『夢幻廻廊』考察第三段階~天国への弁証法的螺旋階段~
誠に勝手ながら、『夢幻廻廊』の考察を、 今回でとりあえず中断することにした。 色々世知辛い理由があるので、理由は聞かないでくれ。今回は、『 夢幻廻廊』の時間観を考察する。『夢幻廻廊』の時間は平面的に見ると円環時間であり、立体的に見るとおそらく螺旋を描いているというのが私の解釈である。
『夢幻廻廊』
シナリオ:伊藤ヒロ、他
原画:椎咲雛樹
(C)Black Cyc
2005年9月16日発売
平面的な視点:円環時間
『夢幻廻廊』では、主人公・たろが古風なお屋敷で労働する。 たろは基本的にお屋敷に仕える従順な下僕なのだが、 条件が揃うと色々な事情でお屋敷を脱出する場合がある。 しかし大抵の場合、たろはお屋敷に帰ってくる。なぜなら、 たろにとってお屋敷の外の近代的な世界は灰色で薄ら寒い世界であ り、所詮たろはお屋敷の外の孤独に耐えられないからだ。
このゲームでは、お屋敷からの離脱と従属が繰り返される。 お屋敷で何度も同じような日常が繰り返され、 日常が終焉を迎える度にゲームが一日目に戻る。そう、 このゲームの物語はループしているのだ。『夢幻廻廊』は、 同じような出来事の繰り返しを描く「ループもの」 の系譜に属する作品である。このゲームで採用されているのは、 終末を迎えたら新たなる始源に回帰する「円環時間」である。
『夢幻廻廊』では、何のために時間がループする必要があるのか。 おそらく、「 円環時間は直線時間よりも支配階級にとって都合が良い時間観だか ら」という理由があるだろう。黒井瓶氏の考察によれば、 インド亜大陸の征服者となったインド人は、 先住民を支配するのに都合の良い時間モデルとして、 円環時間を採用したと考えられる。例え話として、 国内における相続の安定や生殖の抑制を図るためには、 直線時間よりも円環時間の方が都合が良いのである。 もしもユダヤ人のような直線時間を採用したら、 奴隷の反乱が成功する確率が上がり、 支配者にとって都合が悪いだろう。
時間が直線時間だったら、 奴隷が反乱しても過去が修復されずにそのまま進むので、 支配階級にとって都合が悪いだろう。 お屋敷の主導権は支配者の環にあるので、 直線時間は採用しづらいと思われる。「 何のために時間がループする必要があるのか」を考えるよりも、「 もしもお屋敷の時間が円環時間ではなく直線時間だったらどうなる のか」を考えた方が良いかもしれない。直線時間だったら、 多分色々上手くいかないだろう。
立体的な視点:弁証法的螺旋階段
『仮面ライダー龍騎』では、仮面ライダー同士の殺し合いを、 黒幕である神崎士郎がゲームマスターとして支配していた。 自分が主催する殺し合いが納得の行かない結末になるたび、 神崎は時間を振り出しに戻していた。 自分が支配するゲームを管理するために円環時間を採用していると いう点で、『夢幻廻廊』の環は神崎に少し似ているように思える。 しかし、 神崎はゲームの結末で訪れる破局をループによって帳消しにした一 方、環は結末で訪れる破局を自分のゲームの発展に利用する。 ありふれた日常と日常の破局を止揚する、 弁証法という方法によって。
『夢幻廻廊』の物語は基本的にお屋敷への「従属」を描き、 お屋敷からの「逸脱」を取り込んで高次元の段階に進む。「従属」 をテーゼとし、「逸脱」をアンチテーゼとし、 テーゼとアンチテーゼを止揚して物語が高階に上昇していくわけだ 。これはヘーゲルの弁証法を想起させる。 そして円環のように流れる時間は高次元の段階へと進み、 さらなる高次元の円環を描いていく。これはバネのような螺旋、 あるいは螺旋階段を想起させる。『夢幻廻廊』 の円環時間には段階があり、したがって奥行きがある。
『終ノ空』の間宮卓司は、「弁証法的螺旋階段」 という言葉を発している。*1弁証法的螺旋階段という言葉は、 同じことが繰り返され、 繰り返しの中で現れる相反するものが合一し、 高次元に向かって上昇する螺旋のイメージを喚起させる。『夢幻廻廊』 の物語の進み行きは、その意味で弁証法的螺旋階段のようだ。もっとも、 一つの段階のままで何度もぐるぐる回るケースも考えられるので、 「螺旋階段」 という言葉には少なからず語弊があるかもしれないが。
この世で実現する「天国」
最後に、『夢幻廻廊』のエンディングに表れる「 死ななけりゃ辿り着けない天国なんて、 この世じゃなんの価値もない。ねえ君は、君は、何を望むの?」 という謎めいた言葉を解読したい。
世間には、 現世を離れた死後の世界に天国を仮構するタイプの宗教が存在する 。時間や人生を過去から未来に向かう「直線」だと解釈し、 直線の終わりに死があるとし、 その死を起点にして天国へと上昇しようとする宗教観。 人生を苦しみが繰り返される輪廻だとみなし、 輪廻から解脱して天国へと上昇しようとする宗教観。 こうした宗教観は現世の背後世界を要請する見方であり、『 夢幻廻廊』はこうした宗教観を明確に否定している。
『夢幻廻廊』の時間は弁証法的螺旋階段のような形をしており、 単なる直線とも円環とも異なる。そして上昇する螺旋は、 マゾヒストの「天国」を目指して昇天する。 運命を変えるのではなく、運命から逃げるのでもなく、 運命と共に生きることを心から望んだとき、 マゾヒストの天国はそこに現れる。死ななくても、 あの世に行かなくても、マゾヒストの天国ならこの世で実現する。マゾヒズムの最終段階を踏破した たろは物語のエンディングで、 私たちプレイヤーにマゾヒストの天国を婉曲に勧めているかのよう だ。