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大江健三郎「奇妙な仕事」解説(後編)

「奇妙な仕事」の主人公「僕」たちは、一五〇匹の犬を殺すアルバイトを引き受けます。この物語を読み始めると仕事の内容の奇妙さに面食らいますが、読んでいるうちに、大江さんが表現したいことを伝えるためにはこのシチュエーションこそ相応しい…と思えてくる。

 

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「奇妙な仕事」(『見るまえに跳べ』所収)
1974年初版発行
 
(今回の説明はまあまあ長いです。興味の無い箇所は適当に読み飛ばしてOKです)

解説

 
・汚れた仕事
 
「僕」と「女子学生」と「私大生」は、専門の犬殺しの男と一緒に仕事をします。「女子学生」は、犬を棒で手際良く殺していく犬殺しの男に対して寸評を加えます。
 

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 生活の中の文化意識、と女子学生はいった。桶屋の技術が桶屋の文化だ、そういう文化が生活としっかり結びついた本当の文化だ、というようなことを評論家が書くでしょう。あたりまえなことでね。ところが、一つ一つ実例をあたってみるとね、そんなにきれいごとじゃないのよ。犬殺しの文化、淫売の文化、会社重役の文化。汚らしくて、じめじめして根強くて、似たりよったりよ。
 
「女子学生」は「僕」や「私大生」と同年代だと思いますが、歳の割には随分スレています。犬殺しに限らず仕事の実情は綺麗なものではなく、汚くてじめじめしたところがあると「女子学生」は言っています。けれども「女子学生」は絶望しているわけではない。ニヒリズムに陥ることなく、淫売や会社重役の汚さを当然のように語る。こいつ、本当に女子学生か?w
 
 その厭らしい文化に足をつっこもうとしているの?
 足をつっこむとかなんとかいうのじゃなくてね、もうみんな首までとっぷりつかっているのよ。伝統的な文化の泥で泥まみれなのよ。簡単に洗うことはできないわ。
 
仕事には伝統的な汚い文化があり、みんな汚れていると「女子学生」は言います。この小説の上手いところは、「獣臭さが体から離れない犬殺しの仕事」が「汚さから逃れられない仕事全般」の象徴になっているところだと思います。あからさまに汚い犬殺しの仕事を通じて、仕事の汚さが巧みに表現されています。
 
・空回りする良心
 
犬殺しの男は、仔牛のような大きさの犬を殺す方法を説明します。残酷な話をする犬殺しの男に対して、「私大生」は抗議します。私大生」はヒューマニストだし犬に対しても情を見せるのですが、「私大生」の善良さは作中でずっと空回りしています。
 

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 俺は仔牛のような犬をおとなしくする方法を話しているんだぜ、と犬殺しがいった。
 私大生は脣を慄わせていた。僕は君のやり方を卑劣だといってるんだ。君のやり方は厭らしい。犬だってもっと上品なあつかわれ方をされて良いんだ。
 お前さんはそんなこといって仔犬一匹殺せないんだろうとやはり青ざめた犬殺しが脣の周りに唾液をぶつぶつふきだしていった。
 
犬殺しの仕事では犬を汚いやり方で殺して上等であり、犬を上品に扱うことを考えているようでは仕事にならない。犬殺しの世界では、動物に対する常識的な善良さが通用しないのです。農業高校などでは家畜を屠殺する「命の授業」があり、少年少女に動物を殺すことを教えるという話を聞いたことがあります。仕事の世界では、綺麗事抜きで誰かが生命を葬らなければなりません。
 
私は前回、理知的な「女子学生」の性格と感情的な「私大生」の性格が対比されているという仮説を立てました。この仮説は、おそらく正しいと思います。ハードな仕事に適応できるのは「女子学生」のように理知的で汚れた人間であり、「私大生」のように感情的で綺麗な人間は使い物にならないという現実の側面を、大江さんは表現したかったんじゃないかなw
 
 
「僕」は、仕事の途中で犬に腿を噛みつかれます。しかもラストでは職場の犬の肉が肉屋に売り込まれていたことが発覚し、警察に摘発されて仕事が徒労に終わります。「僕」は怒りの感情を持続させることができず、いつも疲れています。そんな「僕」の性格に呼応するかのように、奇妙な仕事も持続せず、無駄骨に終わるのです。
 

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 僕らは犬を殺すつもりだったろ、とあいまいな声で僕はいった。ところが殺されるのは僕らの方だ。
 女子学生が眉をしかめ、声だけ笑った。僕も疲れきって笑った。
 犬は殺されてぶっ倒れ、皮を剥がれる。僕らは殺されても歩きまわる。
 しかし、皮が剥がれているというわけね、と女子学生はいった。
 
このラストには色々な解釈ができると思いますが、私はいわゆる労働災害を表現していると解釈しました。いきなり個人的な話になりますが、私は昔、某飲食店でアルバイトをしたことがあります。お小遣い稼ぎのためにバイトをしたのですが、初日に手を大火傷してバイトをすぐに辞めました。稼ぐつもりが損をしたし、文字通り手の皮が剥がれました。この小説の結末は、これに近い状況を表現しているのだろうと思います。
 

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私は先月、Twitterで「仕事をするということは、自分の心身を大なり小なり危険に晒すことなのかな」とツイートしました。金銭や社会的地位を得て自分を「生かす」つもりで仕事を始めたのに、逆に仕事に比喩的な意味で「殺される」。仕事に「殺された」後も日常は続いていき、その日常はやりきれないものだ。こうした奇妙な皮肉が、仕事の世界では起こりうると思います。
 
「奇妙な仕事」という題名には「『僕』が引き受けたアルバイトの内容は奇妙である」という意味があると思いますが、この結末を読むともう一つの意味が思い付きます。仕事という奴は、概して実に不条理で奇妙なものだ」という意味がーー。