かるあ学習帳

この学習帳は永遠に未完成です

大江健三郎『個人的な体験』終幕の考察

f:id:amaikahlua:20210408130653j:plain

『個人的な体験』
1981年2月25日初版発行
 

俺たちに翼はない

『個人的な体験』の主人公・鳥は自分の息子が障害児であることに絶望し、現実から逃げようとしました。しかし鳥は終幕で現実に帰る決心をし、責任を持って息子を育てることになります。息子は鳥の輸血によって安泰に育ち、大学教授の義父は鳥を「おめでとう」と称賛します。終幕寸前までは主人公の陰惨な現実逃避を描いていたのに、終幕になって若干唐突に主人公が「おめでとう」と祝福される展開が、ちょっとTV版エヴァンゲリオンに似ているような気がするなあ。でもこの温かい結末、私は好きだよ(笑)。
 
「きみは変ってしまった」と教授が幾らかは愛惜の念もこもっている、あたたかい肉親の声でいった。「きみにはもう、鳥という子供っぽい渾名は似合わない」(p.252)
 
夢を諦めて現実に帰った鳥は、人間として成長します。鳥の義父は「鳥」という主人公のニックネームを「子供っぽい」と評します。これはどういうことでしょうか。おそらく「鳥」という名前には、「鳥のようにふらふらして、常世界から飛び去ろうとしている男」という否定的な意味合いが込められているからだと思います。しかし鳥は終幕で不幸をしっかり受け止め、常世界から逃げるのをやめた。だからもう、「鳥」という未熟な名前は似合わなくなったということでしょう。
 
翼をください」という有名な曲があります。この曲では、鳥のように翼を広げて悲しみの無い自由な空へ飛んでいきたいという〈理想〉が歌われている。一方『個人的な体験』の終幕では、鳥のように飛び去ることはできないし悲しみと不自由に満ちた人間の〈現実〉が描かれている。『個人的な体験』は、現実逃避のための小説ではない。逆に、辛い現実に向き合う勇気が得られる小説だと思います。個人的な体験』の終幕にはフィクション=物語を現実逃避の道具にしないようにする効果があるので、この終幕を入れた大江氏の決断を私は支持します。
 
家にかえりついたならまず鏡をみよう、と鳥は考えた。それから鳥は、本国送還になったデルチェフさんが、扉に《希望》という言葉を書いて贈ってくれたバルカン半島の小さな国の辞書で、最初に《忍耐》という言葉をひいてみるつもりだった。(p.252)
 
《希望》という言葉が書かれた辞書で《忍耐》という言葉を引いてみようと鳥が思ったところで『個人的な体験』の物語は終わっています。この結末ではおそらく、自分の不幸を耐え忍んでいれば、きっといつかいいことがあるだろうさという希望が表現されているのだろうと思います。鳥のようにあらゆる孤独で不幸な人々の、我慢が実を結びますように…。
 

三島由紀夫の終幕批判

『個人的な体験』の終幕は三島由紀夫たちに批判され、三島由紀夫によるその批判は大江氏にとって図星だったらしい。その経緯は、大江氏のエッセイ『私という小説家の作り方』に書いてあります。
 

f:id:amaikahlua:20210414131815j:plain

 ところがまだ若い小説家である私には、小説を書き始める前に考えたプランが棄てられなかったのだ。主人公鳥がもうまったく子供ではないと客観的に認知されるシーン、それにつないでの、小説の最初に出てくる不良少年たちとの格闘のシーンとシンメトリーをなすような、かたちを変えての再現。そのラストの構想にこだわってしまったのだ。三島由紀夫による批判の、これではプロデューサーにハッピー・エンドで終らねばならぬと言いふくめられた監督のようだ、という否定はあたっていた。*1
 
『個人的な体験』の冒頭には、妻の出産を控えた鳥が不良少年たちと喧嘩をするシーンがあります。一方『個人的な体験』の終幕では、鳥が喧嘩した不良少年たちに再会するのですが、不良少年たちは鳥に喧嘩を売らずに去っていきました。鳥が人間的に成長したので、不良少年たちは喧嘩を売る気にはなれなかったのでしょう。個人的な体験』の冒頭と終幕では「鳥と不良少年たちとの遭遇」が繰り返され、状況の対比によって鳥の成長が鮮やかに描かれています。大江氏はこの対句のような表現を、どうしても終幕でやりたいと思ったんですね。
 

f:id:amaikahlua:20210414172957j:plain三島由紀夫(1925~1970)

しかし、そのため『個人的な体験』の終幕は凄惨な現実逃避から一転して温かい現実に帰る内容になり、話の流れがやや不自然になってしまった。鳥の現実に対する恐怖が最高潮に達した後で訪れる終幕のハッピーエンドを、三島由紀夫は上手いと思わなかった。私は三島が言う程この終幕を悪いとは思っていないのですが、大江氏が固執した「対句表現」や「ハッピーエンド」*2が肯定的に評価されなかったのは興味深い現象だなと思います。
 
「冒頭と終幕で同じような場面を繰り返し、状況の対比によって主人公の成長を描く」というテクニックは、『個人的な体験』以外の物語でも見られる技法ですね。例えば宮沢賢治の「セロひきのゴーシュ」でも冒頭と終幕で同じような場面が繰り返され、冒頭と終幕の対比でゴーシュの成長が強調されています。*3物語にこうした技巧を取り入れると普通は称賛されることが多いと思うのですが、大江氏はこの技法にこだわるあまり批判されたというのは興味深い
 
小説のテクニックを重視したら必ずしも褒められるわけではないし、ハッピーエンドにしたら必ずしもみんな喜ぶわけでもない」という例が、『個人的な体験』。対句表現とハッピーエンドを入れたら必ずしも良いわけではないというのは、創作を志す人にとってけっこう勉強になる話ではないかと思います。技術は大事ですが、技術を追求するあまり物語の「自然さ」が損なわれないよう気を付けたいものですね。

*1:大江健三郎私という小説家の作り方』、新潮文庫、二〇〇一、一七九頁。

*2:個人的な体験』の終幕は「ハッピーエンド」とは一概に言えないと思いますが、本稿では三島の言葉を借りて「ハッピーエンド」と表記します。

*3:「セロひきのゴーシュ」に対句が用いられていることはとあるブログを読んで知ったのですが、諸事情によりリンクは貼りません。

大江健三郎『個人的な体験』の解説とか感想とか

ノーベル賞作家・大江健三郎は、知的障害のある息子・光の父親です。頭部に異常のある息子が誕生した時の大江氏のショックは凄まじかったらしく、体がうつぶせのまま動けなくなったこともあったとか。大江氏と『個人的な体験』の主人公は同一人物ではありませんが、大江氏は障害児の出生に触発されて『個人的な体験』を執筆しました。

 

f:id:amaikahlua:20210408130653j:plain

『個人的な体験』
1981年2月25日初版発行
 

作品の大まかな内容

主人公・鳥(バード)は、27歳の予備校講師です。鳥にはアフリカを旅行したいという夢があり、鳥は旅行の後で冒険記を出版したいとも思っていました。しかし鳥の妻は頭部に肉瘤のある息子を出産し、「家族の檻(おり)」に閉じ込められた鳥は絶望します。鳥は、妻ではない女友達・火見子(ひみこ)とのセックスに溺れます。しかし最後に鳥は責任を持って障害児を育てる決意をし、人間として成長します。
 

「鳥」という名前

この小説の主人公は、「鳥(バード)」という少し奇妙な名前を持っています。この「鳥」という名前には、かなり色々な意味合いが込められていると思います。まず、作中で具体的に説明されているように、主人公は文字通り鳥のような外見をしているから「鳥」と名付けられたと考えられる。あと、何年も昔の『群像』の対談で、大江氏が平野啓一郎さんに「鳥」というのは現実世界で自分に付けられたあだ名が由来だと言っていた記憶がある。また、「鳥」というのはチャーリー・パーカーのあだ名を意識しているのではないかという説もある。
 
私がこの小説を読んだ限り、主人公が「鳥」という名前なのは、「主人公が日常世界から鳥のように自由に羽ばたきたいと思っているから」という理由がありそうだなと思いました。鳥には家族という檻(おり)のフタから出たいと思っている節がありますが(p.11)、これは檻から飛び立つ鳥をイメージさせる。また、鳥は酒好きで夢見勝ちな性格なので、ふらふら飛び立つ鳥のような男だ。あなたフラフラフラフラミンゴ。
 
「本当に、大丈夫であってほしいわ、鳥。わたしには、とても大切な時に、あなたが酔っぱらうか、おかしな夢にとりつかれるかして、ほんとの鳥みたいに、ふらふら飛び立っていってしまいそうに思えることがあるのよ」(p.150)
 

子供の死を願う父親

私がこの小説を読んで衝撃的だったのは、鳥が障害のある息子の誕生を少しも嬉しいと思っておらず、息子がどうにかして死ぬことを切実に願っていたところですね。倫理観や親心のある人なら「お前、子供の父親だろ!自分の子供をかわいいと思わないなんて、人でなしめ」と非難したくなる主人公。しかし、鳥にとって息子は自分の夢を邪魔する怪物なのであって、鳥が息子に死んで貰いたいと思っていることが作中で正直に書いてある。大江氏は後書きで鳥と自分は別物だと断っているけど、これは作品と作者を同一視する人からの批判をかわすためなのかなと思ったね(笑)。
 

火見子という誘惑

障害児の誕生から逃げようとする鳥は、火見子という女友達とのセックスに耽溺します。この火見子という女性は一流大学(おそらく東大)を卒業した女性で、哲学的な思索をしている。火見子は堕落した生活を送っているのですが、性的な魅力に満ちている。火見子は鳥の良き理解者として振る舞い、鳥を慰めたり鳥と一緒にアフリカに出発しようとしたりする。
 
私が読んだ限り、火見子はエロゲーとかに出てくる「男が理想とする、男にとって都合のいい女」に近い存在として描かれていると思う。結局鳥は火見子と別れて現実に帰る決心をするのですが、これは「エロゲヒロインを捨てて現実に帰れ」という古来からあるオタク向けメッセージが大江流に変奏されたバージョンという感じがしましたね(ちょっと違うかも)。
 

これが「個人的な体験」だ

「確かにこれはぼく個人に限った、まったく個人的な体験だ」と鳥はいった。「(中略)ところがいまぼくの個人的に体験している苦役ときたら、他のあらゆる人間の世界から孤立している自分ひとりの竪穴を、絶望的に深く掘り進んでいることにすぎない。おなじ暗闇の穴ぼこで苦しい汗を流しても、ぼくの体験からは、人間的な意味のひとかけらも生れない。不毛で恥かしいだけの厭らしい穴堀りだ、ぼくのトム・ソウヤーはやたらに深い竪穴の底で気が狂ってしまうのかもしれないや」(p.184)
 
この小説は『個人的な体験』という題名の通り、障害児の誕生という個人的な体験を描いた作品です。鳥は孤独な個人であり、絶望しながら闇に潜っていった。現実の世界にも、障害児の誕生に限らずその人個人にしかわからない・その人個人で解決するしかない問題を抱えている人はたくさんいるでしょうね。作中の障害児というのは、個人個人に課せられた宿命や不幸や災難の象徴かもしれない。人は皆個人的な地獄を持った孤独な存在だけど、個人的な地獄を持っているという点では皆同じ。だから『個人的な体験』は、かえって万人のための小説でありうるのではないかと思いました。
 
さて、鳥は絶望的な穴掘りの末にラストで希望を見出だすのですが、このラストは三島由紀夫たちによって批判されました。個人的な体験』のラストについては論点が多いので、次回書きます。では、また次回。

『逆転検事2』レビュー~過剰なまでの伏線回収劇~

期待せずにプレイした『逆転検事』が予想外に面白かったので、続編の『逆転検事2』もプレイしてみました。「『逆転検事2はラストの伏線回収劇が凄い」という感想が多いですが、私はラストの伏線回収劇が好きになれなかった(笑)。ここは私のブログであり、感想は人それぞれ。少しぐらい巷の評判とは違った評価を下しても罰は当たらないよなあ!?
 

f:id:amaikahlua:20210405140701j:plain

2011年2月3日発売
評価:★★★★★
 

f:id:amaikahlua:20210405140933j:plain

前作『逆転検事』には須々木マコやオバチャンなど、逆転裁判本編の人気キャラが続々登場しました。逆転検事2にも逆転裁判本編の登場人物が多数再登場するのですが、「ほう…この人物に目を付けるとは。なかなか面白い所を突いてくるなあ」とファンに思わせるような人物が多かったですね。第1話「逆転の標的」には『逆転裁判2』のコロシヤサザエモンが参戦。第2話「獄中の逆転」には刑務所で服役中の山野星雄(!)が登場するなど、逆転裁判ファンをニヤニヤさせる展開が待っています。
 

f:id:amaikahlua:20210405141130j:plain

逆転検事2』では、新システムとして「ロジックチェス」が登場します。ロジックチェスでは、御剣検事がなかなか口を割らない人物と言葉の駆け引きを行い、情報を引き出します。逆転裁判本編では心に秘密を抱えている人物に霊力を借りた対話が行われるのですが(サイコ・ロック)、ロジックチェスではオカルトに頼らないロジックの力で対話が行われるところがいい。(私はオカルト反対派)
 
あと、ロジックチェスでは対話する相手の表情や動作を窺い、論理だけでなく感情も考慮した交渉が行われるところもいい。ロジック」チェスなのにロジックだけでなくエモーションも読み取るのかよ?なんてツッコミが来そうですが、細かいところはさておき。逆転裁判シリーズはツッコミや揚げ足取りによって相手を追いつめるゲームなんですが、現実でこういうやり方で相手を尋問したら余計に怒って口を利かなくなる人がいそうだなと思う。しかしロジックチェスではロジックだけでなくエモーションも取り入れた交渉が行われていて、この話術は現実でもけっこう応用できそうだなと思いました。
 

逆転検事2』は傑作だという前評判を聞いていましたが、第2話までプレイした時点では正直「これ、そんなに凄いソフトなのか…?」と思っていました。逆転検事2』第2話までは前作『逆転検事と同じくらいの面白さで、前作を超えているとは私には思えなかった。ところが第3話「受け継がれし逆転」が始まってから、私は考えを改めました。逆転検事2』の第3話は、本当に面白かった。

 

f:id:amaikahlua:20210405141351j:plain

逆転検事2』の第3話では、御剣検事の父親・信と在りし日の豪先生の対決が描かれます。私の記憶では、信は当時腐女子の間でカルト的な人気を誇るキャラだったと思います。信という男が逆転裁判ファン(特に女性ファン)の間で重要な人物であることを山﨑Dはよく理解しているらしく第3話では信を掘り下げる物語が大ボリュームで描かれます。第3話は「前編」「前編2」「中編」「中編2」「中編3」「中編4」「後編」「後編2」「後編3」の9つのパートに分かれていて、最終話よりも長い。しかも、過去と現在が交錯するシナリオが大変良く出来ていて、「この第3話、もう最終話で良くね?」と思った。
 

f:id:amaikahlua:20210405141524j:plain

「『逆転検事2』の第3話めっちゃ良いやん…。この勢いをこのまま維持できるのか?」と思って第4話「忘却の逆転」に突入したら…。第4話もまた面白かったんだな、これが。冒頭から重要人物が記憶喪失になり、真犯人も凶悪な大物で実に手強い奴だった。第4話の真犯人、普通にラスボスでも良いクラスの敵だろww第3話だけでなく、第4話も最終回にしても良いレベルの盛り上がりでした。逆転検事2』とかいう怪物ソフト、一体どこまで上を目指せば気が済むんだ?(笑)
 

f:id:amaikahlua:20210405141926j:plain

さて、肝心の最終話(第5話)「大いなる逆転」ですが…。私はこの最終話をそれほど面白いと思いませんでした。「『逆転検事2』の最終話は神」という絶賛の声が多い中で言いにくいことですが、私は最終話にノレなかった。最終話では今までに敷かれた伏線が次々に回収され、事件の意外な黒幕が正体を明かします。最終話を高く評価しているプレイヤーは、怒濤の伏線回収劇と黒幕の意外性を高く評価しているのでしょう。おバカ検事の弓彦が成長するくだりは、私も好きですね。
 
でも、私は最終話の展開に「わざとらしい作為」を感じて萎えました。最終話ではとある人物がとある人物の親戚だったり、過去の事件が別の事件と深い関連性があったりすることが次々と明かされていくのですが、数多くの事象がこんなに都合良く有機的にリンクしていくなんてこと、普通ありうるのか?現実味が無さすぎるぞい…」と私は思ってしまったんですね。事件の黒幕は物凄い頭脳犯でしたが、ここまで手が回る犯人は非現実的だよなあとも思いましたね。黒幕があの建物の屋上で被害者を殺害した方法も、かなりトンデモでしょう。
 
逆転裁判6では過剰なオカルト要素に現実味を感じられなかったのですが、『逆転検事2の最終話では過剰な伏線回収劇に現実味を感じられなかった。大方の人々はこの最終話を高評価しているみたいなので、私は『逆転検事2』の「良い読者」ではないのかもしれません。ですが、第3話と第4話に大きな感動を覚えたので、『逆転検事2は好きです。第3話と第4話が好きなのと、巷の評判を考慮して、逆転検事2』は前作『逆転検事』に続いて一応★5評価です。
 
 
……私は今年に入って、このブログで『逆転裁判5』『逆転裁判6』『逆転検事』『逆転検事2』について書きました。この4作には共通点があります。4作とも巧舟さんが制作に関与しておらず、山﨑剛さんが制作を主導したゲームなのです。4作ともプレイして、山﨑Dが逆転裁判シリーズに果たした功績の大きさを実感しました。
 
前回も書きましたが、山﨑Dは巧舟さんの文体を真似るのが上手いと思った。原作者に代わって『逆転裁判』の続きを執筆するのは、『ドラえもん』や『サザエさんの続きを代筆するのとは比べ物にならない程難しいと思う。そんな中で、山﨑Dは「巧舟の代役」を器用にこなしたと思う。さらに山﨑Dは、不朽の駄作である『逆転裁判4で下落した逆転裁判シリーズの人気を挽回した。『逆転裁判6の最終話や『逆転検事』『逆転検事2』は、巧舟さんの「成歩堂三部作」に匹敵する盛り上がりを見せた。
 
山﨑Dは、「先輩・巧舟の忠実な後継者であり、先輩の尻拭いをし、ある意味で先輩を超えた優秀な後輩」だと私は思っています。そんな山﨑Dですが、彼は去年CAPCOMを卒業(退社)したそうです。山﨑Dの未来に祝福あれ!!