かるあ学習帳

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仮面ライダーカブトED「FULL FORCE」が誘う力への意志の世界

結論から先に言おう。『仮面ライダーカブトエンディングテーマ「FULL FORCE」の歌詞には、ニーチェが語った力への意志の哲学が端的に要約されていると思う。FULL FORCE」を作詞した藤林聖子さんは、おそらくニーチェを意識しているのだろうと私は推測している。
 

本稿ではニーチェ哲学の「柱廊」であるツァラトゥストラと「本堂」である力への意志を引用しながら、「FULL FORCE」の歌詞を考察する。*1
 

ありふれた景色に 突然現れる
もう1人の自分 ゆっくり歩いて来る
戸惑う暇もなく 真昼の夢じゃなく
出会った瞬間に
悲劇なら始まってる
 
仮面ライダーカブトの敵は、「ワーム」と呼ばれる地球外生命体である。ワームは人間に擬態する能力を持っており、特定の個人のコピーとして地球内に潜伏できる。ありふれた日常の中で、自分や知り合いにそっくりな人間を見かけたら、そいつは高確率でワームなのだ。特定の誰かに擬態するワームとの悲劇的な死闘を引き受けること……それがライダーに課せられた宿命である。
 

ニーチェ(1844~1900)

 最も高い山に登る者は誰でも、全ての悲劇的な遊戯や悲劇的な真剣さを笑い飛ばす。
 勇気があり、むとんじゃくで、嘲笑的で、暴力的ー知恵はわれわれがそうあることを欲する。知恵は一人の女であって、常にただ戦士だけを愛するのだ。
(『ツァラトゥストラ』第一部七節「読むことと書くことについて」より抜粋)
 

君は唯一の 誰も代われない
特別な存在さ 迷わないで…戦う時
 
仮面ライダーカブト』の主人公は、自己中心的な完璧超人・天道総司である。しかし物語の後半には、天道のコピー人間である「擬態天道」が登場する。天道は仮面ライダーカブトに変身し、擬態天道はダークカブトに変身する。カブトVSダークカブト(天道VS擬態天道)の関係は、「ホンモノVSニセモノ」「光VS影」「太陽VS月」などのアナロジー(類比)で語れるだろう。
 

ダークカブト(擬態天道)はカブト(天道)にそこそこ善戦したが、最強主人公である天道に結局は敗北した。日蝕の時に月が太陽を覆っても、太陽から溢れ出る光を月は覆い尽くすことはできない。それと同じように、ダークカブト(擬態天道)がカブト(天道)を潰そうと思っても、天道から溢れ出る強さにはかなわなかった。
 
天道は太陽系における太陽のように唯一の特別な存在であり、彼の特権に、ニセモノの擬態は取って代わることはできないのだ。
 

 この新しい徳、それは力である。それは支配しようとする一つの意向であって、それを一つの賢い魂が取り巻いている。その魂は言わば一つの黄金の太陽であって、それを認識のヘビが取り巻いているのだ。
(『ツァラトゥストラ』第一部二十二節「贈与する徳について」より抜粋)
 

FULL FORCE 昨日より速く
走るのが条件
自分の限界いつも
抜き去って行くのさ
 
仮面ライダーカブトED「FULL FORCE」のサビには、「過程を加速させる」加速主義的な思想が反映されている。『カブト』の作中に登場するライダーには、クロックアップと呼ばれる加速装置が搭載されている。加速装置を使って過去の自分を超え、自己超克のプロセスをどこまでも続けていこう。人間は超克されるべき過渡的な存在者であり、人間は超人を目標とせねばならない。
 

 わたしはきみたちに超人を教える。人間は、超克されるべきところの、何ものかである。きみたちは、人間を超克するために、何をしたか?
 従来あらゆる存在者は自分を超え出る何ものかを創造した。ところがきみたちは、この大いなる上げ潮の引き潮であろうと欲するのか、そして、人間を超克するよりも、むしろ動物へと後退しようと欲するのか?
(『ツァラトゥストラ』第一部「ツァラトゥストラの序説」より抜粋)
 

FULL FORCE どんな時にでも
強さと言う自信
身体をあふれ出したら
総(すべ)てが力になる
 
私たちは宿敵を倒した時・過去の自分を乗り越えた時・自分の夢を叶えた時などに、「自分は強い」という自信を手に入れることができる。そして「自分は強い」という自信を手に入れた時、私たちは身体中に力が漲るのを感じ、世界が色付いて感じられるだろう。この世の全てを瑞々しい「力」として実感すること……それが強者に与えられる美酒である。
 

 喜びは、力の感情のあるところで現れる。
 幸福は、力と勝利で意気揚々とした意識のうちにある。
(『力への意志』一〇二三節より抜粋)
 この世界は力への意志であるーそしてそれ以外の何ものでもない!しかもまた君たち自身がこの力への意志でありーそしてそれ以外の何ものでもないのである!
(『力への意志』一〇六七節より抜粋)
 

見慣れた顔をした
罠が仕掛けられる
この街の裏側
語られることもなくて
風を切り裂く マシンはいつでも
終わらない闇の中 進んで行く…
戦うため
 
『カブト』の作中には、ZECT(ゼクト)と呼ばれる秘密結社が登場する。ZECTはワームを駆除しながら秘密裏に計画を進めており、ZECTの陰謀は公に知られることがない。また、主人公の天道は自己中心的な男であり、周囲の人間に真意を告げずに単独で敵と戦うことがしばしばあった『カブト』の物語の真相は、大衆には知られぬ舞台裏の物語にとどまった。
 
『カブト』の終盤では、天道が大勢の無知な大衆を敵に回しながら、ほぼ独断で陰謀に立ち向かった。天道は大衆に媚びを売り、大衆に好かれることを望むヒーローではない。凡庸な大衆ごときに、天道やZECTの思惑など、知る術は無いのである。
 

 大衆に対する高級な人間の宣戦布告こそ必要である!自分が主人になるために、あらゆるところで凡人たちが提携しあっている!柔弱にして、柔和にして、「民衆」を、あるいは「女々しいもの」を通用させる全てののものが、普通選挙に、言いかえれば低級な人間の支配に有利なようにはたらいている。
(『力への意志』八六一節より抜粋)
 
FULL FORCE 誰よりも速く
明日を見に行けば
自分の足跡だけが
残されて行くのさ
 
加速主義と縁の深いイーロン・マスクは、他人からの評価を気にしないことで知られている。重要なのは私が何をするかであって、将来、人々からどう思われるかではない」とマスクの旦那は語っている。一般大衆のはるか先を行っている人間は、誰よりも速く自分の足跡を残すことだけに集中していればいい。他人に褒められたり理解されたりすることを、人類には早すぎた英雄は望んだりはしない。
 

 功績を否認せよ。しかし、すべての賞讃を越えたこと、いや、すべての理解を越えたことをせよ。
(『力への意志』九一三節より)
 いかなる賞讃をも欲しないこと。私たちのすることは、自分に有用なものであるか、自分を満足させるものであるか、自分がしなければならないものであるかであるからである。
(『力への意志』九四六節より)
 

FULL FORCE どんな時にでも
強さを信じるなら
不可能なんてないはず
総(すべ)てを手に入れるさ
 
仮面ライダーカブト』は、誰よりも速く加速し、全てのヘゲモニー(覇権)を掌握する加速主義的なコンセプトで設計されている。仮面ライダーカブトハイパーフォームパーフェクトゼクター」という武器を使って、自分以外の3人のライダーの力を呼び寄せることができる。おそらくパーフェクトゼクターは、主人公・天道に多数のヘゲモニーを集中させるための装置なのであろう。
 

天道「俺は世界そのもの。世界が在る限り、俺は在る。」
 
【参考文献】
ニーチェ(吉沢伝三郎訳)『ツァラトゥストラ(上・下)』、ちくま学芸文庫、一九九三
ニーチェ(原佑訳)『権力への意志(上・下)』、ちくま学芸文庫、一九九三
・Nietzsche, Friedrich. (translated by Kaufmann, Walter.) 1954. Thus Spoke Zarathustra. London: Penguin Books
・Nietzsche, Friedrich. (translated by Kaufmann, and Hollingdale) 1968. The Will to Power. New York: Vintage Books
本稿のニーチェからの引用は、上記の和訳と英訳を併読して私=甘井カルアが訳しました。ちなみにワイはドイツ語を読めませんw

*1:ハイデガーの『ニーチェI』によれば、『力への意志』はニーチェの哲学的本堂であり、『ツァラトゥストラ』は柱廊にすぎないという。