『フロレアール』考察~フィクションの中で生きる~
私たちの身の周りにはフィクションが溢れている。本稿では、 フィクションとは大雑把に虚構や創作物を指す。 本屋に足を運べば、小説や漫画が多数販売されている。 毎日夥しい数のドラマやアニメがテレビで放送され、 インターネットで配信されている。 フィクションは日々新しく生産され、 私たちは全てのフィクションに付き合いきれない。 大昔の美少女ゲーム『フロレアール』は、 そんなフィクションが氾濫する現代社会を賢明に生きる術を教えて くれる。
……貨幣経済や民主主義や自然科学やカトリシズム。
……僕たちの周りにある価値観の全て。……それは、全部《言語ゲーム》なんだ。……ヴィトゲンシュタインが言ってたみたいに。……でも、そんなこと言うまでもないことなんだ。……そんなことが重要なんじゃない。
フィクションは、 小説や漫画やドラマやアニメのようにあからさまな創作物だけにと どまらない。経済や法律、思想などもヒトの作り事… つまりフィクションである。そんなことは当たり前のことで、 重要なことではない。では、何が重要なことなのだろうか。
……僕たちはみんなフィクションの中を生きている。……初めから判りきっているさ、そんなことは。……けれど、大事なのはそんな自明な事実じゃない。……全てはフィクションだっていうのは絶望じゃない。……大事なのは、世の中の色んなフィクションを1つ1つ検討していくこと。 ……そして、自分にとって何が意味があるのか、何がそうでないのか、それを確認していくこと。 ……そう、そのことが、多分大事なんだ……。
私たちが人生の指針にしている思想や価値観は全てフィクションだ ということは、 私たちの周りにある全ては無意味であり虚しいということを言いた いのだろうか。そうではない。この世には、 私たちにとって意味のあるフィクションと無意味なフィクションが ある。 どのフィクションに意味があってどのフィクションに意味がないの かは、人それぞれだ。
『フロレアール』のジャンは、 色んなフィクションのうちどれが自分にとって意味があるのか、 どれが無意味なのかを確認することが大事だと言った。これは、 フィクションが氾濫する現代社会を生き抜くための知恵だと思う。 不必要なフィクションに没頭するのも、 必要なフィクションを素通りするのも、賢明さに欠ける判断だ。だから、 フィクションに向き合う時には、 そのフィクションが自分にとって意味があるのかどうかを考えるこ とが大事なのだ。
私たちの身の周りにはフィクションが溢れている。 そしてフィクションは意味に大きく関わっている。 あなたにとって意味があり、必要なフィクションは何だろうか。 あなたにとって無意味であり、 不必要なフィクションは何だろうか。 例えば今FGOやあつ森のようなゲームが流行っているが、 これらのフィクションはあなたにとって意味があるのだろうか。
フィクションの意味/無意味を考えることは、ジャンの言う通り、 きっと大事なことだ。
〈補説〉
フィクションの存在は、 人々がそのフィクションに意味を見出だすことによって強固になる のではないだろうか。
2018年に、『 仮面ライダー平成ジェネレーションズFOREVER』 という映画が上映された。この映画では、仮面ライダーが「 虚構の産物」として描かれていた。 しかし仮面ライダーは虚構の産物でありながら人々に意味を見出だ され、必要とされ、 恒久的にヒトの心に残り続ける存在でもあった。 人々はフィクションに意味を見出だし、必要とし、 フィクションの存在を支持する。 あるいは意味を見出だされたフィクションは必要とされ、 存在を支持される。
貨幣経済や民主主義や自然科学やカトリシズムが今もなお存続して いるのはなぜか。おそらくその理由の一つとして、 大勢の人々が貨幣経済や民主主義や自然科学やカトリシズムという フィクションに意味を見出だし、必要とし続けているからだろう。 貨幣経済や民主主義や自然科学やカトリシズムは「 虚構だから無意味」だとは限らない。むしろ、「 大勢の人々にとって意味がある虚構」だと言える。
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…『フロレアール』考察はまだまだ続きますw