かるあ学習帳

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『フロレアール』考察~僕たちは独りじゃない~

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フロレアール~すきすきだいすき~』
シナリオ:元長柾木
(C)13cm
1999年7月発売
 

「独り遊び」の絶望

 

大昔の美少女ゲームフロレアールの主人公・ジャンは、物語の終盤で絶望と孤独に満ちた独り言をつぶやきます。

 

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「……神父をやってたその当時、僕は神様って奴を信じてた。この世界の《外部》で僕たちを見守ってる奴の存在を信じてた」
「はぁ……」
「けど、ある時、僕は気づいたんだ。それは《外部》なんかじゃないって。むしろ《内部》なんだ。だって、祈りっていうのはそういうもんだろ? カードの独り遊びみたいなものなんだ……
「あの、ご主人様……?」
「それでだ……。僕は気づいたんだ。《外部》と《内部》はひと繋がりの円みたいなものなんだって。全ては独り遊びなんだって。……これはなかなか恐ろしい考えだった。僕は結構絶望したよ。孤独ってことの意味を初めて理解したな」
「……」
 
例えば、世界の《内部》にいる人が、世界の《外部》にいる超越神の存在を信じているとします。そして、その人が世界の《外部》にいる超越神に対して、「神様、助けてください!」と祈ったとします。そのとき、その人は本当に世界の《外部》に祈ったと言えるのでしょうか?
 
もしも世界の《外部》に超越神が存在するとしても、私たちはその超越神について明晰に語り得ないはずです。なにせ超越神は世界の《外部》にいますから、世界の《内部》にいる私たちにはよくわからない存在だからです。世界の《内部》にいる私たちは、世界の《外部》にいる超越神については、あくまでも世界の《内部》で想像するしかない。
 
こう考えると、超越神の存在は《外部》ではなくむしろ《内部》であり、祈りは独り遊びだというジャンの発言が理解できるかと思います。世界の《内部》から想像される超越神は、あくまでも世界の《内部》での想像の産物である。そして、世界の《内部》から捧げられる《外部》への祈りは、あくまでも世界の《内部》で想像される《外部》に向かった祈りでしかない。全ては世界の《内部》での独り遊びだというわけですな。
 

「独り遊び」を克服せよ

 
さて、世界の《内部》での絶望的な独り遊びを、私たちはどうやって克服すればいいのか。ジャンの従者・メルンはこう考えます。
 

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 2人が別の世界にいるからといって、それは《結びつき》を否定することにはならない。2人が別の世界にいるーーそんなこと、当たり前のことだ。人が2人いれば、世界も2つある。当然のことだ。
 でもそんなことは、本当に結びつくということとは関係がない。生きている世界が別々でも、人は交われる。人と人が結びつくという奇跡みたいな出来事だって、ちゃんとある。
 人はみんな自分だけの世界の中で1人で生きているけれど、でも魂を超越させてどこかで結びつくことができる。人には、それができる。世界の壁を飛び越えることができる。わたしは、それを奇跡と呼びたい。
 そして、ご主人様とわたしは奇跡によって結ばれているんだって信じている……。
 
ジャンが言う通り、一人一人の人間は皆各人の世界の《内部》にいて、人それぞれに住む世界が違うのかもしれません。でも、だからといって人は皆孤独だとは限らないのです。なぜなら、人の魂は世界の壁を超越することができ、人と人は結びつくことができるのですから。
 
非常に理知的な『フロレアール』のシナリオですが、ラストギリギリになって唐突に「魂」だの「奇跡」だのといったオカルトに頼りやがったと思われるかもしれません。しかしシナリオライターの元長氏は、「魂」や「奇跡」といういささか胡散臭い言葉を使ってでも、いや、あえて使うことによって、人は独りじゃないということを力説強調したかったのだと信じたいw
 

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……《外部》って考え方は、《内部》と同じことなんだ。
……そうやって《外》と《内》を分けることには、何の意味もないんだ。
……それは独り遊びの罠に過ぎないんだ。
……僕は、それに落ち込んでいた。
 
……けれど、僕は独りじゃない。
……そんな簡単なことに、やっと気づいたんだ……。
 
人は魂を超越させることによって、他人と繋がることができる。だから、人は独りじゃない。ここまで考えれば、ラストに出てくる英文の意味は、簡単にわかるでしょう。
 

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Solitaire trap in the abyss of the existence of the human.
We must get it over.
 
(甘井カルア訳)
人間存在の深みにおける、独り遊びの罠。
私たちはその罠を、超克しなければならない。
 
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私の『フロレアール』考察は、これでひとまず終了です!皆さん、読んで頂きありがとうございました。