かるあ学習帳

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管理社会と『ZETMAN』~良い出会いは人を幸せにする~

桂正和の超力作漫画ZETMANは、未完の作品である。現時点では単行本が20巻まで刊行されていて、2014年に出た第20巻は「第一幕の最終巻」という位置付けである。第一幕は多くの問題を解決しないまま終幕しているのだが、第二幕が始まる気配が全くと言ってよいほど感じられない。果たして桂さんは第二幕のストーリーをちゃんと考えているのか、そもそも桂さんには第二幕を執筆する意欲があるのかすら私には謎である。
 
ZETMAN』第一幕の結末はかなり中途半端だけれど、私は今のこのご時世に考察する価値があると確信している。なぜなら第一幕の結末では政府の強行採決による管理社会が描かれているので、これは是非とも再評価されて欲しいと思うからだ。もうね、この結末は誰かが率先して語らないと永遠に見捨てられたままになる気がする。本稿はネタバレ全開ですが、ここまで思い切らないとこの結末は広まらない気もするので、臆せず考察を公表します。
 
(以下超ネタバレ、でも未読の人々にも届いて欲しい)

 

 
 
 

ホームレスと超富裕層の友情に介入する間男

作中でゼットマンに変身する主人公・ジンはホームレスの出身で、アルファスに変身するもう一人の主人公・コウガは超富裕層の出身である。この漫画は対照的な主人公を連立させることにより、経済格差社会を生々しい筆致で描いている。ジン=ゼットマンとコウガ=アルファスは生まれ育ちがあまりにも違いすぎるので、この二人は絶対仲良くならないだろうなと思われるかもしれない。しかし事態は逆で、ジンとコウガは中盤~終盤ぐらいまではとても仲が良いのである!
 

超富裕層のコウガは自分の会社の力を借りてパワードスーツを作り、装着してアルファスに変身した。一方神崎博士の研究によって生み出された人外のジンは、ベルトやパワードスーツのような装置を使わずに生体的にゼットマンに変身できる。コウガは幼い頃からヒーローに憧れ、世間知らずなぶんだけ純真な心を持っていたので、外的な力を借りずに変身できるジン=ゼットマンの存在に感動した。ジンとコウガは固い友情で結ばれており、13巻では互いの彼女を連れてダブルデートをしたりもするぞ(笑)。
 

しかし世の中には嫌な奴がいるもので、コウガの会社・アマギコーポレーションに勤務する早見という男は、世間知らずなコウガを自分の操り人形にすることを企んでいた。早見はコウガの神経に針を刺して最強の超人にドーピングし、ついでにコウガの思考をコントロールして利用しようとした。早見はジンとコウガの友情に介入する間男のような存在で、ジンとコウガはやがて訣別することになる。
 

コウガ=アルファスは早見に脳をジャックされて頭がおかしくなり、実の母親を射殺してしまう。ジン=ゼットマンは暴走するコウガ=アルファスを止めるために奮闘するのだが、マスメディアの誤報道によってゼットマンのほうが悪者扱いされるゼットマンは悪魔のような外見をしていて、アルファスは子供番組のヒーローを元にデザインされているので、パッと見で怪人っぽいゼットマンが悪者だと大衆もすぐに誤解した第20巻で正気に戻ったコウガは暴走していた時に自分が重ねた罪の重さに、絶望する。
 

ネオリベ化する公共圏の猟犬

ジンは器が大きいのでコウガの罪を許し、コウガの心を科学的に改造して罪の記憶を葬り去ることを勧めた。その結果ジン=ゼットマンは親友コウガを生かして行方をくらまし、コウガのほうは罪の記憶を葬って心を改造された末に資本家と政府の犬になってしまう。そしてゼットマンと怪人の存在が世間に公表されたことを機に、日本の治安を守る名目で「完全な管理社会」が誕生した。
 

「未確定脅威対策法」
(中略)
野党のみならず与党内の一部からも反対の声が上がるも
不自然なほどの大差で賛成多数となり
法案は強行採決された
 

完全なる管理社会
自由の喪失
連日の超規模デモ
正当な権利を求める者で溢れている留置所
あらゆる者が混乱していった
 
ZETMAN小泉内閣の2002年から連載が開始されたことから察するに、この結末で描かれた「法案の強行採決は特に郵政民営化を意識しているのではないかと私は予想する。小泉首相郵政民営化も与党や野党の反対を押しきり、民主主義や多数決の原理すらも破壊する勢いで可決された。その後も今に至るまで日本政府は強行採決を繰り返し、最近はさらに色々ヤバいことになっているのは周知の通りである。
 
ZETMAN』や『仮面ライダー龍騎のようなゼロ年代の殺伐としたフィクションには、宇野常寛の言葉を借りれば小泉政権ネオリベ構造改革や格差社会の世相が反映されていると考えられる。さらに『ZETMAN第一幕の結末はその先に進み、ネオリベ化に伴う管理社会化すらも描いているといえる。
 

スガ秀実ネオリベ化する公共圏』によれば、消費者をコントロールするシステムが発達した現代消費社会では「監視/管理社会」も相即的に発達するという。その結果ゼロ年代ネオリベ社会では早稲田大学ビラまき逮捕事件」「青少年健全育成条例によるエロ規制」「石原都知事による都立大学の経費削減」などから推察されるように、様々な規制圧力が国民にかけられるようになった。
 

ZETMAN第一幕の結末でコウガはかつての純真な心を改造されて失い、管理社会の言いなりになってしまう。そしてコウガはアルファスに変身し、政府に対する国民のヘイト感情を逸らす活動をするようになる。かくしてコウガ=アルファスは、管理社会のシステムを守るためのヒーローになったわけだ。
 

ゼットマンの心は優しさでできています

一方ジン=ゼットマンは、マスメディアや政府などによって無実の罪を着せられ、悪者扱いされながら風来坊のように生きるようになる。しかしジン=ゼットマンの心は闇堕ちせず、優しさで満ち溢れていた。なぜならジン=ゼットマンはホームレスの出身だけど幼少期から人々の人情に触れて育ち、良い出会いを重ねてきたからだ。
 

紺野「ああ…なんて事だ…。この世界は間違っている。ZETとは冷酷な死神の如く聞かされていたのに…。あなたからは温かな光を感じる…。良い出会いを重ねて来られたのでしょうね…。
 

この漫画の第一幕の結末は、ホームレスや貧困層は不幸でかわいそうな存在だ。財産や教育の機会に恵まれない人間は悲しい存在だ」というよくある通念を激しく裏切っている。ジン=ゼットマンはホームレスや貧困層の人間であり、財産も無いし学歴も無い。しかしジン=ゼットマンは良い出会いを重ねて来られた」ので、管理社会でも優しく前向きに生き続けることができたのだ。
 
この結末は「地位や財産や学歴ではなく、良い出会いを重ねて来られた人間こそが幸福に生きられる」と我々に告げているかのようだ。
 
現代日本では政府が国民をいじめるような法案を強行採決し、動物化した国民は権力によって管理されがちである。しかし、そんな絶望的な社会でも「良い出会いを重ねて来られた」人間ならば、健やかで善的な魂を保ち続けることが理論上は可能だ。かくしてジン=ゼットマンは、管理社会でも温かく流れる人情のヒーローになったわけだ。
 

渋すぎる大人の結末に刮目せよ

ZETMAN』ではジン=ゼットマンがホームレスの代表として、コウガ=アルファスが超富裕層の代表として描かれてきた。そして第一幕の結末ではジン=ゼットマンが人情溢れる実存の象徴に、コウガ=アルファスは冷酷な管理社会の構造の象徴に昇華されたのである。
 
ジン=ゼットマンは資本やマスメディアに負けたと言えるし、人情を守る戦いに勝利したとも言える。コウガ=アルファスは権力闘争に負けて傀儡になったと言えるし、政治の勝ち組の仲間になったとも言える。この第一幕の味わいは実に複雑で渋い渋い渋い、単純な二元論が通用しないのである。
 
繰り返すけど『ZETMAN』は未完の作品なので、第一幕を読み終わっても腑に落ちない所はたくさんある。管理社会でも良い出会いを重ねた者は優しく前向きに生きられる」という結論には管理社会に対する反抗心が足りないので、もっとロックでヒップホップな展開を期待する層もありそうな感じはする。
 
でもみんな、第一幕の時点でこの漫画凄すぎじゃね?
作画が超人的に神懸かっているし、おまけに話も示唆に富んでるから…。
桂正和は生きた伝説みたいな漫画家だなあ、みんなも『ZETMAN』をすころうぜ!!