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中村文則『悪意の手記』感想や解説みたいなもの

中村文則は、「土の中の子供」と大体同時期に『悪意の手記』とかいう小説を世に送り出した。「土の中の子供」芥川賞受賞作なのだが、『悪意の手記』は何の賞も受賞していない。しかし、「土の中の子供」よりも『悪意の手記』の方が面白いと私は感じた。なぜなら『悪意の手記』は主人公の悪意に満ちているので文章に緊張感があり、後半の復讐劇でストーリー展開がさらに引き締まっていたからだ。
 

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『悪意の手記』
2013年2月1日発行
 

弱く醜悪な魂

主人公「私」は十五歳の時、血栓性血小板縮減性肥大紫斑病(TRP)という難病を患った。*1TRP患者は80%が死亡すると言われており、彼は死の恐怖に苦しみ、精神が崩壊した。彼は集中治療室の苦海で、世界と生を憎悪するようになった。彼は魂が弱く醜かったので、病気をきっかけに全てを呪い始めたのだ。
 

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 なぜ、あの時の私は憎悪から抜け切ることができなかったのか。なぜ憎悪ではなく、もっと美しい死の迎え方ができなかったのだろうか。不治の病に襲われながらも強く生き、周囲の人間達に多くのことを伝えながら病に対峙する人間はたくさんいる。なぜ私はそうできなかったのか。それは残念なことだが、私の精神というか人格が、強いものではなく、美しくなかったからだというしか、説明できない。(p.17)
 
「私」の病状は悪化する一方だと思われたが、なぜか彼の病気は唐突に治った。彼は病院から退院しても、愚かに見える世界を憎悪し続けた。彼は魔が刺して、親友のKを殺害した。しかし彼は犯行の現場を去り、自首せず、自殺もせずに生き続けることになる。その後も彼は悪意に満ちた人生を送り、この小説は彼が書いた自伝のような体裁になっている。
 

悪意のバイアス

私はこの小説を最初読み終わった時、「題名の通りとても邪悪で陰鬱な話だったな」と思った。しかし2週目の再読を始めると、この小説でもそれなりに生の祝福・肯定・許しが描かれていることに気付かされた。
 
例えば「私」の病気が治った時、医師や家族は彼を祝福した。大学に進学した彼は、祥子という女子学生から愛や善意を受け取った。「青い服の少年の幻影」によると、「私」の無意識は「私」に自己保存を勧めたという説がある。そして物語の結末で、「私」はとても軽い刑罰を受けるだけで済む。そもそも彼は病気が治った時、健康に生きることを「神に許されていた」と解釈できないこともない。
 

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このように「私」は多くの他者に生を祝福され・肯定され・許されていたし、彼の意識や無意識も結局生き続けることを選択した。にも関わらず彼の意識の大部分は呪いと悪意で満ちており、彼は他人の善意をはねのけるような態度を取り続けた。『終ノ空には、人々に誕生を祝福されながら、自分自身は生まれたことを呪っている赤ん坊が登場する。悪意の手記』の「私」は『終ノ空』の赤ん坊に近しい(?)存在で、他者から受け取った祝福とは裏腹な呪力を放出しているのだ。
 
「私」の強力な悪意は、いわゆる「認知バイアスの一種ではないだろうか。彼は強力な悪意で認識が醜悪に歪められており、自分に与えられた生の祝福・肯定・許しを粗末にしているのだと考えられる。彼のように魂が弱く醜い者は、他者から善意を受け取っても明るく生きることができないのだろう小さな幸せを見落としがちなのは人の性なのかもしれないが、悪意は身近な幸福をますます見えにくくするのだ。*2
 

悪意と復讐の恩恵

この小説は、「私」の悪意の赴くままに書かれた自伝という設定になっている。つまり言い方を変えれば、彼は自分の悪意のおかげで物書きになっているといえる。インターネットの匿名掲示板やTwitterには、悪意に満ちた暴言や悪口が満ちている。インターネットは昔から悪い言葉で溢れているが、人間は邪悪なことを考えると書くべきことがたくさん浮かんでくるのかもしれない。「私」やインターネットヘイター達は「悪意に愛されて」いて、悪意から文章のネタを受け取っているのかもしれないな(笑)。
 
また、この小説の後半では「私」がリツ子という女性の復讐に協力し、この復讐劇が物語の大きな見所になっている。彼とリツ子は復讐のために連帯したし、殺人の計画を共同で練った。復讐は嫌な行為だが、復讐をする者に生き甲斐を与え、復讐をする者を復讐劇の主人公にする。シェイクスピアで特に人気がある作品は復讐劇の『ハムレットであり、最近では『東京リベンジャーズ』とかいう復讐譚が大人気だという話がある。古来から復讐をする者は心を炎で燃やし、復讐劇を見る者も魂を躍動させるのである。
 
「土の中の子供」の主人公は虐待の被害者である一方、『悪意の手記』の主人公は殺人の加害者である。『悪意の手記』の主人公は加害者だから能動的だし、悪役と復讐者という明確な役割が与えられている。そのため土の中の子供」よりも『悪意の手記』の方がテーマ性が読み取りやすく、物語構成もしっかりしていると私には感じられた。

*1:ちなみにこの病名は架空の病名らしい

*2:逆に、善意に満ち溢れている人は身近な悪意が見えづらいという説がある。例えばお人好しな人は、悪意のある人を相手にしてもうっかり気を許してしまう場合があるのではないだろうか