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『美少女万華鏡 神が造りたもうた少女たち』考察~有限性の後で~

『美少女万華鏡』第3話「神が造りたもうた少女たち」の舞台は、パンデミックによる滅亡を迎えた後の未来の世界です。コロナ禍が発生するよりも前の2015年に発売されたのに、先見の明が感じられる作品ですね。全5話のうち、この第3話だけ世界観が極度のSF寄りになっていました。しかし第3話は、ある意味最も『美少女万華鏡』らしいお話だったと思います。なぜならこの作品では、有限性を突破した後の終わらない日常が描かれているのですから。
 

『美少女万華鏡 神が造りたもうた少女たち』
シナリオ:吉祥寺ドロレス
原画:八宝備仁
2015年3月27日発売
(C)omegaster
 

怪奇作家・深見夏彦は、今回も蓮華から万華鏡を借り、愛と恐怖の世界を垣間見ます。第3話で万華鏡が映し出すのは、なんと「黙示録後の世界」です。西暦2047年にAIが自我を持つようになり、ロボット達は人類に反逆を開始しました。人類はアポカリプスウイルス」によってロボットを抹殺したのですが、ウイルスの弊害で世界は荒廃を迎えました。ウイルスによって壊滅する前の世界は「旧世界」と呼ばれており、滅亡後の世界は「新世界」と呼ばれています。
 

新世界の天才科学者・成龍之介は廃棄された旧世界の美少女アンドロイドを回収し、その修理に成功します。龍之介はこのアンドロイドをアリスと名付け、メイドロボットとして利用しようとしました。しかしアリスの性格はツンデレ型に設定されていたため、彼女は龍之介に対して反抗的な態度を取ります。龍之介はアリスがメイドとして役に立たないことに失望し、「失敗作」のアリスに代って二体目のメイドロボットを起動させます。
 

二体目のメイドロボットはドロシーという名前で、清楚で落ち着いた見た目をしています。ドロシーはクールな性格で、龍之介の命令に素直に従います。明らかに、アリスはアスカに近い性格である一方、ドロシーはレイに近い性格です。ツンデレヒロインとクール無口ヒロインの連立は、最早鉄板とも言える組み合わせですね。第3話の中盤までは、龍之介・アリス・ドロシーの三角関係ラブコメ的な展開になっていました。
 
(以下、超ネタバレ)

 

アリスとドロシーは新世界の村人たちに愛されていたのですが、ひょんなことから二人がロボットだということが村でバレます。旧世界がロボットによって崩壊したという負の歴史が存在するため、新世界の住人はロボットをヘイトしています。村の神父はアリスとドロシーを破壊するため、アポカリプスウイルスを再び散布しました。しかし皮肉にも龍之介・アリス・ドロシーの三名だけが生き残り、村の住人がみんなウイルスで死んでしまいます。そこに村ののけ者にされていたブギーマンが現れ、また最初からやり直せばいいさ」と龍之介たちを励まして、第3話は終幕します。
 

この第3話では、科学の進歩がもたらす終末が描かれています。人類はロボットを発明したせいでロボットに反逆されたし、人類はウイルスを開発したことによっても自分の首を絞めることになりました。このように科学が発達することによって人類は生存を脅かされる場合があるので、進歩が輝かしい未来を約束するとは限らない。特にAIが技術的特異点に達すると予想外の惨事が発生する可能性があるので、人類はAIの運用に注意しなければならない。現在の我々は終末を迎える前の言わば旧世界の住人なので、この第3話から「終末を回避するための教訓」を学ぶことができます。
 

その一方で、第3話では「終末を迎えた後の希望」も描かれています。パンデミック後の世界で生き残った龍之介・アリス・ドロシー・ブギーマンはまた最初からやり直すことができるので、この先も希望があります。したがって第3話では「終末を迎えたら悲惨なことになるから気を付けた方がいいよ」という悲観的な警告と、「終末を迎えてもまた最初からやり直せるから大丈夫さ」という楽観的な希望が両立しているわけです。前者の悲観的な警告は旧世界を存続させるための知恵であり、後者の楽観的な希望は新世界を生き抜くための知恵ですね。
 

別のゲームの話になりますが、終ノ空でも終末を迎える前の世界」「終末を迎えた後の世界」が描かれていました。しかし『終ノ空では世界の終わりまでの恐怖のカウントダウンが濃密に描かれていて、終末を迎えた後の終わらない日常はラストでちょろっと描かれるだけです。一方『美少女万華鏡』第3話は終末を迎えた後の終わらない日常から旧世界が批評されていて、旧世界と新世界の比重が『終ノ空』とは逆になっている。未来視点から現在を裁くのはSFの得意技ですから、第3話でSF寄りの世界観が採用されたのは良かったんじゃないですかね。
 

『美少女万華鏡』では有限の生を生きる者が愛によって永遠を獲得する様子が繰り返し描かれているのですが、有限の旧世界と永遠の新世界を描いた第3話はその発展形だと思いました。新世界の龍之介たちは物語が終わった後も永遠と言える程に終わらない日常を送りますが、その永遠の世界も万華鏡を覗く夏彦にとってはひとときの夢にすぎません。こうして第3話でも永遠の快楽の世界を万華鏡でひとときだけ覗き見る」という構図が維持されます。
 
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