となってこそ、 人は人間と認められることになる。 西欧社会がこうした暗黙の約束ごとを前提として成立していること は、すでに知らない者のいない事実である。
だがこうした成熟の神話は、こと日本文化を対象としたとき、たちまち機能不全に陥ってしまう。そこでは小さなもの、繊細なものが愛でられるのと同様に、いまだ完全に成熟を遂げていないもの、未来に開花の予感を持ちながらもまだ充分に咲き誇っていないものにこそ、価値が置かれるという事態が、日常生活のいたるところで見受けられるからだ。」*3
四方田さんの胡散臭い語りを一応尊重して考えると、 ポケモンアニメ第14話は「アメリカ的(西欧的) 価値観と日本的価値観の対立」を描いた回だと解釈できる。 マチスは強さと成熟に価値を見出だすステレオタイプのアメリカ人 であり、進化して成熟したライチュウにも「 成熟した存在が優位に立てる」 西欧的価値観が投影されていると考えられる。*4 一方自分から成熟を拒否し、 かわいいキャラクターとしての価値を維持したピカチュウには、「 成熟を遂げていないものをかわいがる」 日本的価値観が投影されていると考えられる。 つまりピカチュウとライチュウの対決からは、 異文化間の対立を見て取れるわけだ。
未完成な者たちへの讃歌
第14話の後半ではサトシがマチスに再戦し、勝利する。 しかしこの再戦は「 ピカチュウが尻尾をアース代わりにして電撃を受け流す」「 途中でライチュウの電力が充電切れになる」 という無理矢理な展開に満ちていて、「それはねーよ……」 とツッコミを入れたくなる試合だった。制作スタッフは「 ピカチュウを進化させないまま売り込みたい」「 サトシがマチスに勝利しないと話が進まない」 という問題に板挟みになっており、 その結果苦肉の策で無理矢理ピカチュウがライチュウに勝利したの だろう。
ともかく第14話では「ニホン的なかわいさ」 の象徴のようなピカチュウが、「アメリカ的な強さ」 の象徴のようなライチュウに勝利したのである。こう書くと、「 ポケモンってのは、 強さよりもかわいさを優先する作品なんですか?」「なるほど、 つまりポケモンアニメはアメリカの占領政策に対抗する反米映画の 一種だというわけですね?」みたいな質問が飛んできそうである。 確かに第14話はニホン的なかわいさに肩入れしているのだが、 この回の思想はポケモンというコンテンツ全体を一括りにする考え 方ではなかったりする。
『ミュウツーの逆襲/ピカチュウのなつやすみ』 を観ればわかるように、 ポケモン映画では屈強な伝説のポケモンや深遠な思想がメインに描 かれ、かわいいポケモンがはしゃいでいる物語は同時上映という「 添え物」になっている場合がある。また、 ゲーム版ポケモンのオンライン対戦には病的なまでの戦闘狂が集ま り、ポケモンの外見の良し悪しを度外視した「強さ」 が追求されがちである。さらに、 ポケモンの中にはベトベトンやダストダスのように正直かなり「 汚い」印象があるモンスターも存在するし、 逆にミロカロスのように「美しい」 モンスターが活躍する場合もある。
このようにポケモンの中には「かわいい」ポケモンが存在するし、 「強い」ポケモンも存在するし、「美しい」 ポケモンも存在するし、「汚い」ポケモンも存在する。 そのためポケモンは「かわいさ」 を売りにしているとは一概に言えず、「 モンスターの個性や多様性」 を売りにしていると言ったほうが適切だろう。また、 ポケモンは老若男女の多種多様な需要に応えられるコンテンツであ り、その間口の広さで莫大な収益を稼いでいるという話がある。 第14話で描かれた「 アメリカ的マチズモに対するニホン的カワイイの勝利」は、 複雑な多面体であるポケモンの一側面に過ぎない。
*1:2018年の『ポケットモンスター Let's go! ピカチュウ/イーブイ』発売以降では、マチスの通り名が「
*2:より厳密な言い方をすると、
*3:四方田犬彦『「かわいい」論』、ちくま新書、二〇〇六、一二二頁。「男女いずれかのジェンダーにまったき帰属をはたし、完全に成熟した存在となってこそ、人は人間と認められることになる」っていう文章、トランスジェンダーの人々の人権を侵害するような最悪の説明だなと思う。四方田さんには性の多様性に対する知識人としての配慮が足りてないよなー
*4:「マチス」という名前と「