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『青い空のカミュ』批評・感想・考察まとめ~青カミュ研究序説~

 私は今年の2月から、美少女ゲーム『青い空のカミュ』と「不条理」をテーマにした記事をこのブログに書いてきました。今回は、その一連の記事のまとめです。ついでに読書案内も載せておきました。我ながらたくさん記事を書いたなと思いますが、私の実力不足のせいで上手く考察できなかった点がかなり残ってしまったと感じます。この記事が、これから『青い空のカミュ』を研究(笑)なさる方の参考になれば幸いです。
 

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『青い空のカミュ
シナリオ・原画:〆鯖コハダ
(C)KAI
2019年3月29日発売
 

『青い空のカミュ』に関する記事

 

・『青い空のカミュ』体験版

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・『青い空のカミュ』製品版

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『青い空のカミュ』関連作品に関する記事

 

カミュ『異邦人』

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カミュ「シーシュポスの神話」

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カミュ「不貞」

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宮沢賢治よだかの星

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その他、関連性のある記事

 

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読書案内

 
『青い空のカミュ』のシナリオを理解するのに役立った文献をご紹介します。
 

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カミュ(窪田啓作訳)『異邦人』、新潮文庫、1954年
カミュの著作を初めて読む方は、代表作の『異邦人』から読んだら良いかと思います。『異邦人』は訳文が読みやすく、ページ数も少ないので、一見すると楽に読めそうな小説です。しかし、主人公ムルソーが常識から大きく外れたことをしたり考えたりするので、読み取るのがけっこう難しいです。このブログの記事が、少しでも皆さんの読解の参考になったらいいな…と思います。
 

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三野博司『〈増補改訂版〉カミュ「異邦人」を読む』、彩流社2011年
カミュ研究の世界的権威である三野先生による、『異邦人』の解説書です。値段が手頃だし、『異邦人』に関する情報の宝庫のような本なので超おすすめです。『異邦人』の要約や精神分析批評、ポストコロニアル批評など、様々な観点からの批評が一冊にまとめられています。186~187ページ目に載っているカミュ本人へのインタビューは、ブログで何度も引用しましたね。カミュが『異邦人』についてすごく率直に語っていて、大いに理解の参考になるインタビューでした。
 

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カミュ清水徹訳)『シーシュポスの神話』、新潮文庫1969年
若いカミュが書いた哲学的エッセイ集です。「不条理」がテーマになっているエッセイ集なのですが、理論が飛躍したり独断が含まれたりしており、エッセイ自体が不条理だと思いました。中でも「シーシュポスの神話」はとても短いエッセイですが、読む人の人生観を大きく変える力がある文章だと思います。
 

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カミュ(宮崎嶺雄訳)『ペスト』、新潮文庫、1969年
疫病が流行して閉鎖された町の人々の言行が、驚くほど静かな語り口で書かれた小説です。この小説の内容は難解ではありませんが、訳文が読みにくいと私は感じました。光文社古典新訳文庫とかで読みやすい訳が出てほしい。
 

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中条省平『100分de名著 ペスト』、NHK出版、2018年
NHKのテレビ番組で『ペスト』の特集が放送された時に出た本。作品のテーマや成立経緯、疫病の変化や登場人物の人柄など、押さえておきたい要点がコンパクトにまとまった本です。この本はすごく良い本なのですが、たまにおかしなことが書いてあるので注意が必要です。例えば、7ページ目では『異邦人』ムルソーが世間に反抗していると書いてありますが、これは良くない解釈だと思います。ムルソーは世間の常識をどうでもよいと思っており、世間に反抗しようとは思っていないと私は考えています。
 

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宮沢賢治『新編 銀河鉄道の夜』、新潮文庫、1989年
この本には、『青い空のカミュ』で言及された「銀河鉄道の夜と「よだかの星」が両方とも収録されています。銀河鉄道の夜と「よだかの星」は非常にしっかりした構造を持つ童話で、構造がもたらす必然性に促されるかのようにして物語が進んで行きます。
 
銀河鉄道の夜宮沢賢治】あらすじ解説」
こちらはfufufufujitani様による「銀河鉄道の夜の考察です。銀河鉄道の夜」のあらすじや物語構造の分析、難解な三位一体の教義の解説など、情報量が多く高レベルな内容です。銀河鉄道の夜」「よだかの星」だけでなく、「注文の多い料理店」「なめとこ山の熊」もすごく作り込まれた童話なんですね。他の童話にも巧妙なフラグが仕掛けられているかもしれませんから、良かったら皆さんも宮沢賢治の童話を分析してみてはいかがでしょうか☆
 
『青い空のカミュ』と「不条理」をめぐる冒険は、これでひとまずおしまいであります。fufufufujitani様の考察を教えて頂いた週休二日様には、この場を借りてお礼申し上げます。では~ノシ

僕たちが寺田心を「不自然だ」と感じる理由。

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皆さん、おはようございます!社会不適合者甘井カルアでございます!!!

 
いきなりカミングアウトしますが、私の社会的地位や経済力はとても低いです。私はコミュニケーション能力もとても低いので、面接で上手くしゃべれなかったせいでいろんな仕事を何回も落ちました(ドヤァ!
 
私は今、奇跡的に採用された職場で働きながら社会の底辺で生活しております。私は明らかに今の仕事に向いてない人間ですが、他の仕事が見つかりそうもないので今の仕事に必死でしがみついています。
 
今回は、社会に向いてない社会人である私が常識について語ります。
 

自分には常識がない

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私は社会人になってから、自分には常識がないということがよくわかりました。私は何度も転職してきた人間ですが、どこの職場でも採用されたらまず社会人としてのマナーというかを叩き込まれました。新しい常識を教わるたびに、「今までの自分には常識がなかったんだなあ」と思います。特に私の前の職場はマナーに異常なほど厳しい職場で、非常識な私は課長にものすごく怒られました。職場の常識に適合出来なかったので、前の職場はすぐに辞めました。
 

他人にも常識がない

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仕事をしていると、社会には常識がない他人が多いことに気づきます。私には意味のわからないことを言ったり、私には理解できないことをしたりする他人と、仕事ではうまくやっていかなければなりません。常識がない自分が、かろうじて常識を身につけて社会の中に立ったら、出会うのは常識を超えた世界でした。常識がない」という言葉はネガティブな意味合いで使われることが多いですが、常識がない私には常識がない他人を悪く言う資格はないと思います。おあいこです。
 

社会がこわい

 
フランスのノーベル賞作家カミュは、こんなことを言っています。
 

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人間の社会では、その習慣に従わないものは危険視され、ついには社会の名において公然と殺されるのです。*1
 
人間は、社会の秩序を守るために常識習慣を作っています。度を越して非常識な人は社会の平和を脅かす存在なので、処罰されます。社会に逆らう悪者だけでなく、私のように社会に擦り寄ろうとしても上手く適合できない不適合者に対しても、社会は冷たいと思います。
 
社会に従わない者は社会に殺されるとカミュは言っていますが、社会に従いすぎる者も社会に殺されるのでは?と私は思います。最近、とあるサービス業の偉い人が過労で亡くなったというニュースを見ました。社会に必要とされる優秀な歯車のような人が酷使されまくって死に至ることがたまにありますよね。
 
社会を作ったのは人間ですが、社会は時として親である人間を殺すと思います。社会に従わないと殺されるけど、社会に従いすぎても殺されるって怖すぎないですか?自分も他人も世界も常識に収まりきらないのに、常識の顔色を伺わないと殺されるって怖すぎないですか?私は社会が怖いです。
 

寺田心が「不自然な」理由

 

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社会に従いすぎる人間といえば、私は寺田心君を思い浮かべます。心君は子供ですが、彼は社会の要求に完璧と言っていいほど答えていると思います。常識がない私などは、心君の言動に正直「不自然さ」を感じるほどです。
 
私たちの多くは学生時代に他人との付き合い方を覚え、社会人になってから指導され、いちおう常識を身に付けるものです。生まれたばかりの人間には常識がないし、大抵の人間は常識を身に付けるまでに長い時間がかかると思います。子供の失敗は「いいんですよ、子供のしたことですから」と大目に見られることが多いですが、これは「幼い子供は常識通りに振る舞えるはずがない」という「常識」を私たちが共有しているからでしょう。
 
しかし、寺田心君は幼い子供なのに、常識を見事に体得しているように見えます。私たちが心君を「不自然だ」と感じるのは、「幼い子供は常識通りに振る舞えるはずがない」という「常識」を心君が裏切っているからではないでしょうか。心君は、私たちの「常識」を超えた「常識人」だと思います。
 
僕たちは非常識な人間として生まれるし、常識は時間をかけて身に付けるものだ。
 
そんなことぐらい、僕たちはもう知っているはずなんだ。
 
~終~

*1:三野博司『〈増補改訂版〉カミュ「異邦人」を読む』、彩流社二〇一一、一八六頁。

『青い空のカミュ』「銀河鉄道の夜」「よだかの星」批評~不条理の反転光学~

今回は、『青い空のカミュ』批評の最終回です。私たちにとっては不条理で意味不明な出来事も、私たちよりも高次元な何かにとっては意味のある出来事なのかもしれない」というお話をさせていただきます。『青い空のカミュの作中で言及された「銀河鉄道の夜」「よだかの星についてもお話しします。
 
なお、本稿は、当ブログに寄せられたはくえい様、qcy0v0様、週休二日様のご意見を参考にして執筆したものです。本稿が完成したのは皆様のおかげです。皆様、本当にありがとうございました。
 

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『青い空のカミュ
シナリオ・原画:〆鯖コハダ
(C)KAI
2019年3月29日発売
 

銀河鉄道の夜」の不条理と必然

 

『青い空のカミュ』にネットで寄せられた批判を読んだら、結末が簡単に予想できるし、ストーリー展開に意外性がない」というようなものがありました。私は『青い空のカミュ体験版をプレイした段階で、挿入歌の歌詞やPVの内容などから、製品版の結末を予想しました。あとTwitterには、犬のサトくんと猿のヒヒの正体を事前に予想している方がいらっしゃいました。で、製品版をプレイしてみたら、予想のまんまの展開で終わりました。『青い空のカミュ』には読者に対する裏切りが(良くも悪くも)足りないと、正直私も思いましたね(苦笑)。

 
『青い空のカミュ』は、シナリオの前半を読んだら今後の展開を簡単に予想できる作品だと思います。この「今後の展開の予想しやすさ」が、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」をどこか彷彿とさせるなと思いました。例えば「銀河鉄道の夜」の冒頭では、銀河に関する講義が行われます。なので、冒頭を読んだだけで「これから銀河が舞台の物語が始まるんだな」と予想できます。また、冒頭の講義やジョバンニと母親の会話で、川について話されます。そこから、「これから川で何かが起こりそうだな」と予想できたりもします。
 
そして「銀河鉄道の夜の冒頭ではジョバンニがザネリにいじめられるのですが、このいじめもジョバンニが宗教的な体験をする素質があることを予告するためのフラグだと解釈できます。キリストが弱者の側に立ったことなどから、弱者であるジョバンニは神に迎えられるべき人物だといえる(「毛蟹の与太話」さんの受け売りで申し訳ないです)。ジョバンニは神に迎えられるべき弱者だと解釈すると、ジョバンニがいじめの標的になるのは当然のことのように思えますしかしジョバンニ本人は、いじめを不条理なこととして受け止めます。
 
ザネリはどうしてぼくがなんにもしないのにあんなことを云うのだろう。走るときはまるで鼠のようなくせに。ぼくがなんにもしないのにあんなことを云うのはザネリがばかなからだ。」*1
 

よだかの星」の不条理と必然

 
銀河鉄道の夜」のジョバンニだけでなく、「よだかの星のよだかもいじめの標的になります。いじめは非合理な現象だとよく言われます。よだかにとって、自分が生まれつき醜い外見に生まれたせいで他者に嫌われていることは、理不尽で耐え難いことでしょう。しかし、「よだかの星の物語構造を分析すると、よだかが追い詰められるのには必然性があると解釈できます。いじめは許されることではないと世間ではよく言われますが、「よだかの星」の物語には、いじめを必然的に発生させる構造が仕組まれていると私は思います
 

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私はこのブログで何回も書きましたが、よだかの星」では、星になる前と星になった後でよだかの性質が逆転しています。星になる前のよだかは醜く、食物連鎖に組み込まれており、有限な命を持つ。星になった後のよだかは美しく、それ自体として独立して存在しており、永遠に存在し続ける。この対句を成立させるためには、星になる前のよだかはどうしても追い詰められなければならなかったのだと思います。
 

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これはこのブログのお客様からいただいたコメントを読んで気付いたことなのですが、よだかの星」は、物語の内側から見るか外側から見るかの違いで解釈が逆転する物語でもあります。よだかの星という物語の内部に存在するよだかの視点に立つと、よだかの運命はとても不条理なものに思えるでしょう。『青い空のカミュの燐と蛍はよだかの運命に必然性を感じませんでしたが、これは燐と蛍がよだかの視点に立って物語を読んだからでしょう。しかし、「よだかの星」という物語の構造を外側から分析すると、よだかの運命は全て必然的に導かれたものだと思えてきます。*2
 

『青い空のカミュ』の不条理と必然

 

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『青い空のカミュ』のシナリオは、主人公の燐と蛍にとって不条理なものです。『青い空のカミュには、燐と蛍がゾンビのような化物に凌辱される理不尽なバッドエンドが5種類用意されています。『青い空のカミュに用意されている唯一の正解といえるエンディングも、ご都合主義を排したせつなさが残るものです。『青い空のカミュには燐と蛍にとって優しくご都合主義な結末が用意されておらず、燐と蛍にとって不条理な結末があるだけです。『青い空のカミュのシナリオでは、燐と蛍から見ると不条理な結末こそが、物語外部の読者である私たちから見ると必然なのです。
 

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物語の登場人物である燐と蛍には、自分たちの運命の必然性を感じることができません。物語の内側にいる燐と蛍は物語を外側から眺めることができないので、出来事の必然性や意味をうまく理解することができないのです。ジョバンニやよだか、燐と蛍にとって、出来事は偶然に・不条理に発生しているように見えるでしょう。読者である私たちは物語の登場人物よりも高次元な立場にいるので、一連の出来事に必然性や意味を読み取ることができるのですが。
 
私たちは人生の途中で、突然理不尽な目に遭うことがあります。しかし、私たちには意味のわからない出来事も、私たちよりも高次元の存在(実在しているかどうかは私たちにはわかりませんが、神や異次元人ヤプール人のような存在)にとっては必然性や意味がある出来事なのかもしれません。私は『青い空のカミュ』や宮沢賢治の童話を読んでいるうちに、不条理な運命に対する耐性が身に付きました(笑)。理不尽な思いをしても、「これは私にとって理不尽なだけで、私よりも高次元な何かが存在するとしたら、その何かにとっては必要なことなのかもしれないな」と思えるようになりましたね。
 
私が永遠に生き続けるとして、はたして謎は解決するだろうか。その永遠の生もまた、現在の生と全く同様に、謎に満ちたものではないのか。時間と空間のうちにある生、その謎の解決は、時間と空間の外にある。

*1:宮沢賢治『新編 銀河鉄道の夜』、新潮文庫、一九八九、一九六頁。

*2:物語の内側から見ると不条理に感じられ、物語の外側から見ると必然性を思えるというのは、「よだかの星に限った話ではないと思います。ただ、今回は、不条理と必然が物語の内/外で反転する「絶好の例」ということで、「よだかの星」を挙げさせていただきました。

*3:古田徹也『ウィトゲンシュタイン 論理哲学論考』、角川選書、二〇一九、三一一~三一二頁。

『青い空のカミュ』批評~「綺麗なもの」と「傷だらけなもの」は両立する~

今回は、『青い空のカミュ』製品版の結末を考察します。『青い空のカミュ』の考察は、おそらく次回で最後になると思います。皆さん、よければもう少しだけおつきあいくださいw
 
結論から先に言うと、人の心は傷だらけになっても純粋を保つことができる」というお話をさせていただきます。また、『青い空のカミュという作品は、ただ単に「存在するものはすべて美しい」という文字通りの綺麗事を言っているわけではないというお話でもあります。
 

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『青い空のカミュ

シナリオ・原画:〆鯖コハダ
(C)KAI
2019年3月29日発売
 
『青い空のカミュ』製品版の結末の考察で多いのは、製品版の結末を宮沢賢治銀河鉄道の夜から読み解く考察です。製品版の結末は明らかに「銀河鉄道の夜を意識したものですから、「銀河鉄道の夜が参照されるのは当然のことでしょう。しかし、いろいろ考えた結果、製品版の結末の考察で「銀河鉄道の夜を参照すると、解釈に曖昧な点が出てくると(私は)思いました。そのため私は今回、製品版の結末と「銀河鉄道の夜の関係については沈黙することにしました。
 

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燐は純粋で美しい心を持つ蛍のことを「傷一つなく綺麗な存在」だとみなしており、複雑な過去を持つ燐自身の心には「ひっかき傷」がたくさん付いていると思っていました。
燐「きっとね、蛍ちゃんは本当はこの世界の人じゃないんじゃないかって……そんなことを考えていたの。だって、蛍ちゃんって傷一つなくて、キラキラしているから」
(中略)
燐「わたしはもう引っ掻き傷だらけだもん……でも、蛍ちゃんが、そのままできれいなままなら、そんなことは、全然かまわないよ」
 
皆さんは、「ひっかき傷」という言葉の意味を考えたことがありますか?「ひっかき傷」という言葉には、「刺し傷」「咬み傷」などと比べて「奥底に達していない、表面に付いた傷」というイメージがあると私は思います。『青い空のカミュの作中では、「ひっかき傷」という言葉がよく使われていることが印象的でしたね。ただ単に「傷」「古傷」などと言わず、「ひっかき傷」という言葉が選ばれていることにはそれなりのわけがあるように思います。
 
 
 
(↓↓↓以下の文章には重大なネタバレが含まれています↓↓↓)

カミュ『異邦人』の考察~最後の一文編~

今回は、ノーベル賞作家アルベール・カミュの代表作『異邦人』の結末を解説します。なお、ベルナール・パンゴーの仮説については、N大学のT.H先生にメールで教えていただきました。T先生、お忙しいところ教えて頂きありがとうございました。

 

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『異邦人』
アルベール・カミュ(窪田啓作訳)
1954年初版発行
 

不条理な結末

 
『異邦人』の主人公・ムルソーは、アラビア人を殺害します。裁判にかけられたムルソーは、死刑を宣告されます。死刑を宣告されたムルソーは、物語のラストでこんなすごいことを言って終わります。
 

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すべてが終わって、私がより孤独でないことを感じるために、この私に残された望みといっては、私の処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、私を迎えることだけだった。(pp.156-157)
 
この発言は、常識的に考えるとワケワカメまみれですよね。死刑になった自分の周りに憎悪の叫びをぶつける人々が集まったら普通の人は孤独で心細いと感じると思います。しかしムルソーは逆に、処刑の日に自分を憎む人々が訪れることによって「自分は孤独ではない」と感じるみたいなんですね(苦笑)。なぜ、見物人のヘイトが集まることによってムルソーの孤独感は解消されるのか?この問題の解答例をご紹介しましょう。
 

ベルナール・パンゴーの解釈

 
批評家・作家のベルナール・パンゴーは、ムルソーは自分が死刑になることによって、父親に接近することを期待していた」という仮説を提唱しました。この仮説の根拠は、以下の文章です。
 

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 そんなときに、私はママンから聞いた父のはなしを思い出した。父は、私の記憶にはない。父について私が正確に知っていたことといっては、恐らく、ママンがそのとき話してくれことだけだろう。父はある人殺しの死刑執行を見に行ったのだ。(中略)死刑執行より重大なものはない、ある意味では、それは人間にとって真に興味ある唯一のことなのだ、―そんなことがどうしてこれまでわからなかったのだろう!(p.139)
 
ムルソーには、自分の父親に関する記憶がありません。ムルソーは母親から、自分の父親は死刑執行に興味を持っていたということを聞かされています。ということは、ムルソーに死刑が執行されたら、自分の父親がムルソーのもとにやってくる可能性があります。ムルソーは、自分の父親に会いたいと思っていた。死刑が執行される日に自分の父親がやってきたら、ムルソーは寂しくない。だからムルソーは、死刑執行の日に大勢の人々がやって来て大騒ぎになることを望んだのだ。これがパンゴーの仮説です。
 
なるほど、パンゴーの仮説を採用すれば、ムルソーが憎悪の叫びをあげる見物人を欲した理由が納得できますね。パンゴーの仮説のいいところは、論理常識を破っているように見えるムルソーの発言を合理的に得できるように説明しているところです。パンゴーの仮説のよくないところは、『異邦人』でちょろっと言及されているだけの父親についての記述を当てにしているところだと思います。ムルソーは『異邦人』の作中で父親のことについてほとんど言及してないし、ムルソーが父親に接近したがってることなんて普通わかんねえよ!!!」って怒る人が出てきそうな解釈ではありますね。
 

管理人=甘井カルアの解釈

 
今度は、『異邦人』のラストに対する私の見解を述べさせていただきます。私は、そもそも「大勢の人々にヘイトを向けられた人間が孤独でなくなるのはおかしい」という常識を捨て去るべきだと考えています。常識的に考えたら、ラストのムルソーの発言はとても不条理に思えます。しかし私たちは常識を捨てて、ムルソーの発言をありのままに受けとめるべきではないかと思います。
 
ムルソーは、常識が通用しない思考や行動パターンの持ち主です。例えば、ムルソーは自分の母親を愛していました。しかしムルソーは、「母親が死んだら母親の死顔を見て泣く。葬式の後には遊びに出掛ける気にはなれない」という社会の常識に適応しませんでした。『異邦人』に登場する検事はムルソーの心情を理解せず、非常識な行動をするムルソーを「精神的に母を殺害した男」だと誤解しました。ムルソーは自分の心情を、常識的な形で表現しません。
 
なので、「私がより孤独でないことを感じるために、この私に残された望みといっては、私の処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、私を迎えることだけだった」というムルソーの発言も、常識を捨てて文字通りに受けとめるべきだと私は考えています。自分は孤独でないと感じるために大勢の見物人の憎悪を望むというのは常識的に考えると変な話ですが、ムルソーという特異な男がそう思ったからそうなのではないでしょうか(笑)。
 

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『異邦人』では、常識に囚われない人間のあり方が描かれていると思います。私たちは物事を理性的に・常識的に捉えようとしますが、この世界の出来事は時として人間の常識を超えています。人間が信用している理性や常識は、『沙耶の唄の凉子が言うように「タガの弛んだ、穴だらけの、頼りない代物」なのかもしれません。
 

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〈関連記事〉
↑私は『異邦人』を考察するときに、よく『沙耶の唄について言及します。不条理と常識のせめぎ合いを描いた作品として、『異邦人』と『沙耶の唄』が同じ問題圏を共有していると感じます。