かるあ学習帳

この学習帳は永遠に未完成です

『幻のポケモン ルギア爆誕』考察~「自己存在」から「共存在」へ~

今回は、ポケモン映画幻のポケモン ルギア爆誕(以下『ルギア爆誕』)を考察します。『ルギア爆誕』は、『ミュウツーの逆襲』に次ぐ2作目のポケモン映画です。

 

f:id:amaikahlua:20190618150515j:plain

幻のポケモン ルギア爆誕
監督:湯山邦彦
脚本:首藤剛志
(C)ピカチュウプロジェクト99
1999年7月17日公開
おすすめ度:★★★★☆(脚本家の主張に違和感を覚えた)
 

ふところの大きい神様

 
ミュウツーの逆襲』は「自分の存在を認めること」がテーマになっている作品でしたが、『ルギア爆誕』のテーマはそれぞれの自己存在の共存」です。そうなんです。『ルギア爆誕は『ミュウツーの逆襲』のテーマを受け継いでおり、受け継いだテーマをさらに発展させた作品なのです。
 
まず、『ミュウツーの逆襲』は「自分の存在」を固めています。それに次ぐ『ルギア爆誕』は、固まった「自分の存在」や「他者の存在」が同じ環境に共存することを目指した作品なのです。シナリオの終盤でルギアがサトシに語ったセリフは、そのことをよく表しています。
 

f:id:amaikahlua:20190618150959j:plain

サトシ「すごいねー!ほんとにポケモンなの?」
ルギア「そう。この星にみんなといっしょに住んでいるポケモン
サトシ「でも、どうしてこんなことに?」
ルギア「いっしょに住んでいるから壊してはいけない」
サトシ「何を?」
ルギア「相手の世界を。お前にはお前、私には私。それぞれの世界がある」
サトシ「うん!」
 
ミュウツーの逆襲』のミュウツーの関心事はもっぱら「自分の存在」でしたが、『ルギア爆誕』のルギアは「自分の世界」だけでなく「他者の世界」にも配慮した発言をしています。自分探しのまっただ中にいるミュウツーの精神年齢は意外と思春期の少年ぐらいかもしれないと私は思っていますが、ルギアの精神年齢はかなり高そうです。ルギアは、他者や環境全体にも気を配ってものを考えています。
 
ルギアさん、器が大きいです。
 

サトシのママの爆弾発言

 
『ルギア爆誕』のラストでは、世界の崩壊を防ぐために奮闘したサトシのもとに、サトシのママが駆けつけます。なんとママはサトシを全然ほめず、それどころか厳しく叱りつけます。
 

f:id:amaikahlua:20190618151244j:plain

ママ「サトシ!見てたわよ!なんて危ないことするの!」
カスミ「でも、サトシは、この世界を救ったんですよ?」
ママ「それがなんなの?あなたはまだ子供なんだから、無茶はダメ!世界を救う?命がけでする事?サトシがいなくなったら、サトシの世界はもうないの。私の息子はもういないの!あなたがいるから、世界はあるの!…サトシ、あなたはこの世界で何をしたかったの?」
サトシ「俺は…ポケモンマスターに」
ママ「だったら、無茶せずに、それを目指しなさい?」
サトシ「だよね!」
 
サトシのママが言いたいことは、一応わかりますよね。ママにとってサトシは大事な息子さんですから、サトシには自分の命を大切にしてもらいたいんでしょう。そして、ルギアが言う通り、他者だけでなく自分にも世界があるから、無茶をして自分の世界を壊さないほうがいい。それはわかるんですが、何かが微妙に変な感じがしますよねw
 
サトシは『ミュウツーの逆襲』では自己犠牲によってミュウツーの心を改心させましたし、『ルギア爆誕』では命がけで世界を救いました。ところがママはサトシが無茶をすることを戒め、憧れのポケモンマスターになることを目指せと言っています。解釈次第では、今までサトシが自分の身をなげうって一生懸命やってきたことを否定しているように受け取れる発言ですよね。
 
そりゃないぜ、母さん!
 

自己中気味の共生思想

 
『ルギア爆誕のラストでサトシのママが発した少し奇妙な発言の真意を汲み取るためには、脚本家の首藤剛志さんの思想を理解する必要があります。首藤さんのコラムには、こんなことが書いてありました。
 
 だが、僕の考える共存とはーーかなりへそまがりに感じられるかもしれないし、僕自身も、人が通常感じるイメージと違うだろうと自覚しているのだがーー自分の自己存在を尊重し、自分の思い通りの生き方をして、なおかつ、気がつけば他の人(生物)も、一緒に生きているということなのである。
 世界の中心にいるのは自分であり、自分がいなくなれば、少なくとも自分の世界はなくなり、自分のいない世界はそれは世界ではない。
 
はっきり言って、私は首藤さんのこの思想に少し共感していません。首藤さんがおっしゃる通り、首藤さんの考える共存は私たちの直感にやや反するものだと感じます。私よりも頭が切れて辛口な人間ならば、首藤さんの共生思想の詰めが甘いところを容赦なく批判するだろう(笑)。でも、具体的な批判を書いたら皆さんの気分を害してしまうでしょうから、私はこれ以上深入りしないことにします。
 

f:id:amaikahlua:20190618152656j:plain

ともかく、首藤さんは「自分の存在」を重視する脚本家だということがわかりますよね。「私は誰だ?」と考えている人でも、考えているからには、存在しているということは間違いない。自分が他者と共存するためには、自分の存在がなければならない。なにをするにしても「自分の存在」が足場になっているのだと首藤さんは考えていらっしゃって、その思想が『ミュウツーの逆襲』『ルギア爆誕には表れているというわけですね。