かるあ学習帳

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『SWAN SONG』教会ENDの考察

ノベルゲームSWAN SONGには、「教会END」と「トゥルーEND」と呼ばれる2通りの結末が用意されています。今回は教会ENDを考察します。
 

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SWAN SONG
シナリオ:瀬戸口廉也
原画:川原誠
(C)2005 SWAN SONG製作委員会
2005年7月29日発売
 
(ここから先には『SWAN SONG』『キラ☆キラ』の結末のネタバレが含まれています)

『SWAN SONG』考察~キャラ配置編~

今回から、18禁ノベルゲームSWAN SONGを考察します。業界最高峰のシナリオライター瀬戸口廉也の代表作であり、ゼロ年代ノベルゲームの金字塔である『SWAN SONG』。

 

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SWAN SONG
シナリオ:瀬戸口廉也
原画:川原誠
(C)2005 SWAN SONG製作委員会
2005年7月29日発売
 

ストーリー

 

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物語の冒頭で、雪の降るクリスマス・イヴの町に巨大地震が発生します。巨大地震によって町並みはあっと言う間に瓦礫の山になり、死者や負傷者が多発します。主人公・尼子司は、震災から生き延びた自閉症の少女・あろえを連れて、うち捨てられた教会に避難します。教会にはフリーターの田能村、ヲタク気味の大学生・鍬形、女子大学生の柚香と雲雀も退避してきます。震災の影響で、ラジオや携帯電話、ネットは機能しません。教会に集まった6人の若者たちは、被災した町を生き抜くために奮闘します。
 
SWAN SONGゼロ年代の中間地点である2005年に発売された作品であり、改めてプレイしてみるとこの作品には物凄く「ゼロ年代感」がありますね。宇野常寛の『ゼロ年代の想像力』によると、何もせずに引きこもっていると生き残れない「サヴァイヴ感」ゼロ年代の初期から主流になったという。この生き残りを賭けた「サヴァイヴ感」は、『SWAN SONG』では非常に濃厚です。なにせ『SWAN SONG』は、若者たちの被災地での過酷なサバイバルを描いた作品ですから。
 

登場人物紹介

 
では、ストーリーのより詳細な考察は次回以降に回すとして、今回は教会に集まった6人の若者たちの人物像を考察します。
 

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・尼子司(あまこつかさ)

主人公で大学生。有名な音楽指揮者・尼子和樹の息子。子供のころはオーストリアに住んでいた。ピアノの才能に恵まれており、天才少年だと持て囃されていた。しかし交通事故に遭い、右手の指が動かなくなる。現在では右手が回復しているが、ピアノを満足に演奏できなくなった。手を怪我し被災しても強靭な魂を持ち、逞しく生きようとする男。コミュニケーションが下手で、人の気持ちがわからないという欠点を持つ。
 

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・八坂あろえ(やさかあろえ
自閉症の少女。バラバラになった破片を繋ぎ合わせて再生する天才的な能力を持つまた、天才的な記憶力も持っており、トランプの神経衰弱が得意。大江健三郎の小説『洪水はわが魂に及び』に出てくる障害児・ジンに似たキャラクターだと思う。と言うか、『SWAN SONG』のシナリオが『洪水はわが魂に及び』にどこか似ている気がする。
 
司とあろえは、二人とも特別な能力を持った天才です。この二人は、他人と上手くコミュニケーションできないという点でも共通しています。
 

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・鍬形拓馬(くわがたたくま)
ヲタク気味の大学生。柚香、雲雀と同じ大学に通っていた。被災地で大勢の死者が出たことに対して、非常に心を痛める。成人の日を迎えたときに、臆病者としての人生を変えることを決意する。宗教団体「大智の会」のメンバーと対立したことを機に、過激な性格になってしまう。作中で最も人柄が豹変した人物だが、彼が一貫して人間の心の弱さや醜さを体現していることは間違い無いだろう。
 

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佐々木柚香(ささきゆか)
女子大学生。一見すると清楚に思える病弱な美人。料理が上手。十年前の幼少期に、ピアノコンクールで司に出会う。幼少期は勝ち気な性格でピアノの腕に自信を持っていたが、司の才能を目の当たりにして絶望する。司と肉体関係になるが、司に対して複雑な感情を抱いている。物語の後半で、世界や人生に対して非常にネガティブな感情を表明する。
 
鍬形と柚香は、司やあろえと違って凡人です(この二人は、作中でも自分のことを凡人だと認めている)。そして鍬形と柚香は、ネガティブな感情を抱く陰キャです。
 

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・田能村慎(たのむらしん)
フリーター。ケーキ屋さんで働いていた。危機的状況の被災地でもやたら明るい表情を見せ、飄々としている男。実家が剣道の道場で、優れた剣術を習得している。避難所の運営部に加入し、自警団のリーダーに選ばれる。人望があり、女にもてる。
 
・川瀬雲雀(かわせひばり)
女子大学生。かなりキツい性格で、感情の起伏が激しい。意外と面倒見が良かったりする。あまり頭が良くない。実は金持ちのお嬢様で、両親が宗教団体「大智の会」にハマっていた。いつも元気なのが取り柄。
 
田能村と雲雀は非常に明るい性格で、いわゆる陽キャです。田能村と雲雀には恋愛関係が成立し、二人はくっつきます。田能村は剣術の才能に恵まれたかなりの才人で、雲雀はたぶん凡人です。
 

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最後に蛇足かもしれませんが、以上の6人のキャラ配置をやや暴力的にまとめるとこんな感じです。こうしてみると、『SWAN SONG』はキャラ配置のバランスがとても良い作品ですね。

『仮面ライダーゼロワン』第1話と『言葉の魂の哲学』~言語と体験について~

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今回は古田徹也著『言葉の魂の哲学』を参照しながら、仮面ライダーゼロワン』第1話を考察します。『仮面ライダーゼロワン』第1話を、「言語」と「体験」という観点から語ってみようと思います。

 
仮面ライダーゼロワン』第1話では、売れないお笑い芸人の主人公・或人が、AIの怪人・ベローサマギアと戦います。或人とベローサマギアの会話から、「言語」と「体験」について考えてみることにしましょう。
 
或人は、人間の夢を笑い物にするAIに対して激怒します。

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或人「笑うなよ。何もわかってないくせに、人の夢を笑うんじゃねえよ!」
 
AIのベローサマギアは、「夢」という言葉の意味を辞書的に解釈しています。

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ベローサマギア「わかっている。夢とは、将来の目標や希望、願望を示す言葉だ
 

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或人「人の夢ってのはなあ、検索すればわかるような、そんな単純なものじゃねえんだよ!
 
或人が言う通り、「夢」という言葉の意味は、辞書やインターネットで検索した結果をなぞっただけで完全に理解できるものではありません。「夢」という言葉にはその言葉特有の感じがあり、今まで「夢」という言葉を使ってきた人々の思いや体験が込められています。言葉を「感じること」「体験すること」によって、その言葉の理解が成立するのではないかとウィトゲンシュタイン考えました。
 
 使い方は知っているが、理解せずにそれをなぞっている、ということはありえないだろうか。(ある意味で、鳥のさえずりを真似るときのように。)理解というものが成立するのは、何か別のことにおいてではないか。すなわち、「自分の胸の内に」感じること、当該の表現を体験することにおいてではないだろうか。*1
 
言葉を「自分の胸の内に」感じたり、当該の表現を体験したりすることは、AIの苦手分野であるはずです。言葉の辞書的な意味や使い方を「知っている」だけで、その言葉を「理解している」と言うことはできるのでしょうか。ベローサマギアには人間の夢を笑える程度の感情や自我は備わっているようですが、人間の夢をどこまで体験して理解しているのかが怪しいですね。
 
仮面ライダーゼロワン』第1話のラストには、或人のダジャレをAIのイズが説明する場面があります。このラストには、「言語」と「体験」が深く絡んでいると思います。
 

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或人「名刺を見つめる名シーン!はい、アルトじゃーないとー!」
イズ「これは、伝統的な言葉遊びで、名刺と名シーンを…」
或人「うわあー!お願いだからギャグを説明しないでー!
 
自分が考えたダジャレがAIに説明されるのを、或人は嫌がります。ダジャレを説明するのは、なぜ無粋な行為なのか。おそらく、ダジャレを説明すると、そのダジャレ自体の面白味が殺されてしまうからでしょう。
 

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(中略)どの文に置き換えたとしても、元の「旅することは生きることである」という文がもっていた独特の表情ーあるいは、面白味、味わい、色合い、趣き、詩情などと呼ばれるものーが完全に損なわれてしまうだろう。ジョークを解説することがまさにそのジョーク自体を殺してしまうことであるように、詩をパラフレーズして別の言葉に置き換えれば、その詩自体が台無しになってしまう。*2
 
「名刺を見つめる名シーン」というのはかなり寒いダジャレですが、このダジャレにも特有の面白味・味わい・趣きなどが一応備わっています。しかし、そのダジャレを説明すると、一連の面白味や味わいなどは損なわれてしまいます。なぜならダジャレの説明は言葉を別の言葉に置き換える行為でありそのダジャレのために選ばれた言葉が無粋にも入れ換えられてしまからです。
 

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ダジャレを理解するためにはそのダジャレの面白さを判定する感受性や、そのダジャレのために選ばれた言葉ならではの味わいを体験する能力が必要です。そうした感受性や体験が、第1話のイズには欠けているように思いますね。
 

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ここまで考えると、『仮面ライダーゼロワン』に登場する不破諌は、実に人間的な男に思えてくる。不破さんには、或人の寒いダジャレで笑えるくらいの感受性が備わっています。そして不破さんには、幼少期にAIに襲われた「体験」も備わっています(後にこの体験は捏造された体験だということが発覚しますが)。AIが苦手とする感情や体験が、不破さんの原動力です。だから不破さんは、AIとは違ってとても人間臭い男だと思います。
(C)2019 石森プロ・テレビ朝日ADK EM・東映
 
〈関連記事〉
仮面ライダーゼロワン』第1話では、或人が「お笑い芸人」であることが良い持ち味を出していると思います。第9話では、或人が「社長」であるという設定が活かされていると思いました。良ければ併せてご覧ください。

*1:古田徹也『言葉の魂の哲学』、講談社選書メチエ、二〇一八、七三頁。

*2:同上、八七~八八頁。