かるあ学習帳

この学習帳は永遠に未完成です

『仮面ライダードライブ』第12話の『箱男』的物語構造

仮面ライダードライブ』第12話白い仮面ライダーはどこから来たのか」は、仮面ライダーシリーズ屈指の神回だと私は評価している。
 

この12話では2号ライダーである仮面ライダーマッハ」が正式にTVでお披露目され、物語の新章が始動する。さらにこの12話は、映像作品としての芸術点が恐ろしく高いと私は主張したい。なぜならこの12話は安部公房の『箱男の影響をほぼ確実に受けており、世界文学の片鱗を感じさせる回だからだ。
 
(以下、『ドライブ』12話のネタバレが多大に含まれています)

減速主義コメディーとしての『妖怪ウォッチ』第9話「ロボニャン始動!」

いきなりステマみたいな話で恐縮ですが、今Youtubeコロコロチャンネル」でTVアニメ版妖怪ウォッチが全話無料で配信されている。『妖怪ウォッチ』は、一昔前にあのポケモンをぶっこ抜く勢いの社会現象を起こしたことで知られるコンテンツである。
 
私は『妖怪ウォッチ』門外漢のアラサー人間なのですが、端的に言って『妖怪ウォッチ』、試しに観てみたらクッソ面白いですわ。子供だけでなく大人も楽しめるキレッキレのギャグの連鎖が止まらないぜ。楽しいことを探してるけど物価が高くて楽しみを我慢している」とお嘆きのそこのYOU!チミもようつべで『妖怪ウォッチをタダで観て、ゲラゲラポーと笑い狂おうぜっ☆☆☆(^o^)☆☆☆
 

高性能のロボニャン、安上がりのジバニャン

今回は『妖怪ウォッチ』第9話後半「ロボニャン始動!」を考察する。「ロボニャン始動!」は「減速主義コメディー」だと私は思っていて、この話には妖怪ウォッチという作品のコンセプトがよく反映されていると感じられた。
 

「ロボニャン始動!」の出だしでは、ケータウィスパージバニャンの三組がテレビを観ながらグダグダと与太話を繰り広げる。端的に言ってケータ・ウィスパー・ジバニャンの三組はかなり間抜けな集団であり、彼らの脱力系スタイルが視聴者の腹筋を崩壊させているのである。この三組はケータ君の自宅の近くで、Aランク妖怪「ロボニャン」に遭遇する。
 

ロボニャンはなんと未来から来たロボットであり、その正体は現在のジバニャンが改造された姿であると暴露する。ジバニャンは妖怪として数世紀後まで生きて、進化したテクノロジーによってロボットに改造される。ロボニャンは現在の腑抜けたジバニャンとは似ても似つかないほど横柄な語り口で喋り、ロボットとしての便利機能も多数搭載されている。
 

ジバニャン「体固いし、静かに歩けないし、猫のいいとこ台無しニャ!」
ロボニャン「ならば、お前と私の技能の比較をしよう。」
ジバニャン「技能の比較ニャ?」
ロボニャン「ああ。技能を比べれば、私の価値は一目瞭然だ。」
 

ジバニャンは、自分の未来の姿であるロボニャンのことが気に入らない。そこでロボニャンはジバニャンに「技能の比較」を提言する。ロボニャンはF1に変形して超スピードで疾走したり、大型トラックを指一本で止めたり、ロケットパンチを発射したりして、現在のジバニャンとは比べものにならないほどの実力を見せ付けたさらにロボニャンは充電で動くため、食べ物を食べる必要も無いという。
 

しかしロボニャンを充電するためには膨大なエネルギーが必要なため、ロボニャンを泊めたケータ君の家の電気代が一晩で恐ろしく上昇した。その結果ケータ君は母親に厳しく非難され、ジバニャンのほうがロボニャンよりも安上がりだから良い」という結論になった。
 

減速主義のコメディー

この「ロボニャン始動!」には、テクノロジーへの批判が込められていることは明らかである。テクノロジーが発達すると、高性能なマシンが数多く発明される。しかし高性能なマシンは大なり小なりエネルギーを消費しがちなので、家庭の電気代や地球の環境を圧迫しかねない。だからロボニャンのようなマシンはある意味ではぼったくりのようなものであり、それなら野生の猫に近いジバニャンのほうが案外マシだよねというのがこの回の趣旨であろう。
 
私は妖怪ウォッチビギナーですが、テクノロジーへの批判はTVアニメ版『妖怪ウォッチという作品自体の核心であるように思える。なぜならTVアニメ版『妖怪ウォッチ』OPゲラゲラポーのうた」の歌詞も、テクノロジーを批判する内容になっているからだ。OPの冒頭でテクノロジーを批判している以上、妖怪ウォッチというアニメ自体が反テクノロジー体制を志向している可能性が高いだろう。
 
瞬間伝わるメッセージ
ビュンビュン 計画サクサク
ズンズン
でも充電切れたら大変だ
繋がんなきゃみんなプンプン
ねえベンリって何だろう?
未来に抱いた不安感も
全部ゲラッポー 時計パッと
マ・キ・モ・ド・セ
 
現代社会ではスマホやパソコンなどの開発が高スピードで進んでおり、メッセージがSNSやメールでビュンビュン送受信される。そしてアメリカのトップビジネスエリートや加速主義者などはスピード狂になりがちで、金儲けやアプリ開発仮想通貨やメタバースなどの領域をすごい勢いで開拓しまくっている。つまり「テクノロジーを乱用してベンリに暮らしていこう」というのが、現代っ子の考え方なわけだ。
 
しかしテクノロジーを使用するのは、大なり小なり環境に悪影響を与えるだろう。特に充電が切れたら多くのテクノロジーは使用不可能になり、ロボニャンのように高性能なマシンも置物にしかならないだろう。そこで提案されるのが、「時計を巻き戻す」ということだ。テクノロジーを加速させるのではなく、時計の針を巻き戻し、減速させればよいのだという説が浮上する。
 
ロボニャンは現在のジバニャンの未来の姿で、高性能の代償として多額の電気代を発生させた。しかし現在のジバニャンはかなり無能な妖怪であるものの、安いチョコボーを食わせるだけで喜ぶ。ジバニャンは言わば「ロボニャンの減速した姿」なのであり、この「ロボニャン始動!」とかいうアニメ自体も「テクノロジーの減速」を提案するアニメだと言ってよかろう。
 
現在を生きる私たちの世界は、未来から見れば「未来から巻き戻された世界」である。現時点でテクノロジーを加速させる加速主義者たちよ、そのまま加速してよいのだろうか?時計の針を巻き戻すかのようにして、テクノロジーを減速させたほうが、案外安上がりで済むとは考えられないのだろうか?一昔前に流行った妖怪たちが、そう囁いているように私には思えた。
 (C)LEVEL-5/妖怪ウォッチ♪プロジェクト/テレビ東京
 
〈関連記事〉
「ロボニャン始動!」が減速主義妖怪アニメである一方、「史上最悪のトゲピー!」は加速主義ポケモンアニメである。意識高い系の読者諸賢には、双方とも視聴した上で減速主義と加速主義の是非をジャッジして頂きたい。

平沢進『論理空軍』とウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』の考察

本日は、平沢進(P-MODEL)の『論理空軍』を考察する。平沢進(通称:平沢師匠)はとてもヘンテコな音楽を作ることで有名な音楽家で、彼の音楽は実に変なのでネットでネタにされがちである。論理空軍』も例に違わず奇妙な音楽で、私は聴いていてしょっちゅう頭がおかしくなりそうになった。しかし10回くらい繰り返し聴いているうちに、この『論理空軍』が何を表現している音楽なのかがようやくわかってきた。
 
おそらく『論理空軍』は、「論理が飛躍し、空回りしている」ということを表現した音楽なのだと思う。とりあえずみんなも、この珍奇なPVを視聴してみてくれえ……。
 

『論理空軍』の歌詞の考察

まず、『論理空軍』の歌詞を考察する。平沢師匠は『論理空軍』の歌詞で、何度も繰り返し空中戦に挑んでは失敗し、時間を巻き戻して再チャレンジする戦士になりきっている。戦闘機に乗って空を飛んだけど、また自機が大破してしまった。でもあきらめないぞ。時間を過去に巻き戻し、別の選択肢を捜せばいいのだから。
 

UNDOで寸分前の
過去を帳消す飛行機で
 
何万の航路を開けて
出迎えるスフィアを行け
 
「undo」とは、「元に戻す」という意味の英単語である。UNDOで寸分前の過去を帳消す飛行機で」という歌詞はつまり、「前回は戦闘機が失敗をしでかしたので、時間を巻き戻して空戦をやりなおそうぜ!」という意味であろう。
 

また、「スフィア」とは、「天体」「球体」「星」などの意味を持つ英単語である。したがって何万の航路を開けて出迎えるスフィアを行け」という歌詞はつまり、これから先何万パターンも選択肢がある戦場に向かうんだけど、この空中戦で頑張って正解の択を選ぼうぜ!」という意味であろう。
 

塀へ 塀へ
一瞬脳裏のクラッシュは
 
安住の幻影を消去し
歪曲のルートで塀消す
 

平沢師匠は戦闘機を操縦し、目の前にある巨大な壁のような「塀」に爆破されそうになった。しかし彼は昔戦闘機が塀の地点で失敗した時の記憶を思い出して「塀」を撃破し、戦闘機を歪んだ方向に操縦することによって、「塀」との衝突(クラッシュ)を回避したのである。

私の推測では、平沢師匠の言う「塀」というのは物理的な壁ではなく、「過去の過ち」「過去のトラウマ」のような心理的な障壁ではないかと思われる。さらにこの『論理空軍』という曲は現実世界に実在する戦争ではなく、平沢師匠の脳内で繰り広げられる「試行錯誤」を描いているとも私には思われる。
 

夢に見た 再生の空
再会の空 あー
 
平沢師匠は戦闘機による戦争が終わり再生し、平和になった空を夢見ている。そして彼は戦争の果てに、誰かは知らへんけど大切な何者かと空で再会することも夢見ている。だから彼は、再生と再会のための空中戦を諦めないのだろう。あるいは空中戦が失敗する度に時間が過去に巻き戻されているので、「同じ空を夢に見るくらい再び見ている」という解釈もできそうだ。このサビの解釈は、人によってかなり分かれそうな感じがするね。
 
この一発目のサビ以降の歌詞は、私がここまで進路を提示すればたぶんある程度解読できるはずだ。あとの歌詞の精細な解釈は諸君の健闘を祈る!
 

論理哲学論考』の成立経緯の考察

さて、『論理空軍』考察のための補助線として、ウィトゲンシュタイン論理哲学論考も考察する。『論理哲学論考は20世紀の哲学シーンに多大なインパクトを与えた名著である。論理哲学論考』の内容は大変興味深いものであるが、論理哲学論考が成立するに至るまでの経緯も武勇伝に満ちていてクッソ面白い。私は世界史が苦手なので論述に不備があるかも知らへんけど、とりあえず古田徹也著『ウィトゲンシュタイン 論理哲学論考』から引用しよう。

 
 父カールの遺産をめぐるエピソードは、そうした彼(注:ウィトゲンシュタインのことです)の特異性を如実に物語るものだろう。ケンブリッジ大学で論理学と哲学に打ち込んでいた頃、父が死去し、彼は莫大な遺産を手にした。しかし、彼はそれを不遇な芸術家たちに寄付するなどして、やがてすべてを手放してしまったのである。
 
 また、同じ頃彼は、自ら死地を求める行動をとってもいる。一九一四年、第一次世界大戦が勃発すると、彼はすぐさまオーストリア軍の義勇兵に志願し、最前線に立った注:東部戦線の砲兵連隊です)彼はそこで勲章を授与されるほどの勇敢さを見せることになる。
 
 そして、彼はまさにその戦地で、自らの才能を大きく花開かせている。彼はこの大戦の間、ときに塹壕のなかで自らの思考をノートに綴り、かたちにしていった。それこそが、後に『論理哲学論考』と題される書物の原形にほかならない。*1
 
……ねえみんな、このウィトゲンシュタインとかいう哲学者、かなりの変人だったらしいけど超絶クソカッコ良すぎると思わないか??名門ケンブリッジ大学出身で、親の遺産を食い潰さず不幸な人々に寄付し、第一次世界大戦の最前線で祖国の命運を賭けた戦いに参戦するなんて、漢の中の漢である。
 

しかもウィトゲンシュタイン第一次世界大戦の死線で壮絶な戦闘を繰り広げながら、ニュータイプとして覚醒したアムロみたいに論理哲学者としての才能を大きく花開かせたのである。そして激戦の末に生き残ったウィトゲンシュタインは勇敢勲章を三つ獲得し、『論理哲学論考とかいう哲学書を書いて世界中を震撼させたのである。
 
一体何なんだよ、このウィトゲンシュタインとかいう天才哲学者wwwこんなガンダムのエースパイロットやブルーロックのエースストライカーみたいな英雄が実在したんやな……。カッケーっ!
 

『論理空軍』と『論理哲学論考』の組み合わせから見えてくるもの

ウィトゲンシュタイン第一次世界大戦に、陸軍の砲兵として配属された。そして彼は決死の戦いを繰り広げながら論理哲学者としての才能を覚醒させ、『論理哲学論考』を書いた。『論理哲学論考はその名の通り非常に論理的で明晰な文章で綴られており、ウィトゲンシュタインが戦場に蔓延るザクみたいな連中と戦いながら論理的思考力を底上げしまくっていたことが窺える。
 
ウィトゲンシュタインが陸軍に参加した論理哲学者である一方、平沢進は空軍をテーマとする『論理空軍』を作曲した電波系音楽家である。そして『論理空軍』の歌詞やPVは文字通り「ぶっ飛んで」いて、『論理哲学論考のような論理的整合性が感じづらい。それどころか『論理空軍』は論理がいろいろ飛躍していて、頭がおかしくなりそうな狂気を感じるレベルの音楽である。
 

『論理空軍』は電波ミュージックであり、論理が飛躍している。平沢師匠は論理が飛躍しているのでウィトゲンシュタインのように明晰な陸軍になることができず、「飛翔した空軍」にならざるを得ないのであろう。そして『論理空軍』のPVでは、平沢師匠が操縦する戦闘機のプロペラがせわしなく回転している。この回転するプロペラはおそらく、「論理が空回りしている(空転している)」ことを表現しているのだろうと私は思っている。ともかく『論理空軍』は、論理が飛躍しまくったデッドゾーンを浮遊しているように、私には思えるのである。
 
「語り得ぬものについては、沈黙しなければならない」ウィトゲンシュタインは語った。平沢師匠は『論理空軍』で明晰に語りうる世界の外側を飛翔してしているがゆえ、『論理空軍』については、もはや私は沈黙しなければならない。
 
以上で、『論理空軍』の考察を終了する。

*1:紫字の引用箇所は古田徹也『ウィトゲンシュタイン 論理哲学論考』、角川選書、二〇一九、一六頁。