『終ノ空』考察~呪われた生と祝福された生~
最近、「生まれてこない方が良かった」という思想…… 反出生主義が思想界で話題になっていますね。「この世は地獄。生まれてこない方が良い」という呪いの言葉には迫力がありますが、反出生主義は決して万人受けする思想にはならないでしょう。その理由の一つとして、私たちの多くは何となく生きる事を祝福し、 肯定しながら生きているだろうからです。
赤ん坊の夢
ゲーム『終ノ空』の登場人物・
行人「赤ん坊が生まれるんだよ」行人「そう」行人「その赤ん坊は泣くんだよ」行人「おぎゃ、おぎゃ、ってさ…」行人「その声を聞いてみんなわらうんだよ」行人「みんな祝福してるんだよ」行人「お母さんも…」行人「お父さんも…」行人「そして、その他の人も…」行人「その赤ん坊の生を…」行人「祝福するんだ」行人「世界は生の祝福で満たされる」
生まれたばかりの赤ん坊の生を、 両親やその他の人々が祝福している。なんと幸福な夢でしょうか。 しかし、この夢には続きがあります。
行人「でも」行人「でも、違うんだ」行人「そこで」行人「俺は」行人「俺は一人そこで恐怖するんだ…」行人「恐怖を…」行人「なぜなら…」行人「それは、世界を呪っているんだ」行人「確実に…」行人「世界を呪っているんだ」行人「その生まれたての赤ん坊は」行人「生まれた事を」行人「呪っているんだよ」行人「確実に」
世界は生の祝福で満たされます。しかし、 祝福されている当の本人である赤ん坊は、 この世に生まれた事を呪っているのです。 生の祝福に満ちた世界には、生への呪いが確実に存在するのです。 行人は、赤ん坊の息の根を止めようとします。
行人「俺は」行人「俺はその場で氷りつく」行人「みんな、笑っている中」行人「祝福の中で」行人「一人で…」行人「俺はさ…」行人「俺は、よろけながら…」行人「その赤ん坊に近づくんだ」行人「そして、その赤ん坊の泣き声を止めようとするんだ」行人「そして、そうしなければいけないと思うんだ」行人「なぜ?」行人「分かんないけど…」行人「それがさ」行人「それが、生まれてしまって」行人「無惨に生き続けてしまってる俺の」行人「俺の」行人「唯一の」行人「唯一の償いだと思うんだ」行人「誰に対して?」行人「たぶん」行人「その赤ん坊に対して…」行人「そして」行人「それ以外のなにかに対して…」行人「だと思う…」行人「俺は、生まれたての赤ん坊の首を絞めて」行人「その人生をそこまでで終わらせようとする」行人「終わらせるために…」
行人は、自分の生を無惨だと思っています(行人は直前で「 俺は人生が始まった瞬間から負け続けてるよ!」と言っています) 。行人には、 自分が無惨な生を送っている事に対する申し訳無さのような思いが あったのかもしれません。自分は無惨に生き続けている。せめて、 この赤ん坊だけは無惨に生き続けないようにするため、 赤ん坊の息の根を止めよう。行人はそう思ったのかもしれません。
行人「祝福の笑いのなか」行人「俺は」行人「俺は、赤ん坊の首を絞めようと…」行人「しかし…」行人「出来ないんだよ」行人「おぎゃ、おぎゃ、って泣いている赤ん坊の首を」行人「俺は」行人「俺は絞められないんだ」行人「なんで?」行人「なんでなんだ?」行人「これが、唯一できる償いなのにもかかわらず」行人「泣き声を終わらせなければいけないのに」行人「出来ないんだ」行人「その赤ん坊に、何一つ、意味を与えられない」行人「何一つ、可能性をやれない俺が」行人「しなければならない唯一の方法なのに…」行人「出来ないんだ…」
行人は、生を呪って泣いている赤ん坊に対して、 完全に無力でした。理由は明言されていませんが、 赤ん坊を実際に殺害する事は、 相当な決断力や実行力を要する事でしょう。 赤ん坊を殺害できないのは、人として当然な事に思えます。
行人「俺はその場で倒れ込むんだ…」(中略)行人「そのうち…」行人「赤ん坊の泣き声が…」行人「普通に」行人「普通にさ」行人「普通になるんだよ」行人「それで」行人「普通に…」行人「おぎゃ、おぎゃって泣くんだよ」行人「その声を聞きながら」行人「俺は泣きながら」行人「よかった、と思うんだ…」行人「よかった、と…」行人「何を?」行人「よくわからないけど…」行人「よかった、と…」行人「何も解決してないし」行人「なにもわからないけど…」行人「ただ」行人「ただよかったと」行人「俺は泣きながら」行人「思うんだよ…」行人「…」行人「俺が生まれて」行人「いまも生きているという事は」行人「たぶん」行人「たぶん、そういう事だと思うんだ」行人「そう…」行人「そして、これが」行人「これが、予感なんだと…」行人「思うんだよ」行人「俺の生きている」行人「予感だと」行人「…」
行人は赤ん坊を殺す事ができず、赤ん坊は大人しくなります。 何も解決していませんが、行人はただ「よかった」と思います。 生まれたばかりの尊い命が失われずに残ったのだから、 確かに良かったのでしょう。 以上の夢の話は行人が生まれて生き続けているという事であり、 行人の生きている予感だという。 これは一体どういう事でしょうか。
思うに、行人の夢の中の赤ん坊のように、 生まれてきた事を呪う思いは、 誰の心の中にもいくらかあるでしょう。 私は生まれてこない方が良かった、と……。しかしそう思っても、 誰もそう簡単に自殺はしないし、他人を殺したりもしない。 それでいいのだ。それが生きるという事なのだ。 そういうインスピレーションが、 行人の夢の中に現れたのでしょう。
(今回は引用ばっかですみません。考察は次回に続く)