かるあ学習帳

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「よだかの星」と『青い空のカミュ』を読む~物語の必然性について~

今回は、『青い空のカミュのシナリオを読んで私が共感できなかった点を書いてみます。けっこう批判的なことを書いたので、返ってくる反響がちょっと怖いです(苦笑)。シナリオを自分なりにしっかりと読んで思いついたことなので、頭ごなしの批判にはなっていない…はずです。

 

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『青い空のカミュ
シナリオ・原画:〆鯖コハダ
(C)KAI
2019年3月29日発売
 

よだかの逆転

 
私は前回の記事で「よだかの星」を批評し、よだかが星になる前と星になった後を比較すると、よだかの性質が逆転している」ということを皆さんに申し上げました。
 
星になる前のよだかは、実に醜い鳥でした。そしてよだかは虫を食い、鷹に食われる食物連鎖に組み込まれていました。最後によだかは空の向こうに飛翔し、生物としての有限の生命を全うします。
 
星になった後のよだかは、青く美しい。そしてよだかの星は、宇宙空間でそれ自体として独立して存在しています。よだかの星は、永遠に強烈に燃え続けています。
 

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これらのポイントを押さえて読むと、「星になる前のよだか」の性質と「星になった後のよだか」の性質が正反対になっていることがおわかりいただけると思います。星になる前のよだかがとても醜いぶんだけ、よだかの星の美しさが強調されているように思えますね。宮沢賢治は星の美しさを際立たせるために、よだかという醜い鳥を主人公にしたのではないか?と私は深読みしています。
 
「星になる前のよだか」と「星になった後のよだか」は対極に置かれている。この対比には、よだかの変化を鮮烈で美しいものにする効果がある。私はそう解釈しています。
 

(⌒,_ゝ⌒)偶然から必然への昇華となる

 
『青い空のカミュ』の作中では、「よだかの星について言及されています。言及されている箇所を読んでみましょう。
 

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蛍「今の燐の話を聞いてね、あるお話を思い出したの。宮沢賢治の“よだかの星”」
燐「それ、わたしも読んだよ」
蛍「よだかは最後に星になるでしょ。でも、あのお話って夜鷹が星にならなきゃいけない必然性って無いんじゃないかなって思ってた」
蛍「だって、星になるのは誰かのためでもなかったでしょ。星になっても……それは輝き続けているだけ。ただ、それだけ……
燐は、黙って蛍の言葉を聞いていた。
蛍「だから、昔読んだときは、なんかすごく悲しくなって、納得がいかなかったんだ。なんでそんな目にあうんだろうって」
燐「なんか、ちょっとわかるな、その気持ち。わたしも何で夜鷹はそうまで追い詰められなきゃいけないんだろう、って思ったから」
蛍はくすりと笑った。
青い空よりも、透明な微笑み。
蛍「でも、今、燐の話を聞いて思ったの。ああ、意味なんて理由なんて必要なかったんだなって」
蛍「星が輝くことに意味なんて必要ない。でも、よだかの思いがそこにあるから美しいんじゃないかな」
 
驚いたことに蛍は、よだかが星にならなければならない必然性は無いんじゃないかな」と言っていますね。確かに「よだかの星の作中ではよだかが星になる理由が明文化されていませんから、「は???なんでよだかは星になったの!!?」って思っちゃうのは仕方ないかもしれませんね(苦笑)。
 
でも、星になる前と星になった後でよだかの性質が逆転していることに着目したら、こんな感想は出てこないと思いますよ。まず、星の美しさを際立たせるためには、よだかという実に醜い鳥を主人公に設定する必要がある。そして、星がそれ自体として独立して存在しているということを際立たせるためには、よだかが食物連鎖の内部に組み込まれる必要がある。最後に、星が永遠に存在しているということを際立たせるためには、よだかの有限の生命をいったん抹消する必要がある。こう考えると、よだかが星になったのは、むしろ必然だと思いませんかね皆さん???
 
よだかが星になったのって、必然じゃね???
 
よだかが追い詰められたのも、必然じゃね???
 
そこんところどうなんですかね、〆鯖コハダさん???
 
正直、『青カミュ』の「よだかの星」の解釈には、体験版をプレイした段階で共感できませんでしたね…w『カミュ』ファンの方で、気を悪くした方がいらっしゃったらすみません。でも、この不満だけはどうしても言っておきたかった。もちろん私の解釈が全てではなく、蛍のように「よだかが星にならなければならない必然性は無い」という解釈もありだとは思っています。しかし、よだかが星になることに必然性が無いとは、どうも私には思えない。
 
次回は『青い空のカミュ』とサルトルの『嘔吐』を併読した感想を書く…予定です。

宮沢賢治「よだかの星」批評~鮮やかな逆転~

今回は、宮沢賢治の童話「よだかの星」を批評します。いやその、試しに「シーシュポスの神話」を再読した感想を書いてみたんですが、色々な事情で下書きをボツにしてしまいまして…。そのため「シーシュポスの神話」の感想の代わりに、『青い空のカミュの作中で言及された「よだかの星」を批評することにしました。「シーシュポスの神話」の感想を期待していた方がいらっしゃったら、本当に申し訳ございません。

 

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よだかの星」(『銀河鉄道の夜』所収)
1989年初版発行
 

よだかの星」のポイント

 
では、「よだかの星」を出だしから読んでみましょう。
 

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 よだかは、実にみにくい鳥です。
 顔は、ところどころ、味噌をつけたようにまだらで、くちばしは、ひらたくて、耳までさけています。
 足は、まるでよぼよぼで、一間とも歩けません。
 ほかの鳥は、もう、よだかの顔を見ただけでも、いやになってしまうという工合でした。(p.35)
 
ここで皆さんに注目していただきたいポイントは、よだかは醜い」ということと、よだかは存在しているだけで他者を不快にさせる」ということです。そしてよだかは、深い自己嫌悪に陥ります。
 
(ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そしてそのただ一つの僕がこんどは鷹に殺される。それがこんなにつらいのだ。ああ、つらい、つらい。僕はもう虫をたべないで餓えて死のう。いやその前にもう鷹が僕を殺すだろう。いや、その前に、僕は遠くの遠くの空の向うに行ってしまおう。)(pp.39-40)
 
ここで皆さんに注目していただきたいポイントは、よだかは食物連鎖に組み込まれた生物である」ということです。よだかは甲虫や羽虫を食い、よだかは鷹に食われる…という食物連鎖の関係が読み取れますね。よだかは空の向こうに飛翔することにより、食物連鎖から解脱します。
 
 夜だかは、どこまでも、どこまでも、まっすぐに空へのぼって行きました。もう山焼けの火はたばこの吸殻のくらいにしか見えません。よだかはのぼってのぼって行きました。
(中略)
そしてなみだぐんだ目をあげてもう一ぺんそらを見ました。そうです。これがよだかの最後でした。もうよだかは落ちているのか、のぼっているのか、さかさになっているのか、上を向いているのかも、わかりませんでした。(pp.44-45)
 
ここで皆さんに注目していただきたいポイントは、よだかは限りある(最後がある)命を持つ生物である」ということです。飛翔したよだかは死亡します(死因はおそらく空中の過酷な環境のせいでしょう)。しかし、死亡したよだかは星になります。
 

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 それからしばらくたってよだかははっきりまなこをひらきました。そして自分のからだがいま燐の火のような青い美しい光になって、しずかに燃えているのを見ました。*1
(中略)
 そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました。
 今でもまだ燃えています。(p.45)
 
ここで皆さんに注目していただきたいポイントは、よだかの星は青く美しい」ということとよだかの星はそれ自体として独立して輝くものである」ということ、そしてよだかの星は永遠に燃え続ける」ということです。この童話のラストでは、よだかの星が「燃えている」ということが3回繰り返し書かれています。これはいわゆる「反復表現」というやつですね。繰り返し表現して強調されるくらい、よだかの星は強烈に永遠に燃え続けているわけです。
 

よだかの星」の分析

 
よだかの星」を読み終わって、「悲しい話だなあ」「よだかがかわいそう」などの感想を持たれた方は多いかと思います。ですが、ここで物語を冷静に分析していただきたいのです。「星になる前のよだか」と「星になった後のよだか」の特徴をまとめてみると、こんな感じです。
 
・星になる前のよだか
醜い、食物連鎖に組み込まれている、有限な命を持つ
・星になった後のよだか
美しい、それ自体として独立して存在している、永遠に存在し続ける
 

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ご覧の通り、よだかの性質が「星になる前」と「星になった後」で逆転していますよね。このことを踏まえると、よだかの変化が対照的だと言うことが許されるくらい鮮やかなものに感じられませんか?醜いよだかが美しい星に変化するのは、ポケモンでいうとヒンバスミロカロスに進化するのと似たような感じで、目をみはるような劇的な変化だといってよいでしょう。

 
私は「よだかの星」を読んで、よだかの変化の鮮やかさに感動しました。宮沢賢治は星の美しさを際立たせるために、よだかという実に醜い鳥を主人公にしたのではないか?と私は深読みしています。よだかが醜いのは星の美しさを演出するためのフラグだった」という説を、私はここで提唱したい。私は宮沢賢治の研究者ではない一般人なので、あまり偉そうなことは言えませんが。
 
よだかの星」に限らず、宮沢賢治はフラグを立てるのがとても上手い作家だと思います。
 
↑例えば、このブログさんの記事に書いてあるように、「注文の多い料理店」では、「よだかの星の比じゃないくらい周到なフラグが立てられていますね。(本稿の手法は、このブログさんの記事の影響を強く受けています)
 
↑また、このブログさんの記事に書いてあるように、「銀河鉄道の夜」では、冒頭の時点で今後の展開を予告するかのような表現が周到に仕組んである。
 
もしかしたら、他の童話でも、巧妙なフラグが仕掛けられているかもしれません。宮沢賢治の童話を感情的に読むのもいいですが、童話の構造を冷静に分析してみるのも悪くないのでは?と思います。冷静に分析した結果、かえって得られる大きな感動があるかもしれませんからね!

*1:ここで『青い空のカミュ』の主人公の名前が「燐」であることを私は思い出した。

『青い空のカミュ』感想~プレイ時間とか読み心地とかについて語る~

今回は、3月29日に発売された美少女ゲーム『青い空のカミュをプレイした感想をネタバレなしで書きます。これからこのゲームの購入を検討される方のために、購入の判断材料になりそうな情報を多めに書いてみようと思います。シナリオの詳しい考察は来週以降に書くつもりです。
 

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『青い空のカミュ

シナリオ・原画:〆鯖コハダ
(C)KAI
2019年3月29日発売
おすすめ度:★★★★☆(シナリオが短かったが、とても丁寧に作り込まれた良作)
 
まず、このゲームのプレイ時間について書きます。私はこのゲームを半日でフルコンプしてしまいました(笑)。このゲームは税抜きで定価8800円する、いわゆるフルプライスのエロゲーです。ですが、フルコンプするまでにかかるプレイ時間は『沙耶の唄と同じくらい短かったですw
 
次に、このゲームの作風について書きます。このゲームのシナリオは、文学や哲学、量子力学などの学問の知見によって支えられています。ライトノベルやエンタメが好きで、純文学や学術書を読むのは嫌い!という方には、このゲームは正直あまりおすすめできないかもしれません。私の場合、事前にカミュ宮沢賢治などの著作に目を通しておいたことが幸いして、最後まで楽しんでシナリオを読めたかなという気になっています。予備知識なしでも一応読める文章ではありますが、文章をよく考えながら読まないと置いてきぼりを食う恐れがあります。
 
さらに、エンディングとHシーンについて書きます。このゲームのシナリオは燐と蛍の友情を描いた一本道だといってよいです。途中で選択肢が出てきますが、選択肢を間違えたら燐と蛍が化け物に犯されて即ゲームオーバーです。正しい選択肢を選んだら、シナリオが唯一の正解といえるエンディングに向かって進行します。ヒロインごとの個別ルートとか、ノーマルエンドを見た後で出現する真のエンディングとかは全くありませんでした。Hシーンのほぼ全ては女が凌辱されるシーンで、愛のある性交も全くありませんでした(燐と蛍がプールに入るシーンは、愛のある性行為の象徴だと解釈できるとは思いますが)。
 
最後に言わせてもらいますが、このゲームを作った〆鯖コハダさんは才能に恵まれまくりのハイスペック超人だなと思いました。このゲームのシナリオを読んでいるとコハダさんが相当なインテリであることがよくわかりますし、コハダさんの描く絵は非常に美しいと感じました。ネットの情報によると、コハダさんはキャラクターの絵だけでなく一部の背景も描いているそうです。このゲームの企画をなさったのもコハダさんですし、コハダさんは音楽や料理にも精通しておられるようです。コハダさんすごすぎだろwww
 
おそらく、このゲームをプレイして値段のわりにシナリオが短すぎだろ!!!」と怒りたくなった方がいらっしゃるかと思います。正直、私はこの値段なら少なくともあと2倍くらいは話を長くしてほしかったなと思っています。でも、私はコハダさんを責めることができません。なぜなら、これ以上シナリオが長くなったらコハダさんにかかる負担が超絶に重くなってしまうと思うからです。『青い空のカミュの制作体制では大作を作るのがしんどそうだし、今後これと同じような作風の作品を作り続けるのも相当キツくないか?とお節介ながら思いました。
 
次回からは、このゲームのシナリオを詳しく考察していきます。実のことを言うと、私は今軽く頭を抱えています。なぜなら、私が発売前にこのブログに書いた体験版の考察が、(自分で言うとイキっているように思われそうですごく嫌なのですが)このゲームの核心部分に触れまくっていたからです。正直、↓この2つの考察を読んでいただくだけで製品版の要点もけっこうわかってしまうんじゃないかなと思いますwこの状況から新しいことを言うのはちょっと大変ですね(苦笑)。
 
 
今のところ、『青い空のカミュ』とカミュ宮沢賢治デリダの関係について考察する計画を立てています。今月はおそらく、『青い空のカミュを批評してるだけで終わりそうです。では、今月もよろしく~ノシ