かるあ学習帳

この学習帳は永遠に未完成です

個人的に好きになれない名作『コインロッカー・ベイビーズ』

講談社文庫
2009年初版発行
 

私は、村上龍の小説コインロッカー・ベイビーズが好きではありません。どちらかと言うと嫌いです。なぜなら、この小説の想像力は「ダサい」とまでは思いませんが悪い意味で「古い」と思うからです。

 
・「古い」閉塞感
 
コインロッカー・ベイビーズ』の主人公・キクとハシは、コインロッカーの中に捨てられ蘇生した子供です。この小説では、捨てられた子供たちの破壊衝動が描かれます。勘の良い方ならすぐにお気づきになると思いますが、赤ん坊が閉じ込められたコインロッカー」は「現代人を取り巻く閉塞感や閉塞状況」の象徴です。
 

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この不快な暑さは我慢できないと思った。閉じ込められているそう気付いた。ガラスとコンクリートに遮断されたこの部屋、閉じ込められたままだ、いつからか? 生まれてからずっとだ、柔らかなものに俺は密封されているいつまでか? 赤いシーツを被った硬い人形になるまでだ、コンクリートが砕ける音がする、窓の外の街は熱暑で歪んでいる、ビルの群れが喘いでいる、(中略)(pp.124-125)
 
夏の東京の暑苦しさや息苦しさが、勢いのある文体で綴られています。自分を閉じ込める東京の街を、キクはかつて自分が閉じ込められていたコインロッカーに重ね合わせます。大都会で閉塞感を感じている人は今でも大勢いると思います。そういう人たちは、キクが感じた閉塞感に自然と共感を覚えるのかなと思います。
 

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しかし、この小説でよく描かれる「閉塞感」や「閉塞状況」は、令和の日本でどれほど通用するものなのだろうかと疑問を覚えますなぜなら、今日では『コインロッカー・ベイビーズが書かれた当時よりもインターネットやグローバル化が発達していると思うからです。貨幣と情報のネットワークに接続された令和の東京人は、キクが感じたような形で「密封」されているのでしょうか。令和には令和なりの閉塞状況があるとは思いますが、その閉塞状況はコインロッカーの形をしているのかどうか怪しいですね。
 
・不良が元気だった80年代
 

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(C)1988 マッシュルーム/アキラ製作委員会
コインロッカー・ベイビーズは1980年に刊行された小説で、大学紛争以後の若者文化を開拓した作品です。『コインロッカー・ベイビーズ』の後半ではキクたち不良少年(って言うか犯罪少年)が刑務所から脱走し、深海に眠る「ダチュラという毒物を探しに行きます。たまに指摘されることですが、コインロッカー・ベイビーズ』の作風は『AKIRAにけっこう似ています。1988年のアニメ映画『AKIRAでも不良少年が活躍し、東京オリンピック会場に眠る「アキラ」が重要な鍵を握っていました。80年代は、何だか不良が元気です。
 
また、80年代に多大なインパクトを与えた歌手・尾崎豊は、デビューアルバムのレコーディング前日に『コインロッカー・ベイビーズ』を一気読みしました。そして、尾崎は「太陽の破片」という歌を歌っていますが、この「太陽の破片」というのはもともと『コインロッカー・ベイビーズに出てくる言葉です。嘘だと思う人は新装版のp.250を読んでみて下さい。ちゃんと「太陽の破片」って書いてありますから。尾崎さんは『コインロッカー・ベイビーズ』の影響を受けまくりです。
 
コインロッカー・ベイビーズ』を読み、尾崎の歌を聴き、『AKIRA』を観ていると、80年代の不良や暴走族の強大なエネルギーに圧倒されます。*1今の時代は、80年代のように不良が元気な時代でしょうか。私の感触になりますが、「不良が暴走し、閉塞した世界を破壊する」という『コインロッカー・ベイビーズの想像力は、今の日本ではだいぶ「古い」と思います。
 
・「毒物で世界を解放する」ことの古さ
 
コインロッカー・ベイビーズ』のラストは、メチャクチャ野蛮です。なんと、キクたちが毒物「ダチュラを東京に撒き、東京の街を破壊するのです。私はこのラストを読んで、「これってテロじゃん、いくらフィクションでも危険すぎでしょ」と思いました。
 

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コインロッカー・ベイビーズ』の結末を読んで、オ○ム真理教の「地下鉄サリン事件を思い出したのは私だけでしょうか。1995年に、東京に毒物が撒かれる事件が実際に起こりました。この事件を通過した私には、「街に毒物を撒くのは本当に悪いことだ」という認識があります。ですから私は『コインロッカー・ベイビーズのラストは倫理観から「悪い」と思いますし、嫌いです。
 

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批評家・宇野常寛は、地下鉄サリン事件エヴァンゲリオンが登場した1995年の想像力を「古い想像力」と呼んでいます。*2毒物で都市を解放する」ことを夢想する『コインロッカー・ベイビーズ』の想像力は、1995年を機に塗り替えられた想像力だと思います。
 
宇野によれば、1995年には平成不況や地下鉄サリン事件により、「がんばっても、豊かになれない」「がんばっても、意味が見つからない」世の中への移行が発生したという。そしてエヴァンゲリオンは、90年代後半の「引きこもり/心理主義」を象徴する作品だという。一方『コインロッカー・ベイビーズ』のキクたちは、東京を破壊しようと「がんばった」。このがんばり具合は、「古い想像力」よりもさらに「古い」と思いました。
 
 
…『コインロッカー・ベイビーズ』は、「セックス・ドラッグ・ロックンロール」に満ちた小説です。しかし、「セックス・ドラッグ・ロックンロール」という言葉は、今でもカッコいいと思われているのでしょうか。もしも今誰かが目の前で「セックス・ドラッグ・ロックンロール!!」と叫んだら、私は思わず笑っちゃうかもしれない。
 
「セックス・ドラッグ・ロックンロール」はもう古い、古い古いと思う。だから、今の私たちのするべきことは「セックス・ドラッグ・ロックンロール」に従うことではない。今の私たちには「セックス・ドラッグ・ロックンロール」を余裕で乗り越えることが大事だと思います。

*1:尾崎豊を「不良」と呼んで良いのかどうかという問題がありますが、今回は大目に見て下さい…

*2:参考文献:宇野常寛ゼロ年代の想像力』、ハヤカワ文庫、二〇一一