ハイデガー選集13『世界像の時代』
ハイデガー(桑木務訳)
昭和37年1月25日発行
世界……像……そして世界像
『世界像の時代』を解読するためには、ハイデガーが「世界」 に与えた定義を理解する必要がある。 ハイデガーにとって世界とは、「存在する全てのものの総称」 である。宇宙や自然に加えて、歴史もまた世界に属する。( この書きぶりだと、 歴史上の人々の内面世界とかも世界全体の内に含まれているのかな ……。)ハイデガーの言う「世界」 には自然科学でカバーできない領域も含まれるので、「世界」 を自然科学で語り尽くすのは不可能である。
マルティン・ハイデガー(1889~1976)
このばあい世界とは、存在するものをひっくるめての名称です。 世界というこの名称は、宇宙や自然に限られません。 歴史もまた世界に属します。 ところで自然と歴史ならびに両者のさまざまの相互浸透すらも、 世界を汲みつくしません。この世界という名称のなかには、 世界根拠の世界に対する関係がどのように考えられているにせよ、 世界根拠が包含されているのです。(p.27)
んでもって次は、「世界像」の定義を見ていこう。 ハイデガーの言う世界像は、 世界に関する絵画や想像図を超えた射程を持つ。ハイデガーは「 像」に、「私たちは何かについて分かっている」 というニュアンスを込めている。 そして私たちが世界に関する理解を得たとき、 存在するものが体系的な表象として私たちの目の前に立てられる。 つまり世界は人間の主観の前で、客観的な「像」 として認識される。世界像は、 主観vs客観の図式で立てられた体系なのである。
像とはこのさい、試し刷りといったものではなくて、たとえば、 わたしたちは何かについて分かっているという言い方から響いてく るところのものが、思いうかべられているのです。このことは、 事柄自身が、わたしたちにとって在るように、 わたしたちのまえにある、ということです。(中略)世界像とは、 本質的に解すれば、それゆえ、 世界についてのひとつの像を意味するのでなくて、 世界が像として捉えられていることをいうのです。(pp.28- 29)
近代……中世……そして輝かしい古代
ハイデガーによれば、中世(ヨーロッパ)では存在するものが「 神の被造物」だと考えられていた。つまり中世は、 キリスト教という「宗教」が支配的な時代だったわけだ。 しかし近代に突入すると、宗教に代わって「科学」「物理学」「 数学」「技術」みたいな理系学問が支配的になる。 そして近代の理系学問は、万物を数理的に計算しようとする。
近代物理学は、それが優れた意味において、 或る種の確定した数学を利用するから、数学的といわれるのです。 しかし近代物理学は、 もっともっと深い意味ですでに数学的であるからこそ、 そのような仕方でただ数学的にだけ、 処理することができるのです。タ・マテーマタとは、 ギリシア人にとって、人間が、 存在するものを観察し事物と交渉することにおいて、 すでに予め知っているもの、を意味します。(p.10)
ハイデガーは、 宗教や理系学問によって世界を解釈することに懐疑的な哲学者であ る。一方ハイデガーはソクラテス以前大好きおじさんなので、 ソクラテス以前古代ギリシアの精神を賛美する。 ソクラテスが現れる前のギリシアの人々は、 ありのままに存在するものの存在を素直に受け止めていたという。 人々が存在を素直に受け止めていた頃の古代ギリシアには、 近代的な主観vs客観の対立は存在しない。 だからソクラテス以前古代ギリシアでは、 世界像が成立しないとハイデガーは考えた。 対象を数理的に処理する方法が発達していなかった中世でも、 世界像はまだ成立していなかったとハイデガーは考えている。
ギリシア精神は、存在するものの近代的解釈から、 さらに遙かに距っています。存在するものの存在についての、 ギリシア的思考の最も古い箴言のひとつに「 なぜなら思考と存在とは同一である」というのがあります。 パルメニデスのこの命題は、存在に促がされ且つ規定されるので、 存在するものをうけ容れることは、存在に属すのである、 と言おうとするのです。(p.30)
ハイデガーはこの『世界像の時代』で、 ソクラテス以前古代ギリシアの精神を妙に美化しているなと私は思 った。でも、ハイデガーは私よりも遥かに古代ギリシア文明に詳しい人だから、ここはひとまず彼の見識を信頼しておこう。
「強い言葉」が「重要な言葉」だとは限らない
『世界像の時代』の「補遺」には、「宇宙的(惑星的)帝国主義」 とかいう術語が登場する。啓蒙時代の人間主観は、「 国民としてみずからを捉え、民族として意志し、 種族として訓練され、ついには地上の王者を自負するにいたる」( p.68)。人類は技術的・画一的に組織され、 地球を技術的に支配する。これが宇宙的帝国主義である。
「宇宙的(惑星的)帝国主義」という術語の響きや意味合いは、“ Star Wars”の帝国軍みたいで厨ニ心をくすぐられる。しかしこの術語が『世界像の時代』の本文ではなく、あくまでも「 補遺」に掲載された術語であることに注意したい。 私が読んだ限り、この「宇宙的(惑星的)帝国主義」 は魅力的な術語ではあるものの、『世界像の時代』 という書物全体での重要度は案外低いタームであるように思える 。