かるあ学習帳

この学習帳は永遠に未完成です

アニメチック人形の世界を探索する男。

私は今年の初めに、人形(命名:無為美ちゃん)を買いました。
無為美ちゃんは通称「リアル系ドール」と呼ばれる種族でして、顔の造形がかなり生身の人間に寄せて作られています。
私は中学生の頃から専らリアル系ドールに興味があり、人形はリアル系しかチェックしてませんでした。
しかし人形の世界は広大で、「アニメ系ドール」という領域も存在するのであります。
私はアニメ系ドールの世界はかなり専門外ですので、今回の記事はあくまでも私個人が認識している範囲内の探索記だと思って下さい。
本稿の内容に不正確な点があれば謙虚に応じますので、お気軽にご連絡頂ければ幸いですw。

『美少女万華鏡』シリーズ全体の総括と考察みたいなもの

『美少女万華鏡』シリーズ(全5話)は、2011年に第1話が発売されて2020年に完結した。このシリーズは、テン年代の約10年間を駆け抜けた作品群である。美少女万華鏡』シリーズには、もちろんテン年代的な感性が多分に投影されている。今回は『美少女万華鏡』シリーズを総括しながら、わりかし最近の世相について語ってみることにしよう。
 

『美少女万華鏡』全5話
原画:八宝備仁
シナリオ:吉祥寺ドロレス
2011年12月29日~2020年5月29日
(C)omegastar

「でんげきたいけつ!クチバジム」批評~アメリカ的マチズモVSニホン的カワイイ~

初代アニメ版ポケモン第14話「でんげきたいけつ!クチバジム」は、ポケモンを考察する上で非常に重要な回である。なぜならこの回では、主人公サトシの相棒・ピカチュウが進化しない理由が説明されているからだ。さらに私が視聴したところ、この回ではアメリカ的価値観と日本的価値観の対立も描かれていると考えられる。第14話はようつべで無料配信されているので、未視聴のお客様は良ければ上の動画をご覧くださいませ~☆
 

アメリカ的マチズモと種族値の暴力

サトシたちはクチバシティに到着し、クチバジムのリーダー・マチスに戦いを挑む。ポケモンの世界には、ジムリーダーと呼ばれる強力なポケモントレーナーが各地に存在する。ジムリーダーの牙城であるジムを訪問し、ジムリーダーとのポケモンバトルに勝利したトレーナーは、その功績の証であるバッジを貰えるのだ。
 

今では設定が改変されているのだが、当時のマチスは元軍人のアメリカ人で、「イナズマアメリカン」という通り名で呼ばれていた。*1マチスは筋肉がムキムキに鍛えられた金髪の男で、アメリカ訛りの片言の日本語で喋る。マチスから見るとサトシとピカチュウは幼稚な子供でしかなく、サトシとピカチュウ「ベイビー」と呼ばれる始末。マチス強いアメリカの男性の象徴」として描かれている。
 

マチスライチュウというポケモン保有していて、ライチュウもまた「強さと成熟の象徴」である。ポケモン世界ではかみなりのいしという強化アイテムを使うと、ピカチュウライチュウに進化させることができる。ピカチュウライチュウに進化すると基本ステータス種族値が大幅に上昇するので、ピカチュウライチュウが純粋に殴り合うとライチュウが勝つ可能性が高い。*2サトシのピカチュウはマチスライチュウよりも成熟していなくて弱いので、ライチュウにボコボコに殴られて敗北した。
 

強さが進化してもかわいさは劣化する

マチスライチュウはそのまま戦って勝てそうもない相手なので、サトシのピカチュウライチュウに進化させたらどうかという話になる。しかしピカチュウライチュウに進化したら外見が大幅に変わり、しかも進化前の外見に戻らなくなる。ポケモンが進化するとポケモン「強さ」は飛躍的に向上するものの、ポケモンの見た目の「かわいさ」が劣化する場合が多い。そういう理由もあるので、「自分のポケモンを進化させるかどうか」の判断が重要になってくるのだ。
 

サトシはピカチュウかみなりのいしを差し出したが、ピカチュウライチュウに進化することを拒否した。なぜならピカチュウのままでライチュウに勝たないと、一度ライチュウに負けた悔しさを拭えないからだとサトシのピカチュウは主張する。確かにピカチュウライチュウに進化させて勝つと、ピカチュウライチュウよりも弱い」ということを遠回しに認めることになってしまう。サトシのピカチュウライチュウに成熟することを拒否し、「ベイビー」な状態のままでライチュウに勝利して溜飲を下げたいという熱意があったわけだ。
 
ちなみにメタ的な話をすると、第14話でサトシのピカチュウが進化しなかったのは、ピカチュウのマスコットキャラクター的な価値を維持したい」という制作スタッフの大人の事情が非常に関係していると考えられる。ピカチュウは見た目がとてもかわいく、デザインが優秀な国民的マスコットキャラクターである。そのためサトシのピカチュウが成熟した外見に進化すると、ピカチュウを愛玩する視聴者に見放される恐れがある。制作側はピカチュウのかわいさから収益を得ているので、サトシのピカチュウを進化させる展開を拒否したのだろう。
 

アメリカ的マチズモVSニホン的カワイイ

四方田犬彦『「かわいい」論』とかいう新書がある。この本はギャル文化やオタク文化に関する説明がかなり粗雑で、四方田さんが十分に資料調査をしないまま書いたことが丸わかりの悪書である。しかし、この『「かわいい」論』に書いてある、西欧と日本の「成熟の観念」の違いの説明には引用する価値があると思う。以下の説明も西欧と日本やジェンダーに対する偏見が満ち溢れていて、多くの人々を不快にさせる文章だなと思う。私は四方田さんの評論が良いと思えないけど、これを引用しないと先に進めないので引用することをお許し下さい
 

ジェンダーも未分化なまま、幼げな子供として両親の庇護のもとにある者は、まだ十分に人間ではない。男女いずれかのジェンダーにまったき帰属をはたし、完全に成熟した存在となってこそ、人は人間と認められることになる。西欧社会がこうした暗黙の約束ごとを前提として成立していることは、すでに知らない者のいない事実である。
 だがこうした成熟の神話は、こと日本文化を対象としたとき、たちまち機能不全に陥ってしまう。そこでは小さなもの、繊細なものが愛でられるのと同様に、いまだ完全に成熟を遂げていないもの、未来に開花の予感を持ちながらもまだ充分に咲き誇っていないものにこそ、価値が置かれるという事態が、日常生活のいたるところで見受けられるからだ。」*3
 

四方田さんの胡散臭い語りを一応尊重して考えると、ポケモンアニメ第14話はアメリカ的(西欧的)価値観と日本的価値観の対立」を描いた回だと解釈できる。マチスは強さと成熟に価値を見出だすステレオタイプアメリカ人であり、進化して成熟したライチュウにも成熟した存在が優位に立てる」西欧的価値観が投影されていると考えられる。*4一方自分から成熟を拒否し、かわいいキャラクターとしての価値を維持したピカチュウには、成熟を遂げていないものをかわいがる」日本的価値観が投影されていると考えられる。つまりピカチュウライチュウの対決からは、異文化間の対立を見て取れるわけだ。
 

未完成な者たちへの讃歌

第14話の後半ではサトシがマチスに再戦し、勝利する。しかしこの再戦はピカチュウが尻尾をアース代わりにして電撃を受け流す」「途中でライチュウの電力が充電切れになる」という無理矢理な展開に満ちていて、「それはねーよ……」とツッコミを入れたくなる試合だった。制作スタッフは「ピカチュウを進化させないまま売り込みたい」「サトシがマチスに勝利しないと話が進まない」という問題に板挟みになっており、その結果苦肉の策で無理矢理ピカチュウライチュウに勝利したのだろう。
 
ともかく第14話では「ニホン的なかわいさ」の象徴のようなピカチュウが、アメリカ的な強さ」の象徴のようなライチュウに勝利したのである。こう書くと、「ポケモンってのは、強さよりもかわいさを優先する作品なんですか?」「なるほど、つまりポケモンアニメはアメリカの占領政策に対抗する反米映画の一種だというわけですね?」みたいな質問が飛んできそうである。確かに第14話はニホン的なかわいさに肩入れしているのだが、この回の思想はポケモンというコンテンツ全体を一括りにする考え方ではなかったりする。
 

ミュウツーの逆襲/ピカチュウのなつやすみ』を観ればわかるように、ポケモン映画では屈強な伝説のポケモンや深遠な思想がメインに描かれ、かわいいポケモンがはしゃいでいる物語は同時上映という添え物」になっている場合がある。また、ゲーム版ポケモンのオンライン対戦には病的なまでの戦闘狂が集まり、ポケモンの外見の良し悪しを度外視した「強さ」が追求されがちである。さらに、ポケモンの中にはベトベトンダストダスのように正直かなり「汚い」印象があるモンスターも存在するし、逆にミロカロスのように「美しい」モンスターが活躍する場合もある。
 
このようにポケモンの中には「かわいい」ポケモンが存在するし、「強い」ポケモンも存在するし、「美しい」ポケモンも存在するし、「汚い」ポケモンも存在する。そのためポケモン「かわいさ」を売りにしているとは一概に言えず、モンスターの個性や多様性」を売りにしていると言ったほうが適切だろう。また、ポケモンは老若男女の多種多様な需要に応えられるコンテンツであり、その間口の広さで莫大な収益を稼いでいるという話がある。第14話で描かれたアメリカ的マチズモに対するニホン的カワイイの勝利」は、複雑な多面体であるポケモンの一側面に過ぎない。
 

ちなみに第14話のラストでは、悪役であるムサシ・コジロウ・ニャースの三人組が一向に出世しないことが描かれている。ムサシ・コジロウ・ニャースはサトシとピカチュウよりも成熟した大人として描かれているものの、「永遠に大成しそうにない小悪党」である。サトシとピカチュウはいつまでも未成熟な「ベイビー」だし、ムサシ・コジロウ・ニャースはいつまでもロケット団のお偉いさんにならない。第14話は永遠に完成しそうもない主要キャラを主題化した、未完成な者たちへの讃歌なのだ。

*1:2018年の『ポケットモンスター Let's go! ピカチュウ/イーブイ』発売以降では、マチスの通り名が「ライトニングタフガイ」に変更されている。そして2019年からポケモンの舞台は「地球に似た別の惑星」だと公式に発表されたため、アメリカという国名が出しづらくなっているという話がある。ついでにライチュウの電撃は「インド象を気絶させることができる」という過去の設定もお蔵入りになっている。インドという国名も出しづらいからだろう

*2:より厳密な言い方をすると、ピカチュウライチュウと比べて「弱い」とは一概に言えないという話がある。「ピカチュウライチュウのどっちが強いのか問題」ポケモン界隈では常に議論の的であり、興味があるお客様は調べてみると面白いでしょう

*3:四方田犬彦『「かわいい」論』、ちくま新書、二〇〇六、一二二頁。「男女いずれかのジェンダーにまったき帰属をはたし、完全に成熟した存在となってこそ、人は人間と認められることになる」っていう文章、トランスジェンダーの人々の人権を侵害するような最悪の説明だなと思う。四方田さんには性の多様性に対する知識人としての配慮が足りてないよなー

*4:マチス」という名前と「マチズモ」という言葉が似ていることが気になったお客様がおられるかもしれない。しかしこれは恐らく偶然の一致だと私は思うけれど、実際どうなんだろうね?