かるあ学習帳

この学習帳は永遠に未完成です

『フロレアール』考察~価値観は「言語ゲーム」だ~

大昔の美少女ゲームフロレアール~すきすきだいすき~』以下『フロレアール』)の主人公・ジャンは、言語ゲームについて語っています。ジャンによれば、貨幣経済や民主主義や自然科学やカトリシズムのような価値観は全て「言語ゲーム」だという。

 

f:id:amaikahlua:20200410124128p:plain

……貨幣経済や民主主義や自然科学やカトリシズム。
……僕たちの周りにある価値観の全て。
……それは、全部《言語ゲーム》なんだ。
……ヴィトゲンシュタインが言ってたみたいに。
……でも、そんなこと言うまでもないことなんだ。
……そんなことが重要なんじゃない。
 

言語ゲームとは何か

 
後期ウィトゲンシュタインの代表作『哲学探究』では、「言語ゲーム」が考察されています。言語ゲームというのは、かなり大雑把に言うと、「言語や、言語を使ったありとあらゆる活動」のことです。
 
 言語だけでなく、言語にまつわる行動もひっくるめて、その全体を、私は「言語ゲーム」と呼ぶことにする。*1
 
具体例を挙げると、誰かに命令したり・誰かの命令に従ったり・何かを説明したり・計算をしたり・お祈りをしたりするのは、全部言語ゲームです。また、表やグラフを描いたり、演劇をしたりすることも言語ゲームだとウィトゲンシュタインは言っています。*2
 
日本語で「ゲーム」と言うと椅子取りゲームやテレビゲームのような「遊び」をイメージする人が多そうですが、ドイツ語のSpiel(ゲームという意味の単語)にはより多くの意味があります。ドイツ語のSpielには「遊び」の他にも「動き」「芝居」「演技」「演奏」などの意味がありますので、言語ゲーム(Sprachspiel)という術語にもそうした幅広い意味合いがあると考えてくださいませ。
 

価値観は全て言語ゲームである

 
ここまでの見解を踏まえると、貨幣経済や民主主義や自然科学やカトリシズムのような価値観は全言語ゲームだというジャンの発言の意図が大体おわかり頂けたかと思います。おそらくジャンは「僕たちは言語によって明文化できる価値観を持っていて、その明文化できる価値観が僕たちの活動の基礎になっているんだよ」といったことが言いたいのだと私は解釈しています。
 

f:id:amaikahlua:20200416123635j:plain

例えば、貨幣経済について考えてみましょう。貨幣経済ではペラッペラの紙や小さな金属(貨幣)が美味しい食べ物や優れた芸術作品などと交換されますが、これって冷静に考えると随分奇妙な活動ですよね。この奇妙な活動をマトモっぽく見せているのは、私たちの心に浸透した「価値観」だと思います。
 
一万円札や百円玉は、貨幣経済の価値観を持たない赤ん坊にとってはただのペラッペラの紙や金属です。しかし、「このペラッペラの紙は一万円札である」「一万円札は、一万円の価値がある商品と交換できる」といった言語によって明文化できる価値観を刷り込まれると、私たちは貨幣の認識を得て清算や投資のような経済活動に参加できるようになる。貨幣経済が価値観であり言語ゲームだという発言の意図は、大体こんなことでしょう。
 
続いて、民主主義やカトリシズムが価値観であり言語ゲームだというのは結構わかりやすいから良しとして(わかりにくかったらすまんなw)自然科学が言語ゲームだという考え方には補足が必要でしょうね。
 

f:id:amaikahlua:20200416124108j:plain

私たちは、地球は太陽の周りを回っているとか、人類の祖先はサルだとかいったことを普通に考えることができます。なぜそう考えることができるかというと、「地球は太陽の周囲を公転している」「人類はサルから進化した」といった言語によって明文化できる自然科学的な知見を私たちが共有しているからでしょう。そして私たちは自然科学の物の見方を当てにして、研究や説明などの活動を行うことができます。
 
しかし、科学者も所詮人間ですから、科学の物の見方や仮説が間違っている場合があります。一見すると客観的に思える科学的な観点も、人間が編み出した価値観の一種にすぎないのです。自然科学が価値観であり言語ゲームだという発言の意図は、大体そういうことでしょう。
 

f:id:amaikahlua:20200416124334p:plain

余談ですが、『フロレアールと同じく元長柾木さんがシナリオを書いた『Sense Off』には、「……科学も世界解釈の1手法である限り、『信仰』であらざるを得ない」というセリフがあります。元長さんは『フロレアール』と『Sense Off』で、科学も所詮ヒトの価値観や信仰の一種にすぎないのだと言いたかったのだろうと思います。
 
 
…今回は、考えれば考えるほど当たり前なことを言っているように思われたかもしれません。実際、ジャンは「そんなこと言うまでもないことなんだ」と言っています。では、ジャンにとって、『フロレアール』という作品にとって、何が重要なことなのか。続きは次回に考察します。
 
〈参考文献〉
ウィトゲンシュタイン(丘沢静也訳)『哲学探究』、岩波書店二〇一三
・メイヤスー(千葉、大橋、星野訳)『有限性の後で』、人文書院、二〇一六
・中村昇『ウィトゲンシュタイン哲学探究」入門』、教育評論社、二〇一四
・中川敏『言語ゲームが世界を創る』、世界思想社、二〇〇九
…今回は自分なりに調べて書きましたが、異論があればぜひ知りたいです。お気軽にご連絡くださいw
 
〈関連記事〉

*1:ウィトゲンシュタイン(丘沢静也訳)『哲学探究』、岩波書店二〇一三、一二頁。

*2:同上、二四~二五頁。