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三島由紀夫「一九七〇年 富士山麓の兵舎より」解説と考察みたいなもの

『新潮』とかいう雑誌の5月号に、三島由紀夫川端康成に送った手紙が掲載されていた。三島由紀夫は『豊饒の海』という不可解な小説を書いた後、これまた不可解な理由で切腹自殺したことで知られる文豪である。しかし、今回の『新潮』に載せられた手紙を補助線にすれば、晩年の三島についてある程度説得的な説明が可能だと思う。私はこれから、謎に満ちた三島事件の解説と考察を行う。私の論述がどれだけ有効なのかは、皆さんの判断にお任せします(笑)。
 

「一九七〇年 富士山麓の兵舎より」
(『新潮』2022年5月号所収)
新潮社
 

三島由紀夫の夢

三島の小説『豊饒の海』は、全四巻からなる「夢と転生の物語」である。第一巻の主人公・松枝清顕は、第二巻で右翼大学生・飯沼勲に転生する。そして勲沼は第三巻でタイの王女・月光姫に転生し、第四巻には月光姫の生まれ変わりだと目される青年・安永透が登場する。三島は繰り返される転生を描くことにより、「恒久不変の現実」に戦いを挑んだというのが定説である。
 
豊饒の海』の元ネタは『浜松中納言物語』だと三島は語っている。『浜松中納言物語』も『豊饒の海と同様に、輪廻転生を描いた物語である。三島は『浜松中納言物語』から「夢と転生によって現実を揺るがす思想」を発見した。そして三島は自らも「夢と転生の物語」を創作し、現実に挑戦したのである。
 

三島由紀夫(1925~1970)

もし夢が現実に先行するものならば、われわれが現実と呼ぶもののほうが不確定であり、恒久不変の現実というものが存在しないならば、転生のほうが自然である、と云った考え方で(『浜松中納言物語』は)貫ぬかれている」*1
 
「夢が現実に先行する」とは、どういうことだろうか。例えば、我々の身の周りには、電話や自動車のような機械が当たり前のように存在している。しかし、電話や自動車などは、元はと言えば昔の人が夢を見たおかげで実在するようになった代物であろう。昔の人が「遠くの人と通話したいな」と夢を見たおかげで電話が発明され、昔の人が「凄いスピードで移動したいな」と夢を見たおかげで自動車が発明されたと考えられる。このように、まず先に夢を描くことによって、当たり前の現実の景色は変わっていくのである。
 
我々が当たり前だと思っている現実は、夢を描くことによって作り変えることができる。現実世界に可変性があるとすれば、現実は不変ではない。こう考えれば現実の不変性は否定され、ついでに諸行無常の転生物語も少しは信用できるようになるかもしれない。
 

話が若干横道に逸れるが、今流行中の異世界転生アニメにも「現実を相対化する」作用があると考えられる。例えば『無職転生異世界行ったら本気だす~』とかいうアニメの主人公は現代日本の引きこもりであったが、交通事故を機に剣と魔法の世界に転生する。もしも剣と魔法の異世界が実在するのならば、我々が恒久不変だと思いがちな現実の日常世界は唯一絶対の世界ではない。異世界転生は、異世界を描くことにより、「恒久不変の現実」を相対化しうるのである。
 
以上の説明で、夢と転生は恒久不変の現実を揺るがすことができる」という思想の概略がお分かり頂けたかと思う。三島は現実を作り変える夢と転生のパワーに注目し、『豊饒の海を執筆したのである。
 

三島由紀夫の弱音

豊饒の海』第三巻を完成させた三島は、師匠の川端康成に弱音を吐き始める。『新潮』5月号の手紙には、三島の弱音の内容が書いてあった。この弱音はとても重要なので、目を皿にして読んで欲しい。
 

第四巻は、はじめの計画では、(丁度現在時点へ物語が来ますので)、一九七〇年の擾乱に内容を合わせるつもりでした。しかし一向世間が静かで、この計画は御破算になりました。私には心霊的能力、預言の能力が根本的に欠けてゐるやうです。予想が当たつたことがありません。ー一つの小説や芝居の中で、すべてが計画的に行くことと、歴史や現実の中でさうすることとは、全然別なことは当然なのに、この混同の愚を犯すのです*2
 
1970年に、日米安全保障条約が延長された。安保が延長した際に左翼が暴動を起こし、佐藤政権の収拾が付かないレベルの大混乱が発生することを、三島は予想していた。そして三島は第四巻の舞台を1970年の日本に設定し、小説でもクライマックスを発生させる計画だったことが窺える。しかし1970年の日本の世間が思いの外静かだったので、三島は最終巻のストーリー展開も鎮静化させることを余儀なくされる。三島は虚構と現実を混同しており、現実が計画的に進行しないことに悩んだ。
 
三島に限らず、小説家や脚本家は、波瀾万丈なストーリー展開や計画性のある物語を考えがちである。しかし戦後日本の現実は、小説や芝居とは違って、大部分が静かで単調な日常でできている。三島の夢と計画は、「一向静かな世間」の前で、徐々に敗北し始めるのだ。
 

三島由紀夫の現実

で、『豊饒の海最終巻が結局どんな話になったのかを解説しよう。最終巻ではなんと、月修寺の尼僧・聡子が、最終章までの一連の物語は全部夢で、これまでの登場人物もみんな幻だったのではないか」という提言をする。最終章までの成り行きをずっと観ていた男・本多は、「夢と転生の物語」がみるみる消滅した心地がし、衝撃を受ける。そしてお寺の庭は、シーンとしているばかりであった。完。
 
豊饒の海』最終巻では夢と転生が敗北し、静かな現実が勝利する様子が描かれていると解釈できる。豊饒の海』で描かれた夢と転生は所詮脆弱な幻に過ぎず、お寺の庭のように一向静かな現実こそが強固に実在するのだ。最終巻では余計な幻想から解脱した「涅槃の境地」が描かれていると解釈できるが、それにしても夢と転生にワクワクしながら読んでいた読者からしら、実に拍子抜けする結末である。「夢と転生が挫折する」というオチは、文字通り夢が無さすぎるだろう。
 
豊饒の海』を完成させた三島は、自衛隊駐屯地のバルコニーで演説を行った。三島は憲法を改正すること・自衛隊アメリカの言いなりにならないこと・天皇を中心とする歴史と文化を守ることなどを主張した。しかし聴衆は三島の言うことを聞かず、三島に野次を飛ばすなどした。三島は俺の自衛隊に対する夢はなくなったんだ」と言い、天皇陛下万歳をした後に切腹した。こうして三島の自衛隊に対する夢も、厳しい現実の前で挫折したのである。
 

三島「まだ諸君は憲法改正のために立ち上がらないと、見極めがついた。これで俺の自衛隊に対する夢はなくなったんだ。それではここで俺は、天皇陛下万歳を叫ぶ。
 

全てが思うほどうまくはいかないみたいだ

では、今回の考察をまとめるとしよう。まず、三島由紀夫夢と転生には現実を変えるパワーがあるという所に着目し、夢と転生の物語『豊饒の海』を執筆した。しかし三島は執筆をしているうちに計画通りにならない現実に悩み、小説のストーリー展開を鎮静化させた。そして完成した小説のラストは、夢と転生が滅んで静かな現実が残るというものであった。さらに三島本人の自衛隊に対する夢も滅亡し、(そのせいかは知らへんけど)三島は死を選択した。
 
さて、三島由紀夫の昭和史から、我々は何を学び得るだろうか。私はとりあえず、夢と転生には現実を作り変えるパワーがあるが、それにしても戦後日本の現実と戦うのは厳しい」と言っておきたい。
 

戦後日本の世間は三島が言う通り一向静かなものだし、最近の日本で原発事故やコロナ禍が発生しても私の周りの世間はシーンとしている。そして世間に向かって三島が大声で自分の夢を叫んでみると、その叫びは駆け付けたヘリコプターの騒音でかき消されてしまう。ついでに叫んだ反動で野次も飛んでくる。戦後以来の日本の世間は基本的に静かで空虚なのだが、この世間には《強度》がある。その《強度》は、三島の夢を余裕でひねり潰せるくらい、圧倒的な《強度》なのだ。

*1:三島由紀夫奔馬』、新潮文庫一九七七年、五〇八頁。

*2:三島由紀夫「一九七〇年 富士山麓の兵舎より」(『新潮』二〇二二年五月号)。