『バガヴァッド・ギーター』解説
『バガヴァッド・ギーター』
上村勝彦訳
1992年初版発行
あらすじ
『バガヴァッド・ギーター』は、 パーンダヴァ軍とカウラヴァ軍が同族同士の戦争をしようとする場 面から始まります。パーンダヴァ軍のアルジュナは、 戦争で同族を殺さなければならないことを悲しみ、 戦意を喪失します。冒頭からいきなり大ピンチですね。
戦場で同族を殺すことをためらうアルジュナに対して、 なんとクリシュナは戦士としての戦いに専念するように説得します 。クリシュナはアルジュナに、カースト制度(身分制度) によって決められた戦士としての義務を果たすことを勧めます。
「苦楽、得失、勝敗を平等(同一)のものと見て、戦いに専心せよ。そうすれば罪悪を得ることはない」(二・三八) 。
『バガヴァッド・ギーター』では、 身分制度と戦争が肯定されています(!)。 身分制度と戦争は良くないことだという至極真っ当な倫理観を持っ ている人にとっては、信じられないことが書いてありますね。 そういう問題点は後で考えることにして、とりあえず『 バガヴァッド・ギーター』の利点を解説します。
神からの絶対命令
「あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。行為の結果を動機としてはいけない。 また無為に執着してはならぬ」(二・四七)。
勝敗や成功不成功などの結果を気にして行為すると、 未来への不安が尽きません。そこでクリシュナは、 欲望や執着を捨てて現在なすべき行為に集中し、 心の平安を得るようにアルジュナに提案します。 現在なすべき行為に集中することにより、 未来への不安や過去への後悔を取り払うことができるのです。
「自己の義務の遂行は、不完全でも、よく遂行された他者の義務に勝る。 自己の義務に死ぬことは幸せである。 他者の義務を行うことは危険である」(三・三五)。
仕事や勉強をしていると、 自分と他人を比較してしまう時があります。自分は他人と比べて、 仕事や勉強がよくできないのではないか。自分よりも、 今の仕事に向いている他人が存在するのではないか。 そういうことではなく、 あくまでも自分の義務を遂行することが大事だとクリシュナは言い ます。とても励みになりませんか?
第11章では、 クリシュナが強大なカーラとしての自分の姿を見せます。 目に見える結果のためではなく、 個人や人類よりも大きな存在であるクリシュナのために現在なすべ きことを全力で行うという考え方は、崇高ですね。
「私は世界を滅亡させる強大なるカーラ(時間)である。諸世界を回収する(帰滅させる)ために、ここに活動を開始した。 たといあなたがいないでも、 敵軍にいるすべての戦士たちは生存しないであろう」(十一・ 三二)。
岩波文庫の補註によると、 カーラという言葉には死や運命という意味もあるそうです。 時間や死、運命に対する人間の卑小さを思い知らされます。 強大なカーラであるクリシュナにとっては、 アルジュナが殺すことをためらうカウラヴァ軍の同族たちも、 たやすく殺すことのできる相手なのです。時間や死、 運命の前に私たちは無力であり、 アルジュナは強大なカーラに屈伏するほかはありません。
批判と応用
『バガヴァッド・ギーター』は身分制度と戦争を肯定しており、 大きな問題点を含んだ聖典です。 これは私がインド哲学の先生から伺った話なのですが、 インドの兵士が仏教徒だったら戦争に勝てないから、 聖戦を肯定する『バガヴァッド・ギーター』 が採用されたという説があるとか…。『バガヴァッド・ギーター』 は体制の維持や聖戦に利用される恐れがある、 非常に危険な教説だと思います。
だからと言ってすぐに「『バガヴァッド・ギーター』 は身分制度と戦争を肯定しているからダメ!身分制度反対! 戦争反対!」と、『バガヴァッド・ギーター』 の全てを否定するのは、それはそれで良くないだろうと思います。 やりたいように生きることができず、 課せられた義務に従って生きざるを得ない人々にとって、『 バガヴァッド・ギーター』の教説は救いになるはずです。
今の日本には身分制度が存在せず、 みんな昔よりはずっと自由に生きられる…ように見えます。 しかし、「やりたくないけど、やらなければならない」 義務を課せられている人々は、今の日本にも大勢いるはずです。やりたくない仕事をしなければ生きていけない人。 通いたくない学校に通わざるを得ない人。 そういう人々は、「今、ここ」 の現場で義務をこなさなければ上手く生きていけないはずです。 そこで役に立つのが、『バガヴァッド・ギーター』 の教説だと思います。
やらなければならない義務を「今、ここ」で遂行し、 過去や未来から自由になる。そうすれば、義務に縛られた人々は、 少しは救済されるでしょう。
〈参考文献〉