今回は、アニメ版ポケモンのテレビスペシャル『ミュウツー!
『ミュウツー!我ハココニ在リ』
総監督:湯山邦彦
脚本:首藤剛志
(C)テレビ東京/MEDIANET/小学館プロダクション
2000年12月30日放送
おすすめ度:★★★★☆(エンタメ度は『逆襲』より上)
我思ウ、故ニ我在リ
サトシ「でも、なんで俺たちこんなところにいるんだ?」カスミ「さあ?いるんだからいるんでしょうねー!」トゲピー「チョキプリィィ!」サトシ「ま、いっか!」カスミ「うん!」ピカチュウ「ピカ、ピカ」
『ミュウツーの逆襲』では、「私とは誰か?」「 自分の存在理由とは何か?」が問われます。 なぜ私たちはここにいるのか、 オリジナルのポケモンとコピーのポケモンはどっちが強いのか。 これらの問題の答えは、最後まで結局よくわかりません。
でも、「なんで俺はここにいるんだ?」と考えている人でも、 ものを考えているからには、 存在しているということは間違いない。そして、 オリジナルのポケモンもコピーのポケモンも、 みんな生きているということは間違いない。とりあえず、「 存在している」「生きている」 ということは間違いないから認めようぜ!…というのが『 ミュウツーの逆襲』のオチでした。
「生きている」から「生きていい」への変化
ミュウツーは、『ミュウツー!我ハココニ在リ』でも相変わらず「 私は誰だ?」と問い続けています。しかし、『ミュウツーの逆襲』 のころよりもミュウツーの性格はかなり丸くなっています。 ミュウツーは無駄な争いをしなくなりましたし、 自分の身を犠牲にして仲間のコピーポケモンを守ったりもします。
ミュウツーは『ミュウツー!我ハココニ在リ』で、「 私は少なくとも、この星に生きていい生き物だ」 ということに気付きます。そしてミュウツーは、 コピーポケモンでも「 この星のどこででも生きていける資格がある」 という結論を出します。『ミュウツーの逆襲』 は存在していることや生きていることを「認める」作品でしたが、 『ミュウツー!我ハココニ在リ』 は存在していることや生きていることを「良しとする」 作品だと思います。ただ単に「生きている」だったのが、「 生きていい」という肯定に変わっているんですよね。
『ミュウツー!我ハココニ在リ』のオチでは、 大都会でミュウツーの存在が都市伝説として囁かれるようになるの ですが、これは非常に上手い落とし所だったと思います。『 ミュウツー!我ハココニ在リ』は、 伝説のポケモンと呼ばれるミュウツーが「都市伝説」 という意味で伝説になるまでの過程を描いた物語だと解釈できます ね。
全てのポケモン達におめでとう
『ミュウツーの逆襲』『ミュウツー!我ハココニ在リ』は「 自分の存在を認め、良しとする」物語だと私は解釈していますが、 TV版『新世紀エヴァンゲリオン』最終話「 世界の中心でアイを叫んだけもの」 でも同じテーマが扱われていると思います。 TV版エヴァの最終話では、主人公・碇シンジの「心の補完」 が行われます。
「僕はここにいてもいいのかもしれない」「そうだ。僕は僕でしかない」「僕は僕だ。僕でいたい!」「僕はここにいたい!」「僕はここにいてもいいんだ!!」
シンジは長い問答を続けた末、「自分はここにいてもいい」 という結論を出し、みんなに祝福されます。 TV版エヴァの最終話は「自分の存在を認め、良しとする」 オチでしたから、『ミュウツー!我ハココニ在リ』 と同じような結論に辿り着いています。
TV版エヴァの最終話は一応さわやかな感じがする結末ではありますが、 放送当時は視聴者からの厳しい批判が殺到したそうです。 登場人物の内面のことばかり説明されていて「人類補完計画」 の謎が一切明かされていないとか、 シンジが椅子に座って問答をする様子が怪しい自己啓発セミナーみ たいだとかいった苦情が噴出したようです。*1正直、 もっともな批判だよなあと思います(苦笑)。