『美少女万華鏡 罪と罰の少女』考察~父殺しの天才~
『美少女万華鏡』第4話「罪と罰の少女」は、
『美少女万華鏡 罪と罰の少女』
シナリオ:吉祥寺ドロレス
原画:八宝備仁
2017年7月28日発売
(C)omegastar
怪奇作家・深見夏彦は「人形の間」に四度目の訪問をし、 謎の少女・蓮華から万華鏡を借りて夢の世界を覗き見ます。 第4話の読解で重要なポイントは、物語が万華鏡という「鏡」 に映し出された虚像だということです。第1~ 3話の物語も万華鏡の鏡像でしたが、 第4話では鏡像というキーワードが格別に大きな意味を持ちます。
第4話の主人公・覡夕摩は詩を愛する美少年で、 鏡に映る美しい自分の鏡像に心酔しています。夕摩には、 夕莉というこれまた美しい姉がいます。夕摩・ 夕莉は一卵性双生児で、 二人は性別は違いますが見た目がそっくりです。 夕摩は鏡に映る自分を愛するのと同じ要領で、 自分そっくりの姉を愛していました。夕摩・ 夕莉は姉弟でありながら肉体関係になり、 近親相姦に陥っていきます。
鏡像段階では、 子どもは鏡のなかの自らの全体像を自我として認め、 勝ち誇った態度を示す。だが、子どもの自我がそこで成立し、 子どもは満足して終わるわけではない。 この経験は逆に子どもにとって別の種類の苦しみの始まりでもある 。
(中略)人間は自らの外部に位置する像に自分を同一化し、 疎外的に自分自身を作りあげていく。 鏡はその一つの媒体にすぎない。もっと具体的に言えば、 この像は他者のイメージ、つまり生まれてすぐなら母親、 そして兄弟、家族のイメージである。*1
生後六ヶ月に達した子供は鏡の中に自らの姿を認め、 喜びの表情を示すという説があります。 そして子供は他者と関わり、 言語や社会的規範を身に付けていきながら、 徐々に成熟していくのです。しかし、 もしも子供がナルシシズムのバリアーに内在し、 社会的規範を排除して成長したとしたらどうなるか…… という思考実験が、この第4話だと思います。
夕摩・夕莉姉弟の父親は、礼次郎という高級官僚です。 礼次郎はエリートの立場から他人を見下しており、 愚民やマスメディアを嫌悪しています。 そして礼次郎は子供が帝大に進学することを期待しており、 ひきこもり気味の夕摩を厄介者扱いしています。 礼次郎は当然の事ながら夕摩・夕莉に嫌われており、「 鬱陶しい父性権力の象徴」として描かれています。
夕摩・夕莉に感情移入して第4話を読むと、 礼次郎はとても嫌な父親に思えますね。しかし、礼次郎には「 自分の子供を社会の勝ち組に育成する役割」 があることを見落としてはなりません。 礼次郎は自分の子供がエリートになることを期待しており、 礼次郎に反逆する事は何らかの形で反社会的な色彩を帯びます。 ラカン理論では、ルールを司り主体を去勢する存在が父親に喩えられます。礼次郎は自己愛空間にひきこもる夕摩を処罰し、 社会の厳しさを教える父親ですから、 ラカン的な父性の体現者でありましょう。
(以下、超ネタバレ)
中央官庁に勤務する礼次郎は仕事が上手く行かなくなり、 埼玉に左遷されます。そして礼次郎は堕落の一途を辿り、 アル中になってしまいます。 夕摩は学校の文芸部でドストエフスキーの『罪と罰』 の話を聞きます。『罪と罰』の主人公・ラスコーリニコフは、「 選ばれた非凡人は、新たな世の中の成長のためなら、 社会道徳を踏み外す権利を持つ」と考えました。 そしてラスコーリニコフは、 しがない高利貸しの老婆を殺害しましたね。では、 夕摩が選ばれた非凡人であり、 腐敗した父性権力の象徴たる礼次郎を殺害する権利を持っていると したら、どうでしょうか?
泥酔した礼次郎は自宅で夕莉を強姦しようとしましたが、夕摩・ 夕莉は礼次郎を刺殺します。こうして父性権力の象徴は退場し、 夕摩・夕莉の鏡像的な近親相姦空間が誕生します。 父親である礼次郎が殺害されたのはおそらくドストエフスキーが「 父殺しの文学者」 であることを意識したオマージュだと思うのですが、 実に心憎いクライマックスですねえ。
夕摩・夕莉はシンガポールに国外逃亡し、 妊娠した夕莉は弟である夕摩の子供を出産します。夕莉の子供は、 なんと両親にそっくりの双子でした。鏡像のようにそっくりな双子から、 またもや鏡像のようにそっくりな双子が生まれたのです。 おそらく夕摩・夕莉の子供もまた、 近親相姦によって両親そっくりな子供を作るのではないでしょうか 。こうして無限に鏡像が増殖するような、 自己陶酔的な愛の世界が完成します。この結末でランボーの「 永遠」が引用されていますが、この詩は「永遠」 というテーマを反復してきた『美少女万華鏡』 の世界観に良くマッチしていると思います。
もういちどみつけたよ。
なにを? 永遠を。
それは 太陽と 番った
海だ。
私はこの第4話を読み終わって、草間彌生さんの現代アート作品「 無限の鏡の部屋ーファルスの原野」を思い出しました。 この作品では草間さんの姿が鏡で無限に増殖しているのですが、 夕摩・ 夕莉のそっくり姉弟が近親相姦で無限に増殖できるのはこれに近い 事態だと思います。また、草間さんの作品では「ファルスの原野」 という題名の通り、 万能感の象徴である勃起ペニスみたいな造形物が地面にいっぱい生 えていますね。この表現も、第4話で「選ばれた非凡人」 である夕摩が去勢者=父を殺害したことと親和性が深いでしょう。 第4話が表現している事態は、 草間さんの現代アート作品と実質ほとんど相違無いと私は思いまし たが、どうでしょうか。
鬱陶しい父性権力を拒絶し、 自己陶酔的な世界で自分を無限に増殖させる……。 第4話も草間さんの作品も病的に狂っていると思いますが、 だからこそ惹き付けられるような魅力がありますね。 しかし第4話の永遠に増殖する愛の世界も所詮は万華鏡の中の夢に 過ぎないのであって、 万華鏡を覗く夏彦はひとときの永遠を垣間見た後、 またしても現実に帰るのです。
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