私が目を通したところ、仮面ライダーカブトED「FULL FORCE」はニーチェの言う力への意志を表現した歌であり、 仮面ライダードライブOP「SURPRISE-DRIVE」 はニーチェの言う永遠回帰を表現した歌であるように思える。「 FULL FORCE」と「SURPRISE-DRIVE」 を作曲したのは両方とも藤林聖子さんで、 おそらく彼女はニーチェに詳しい人なのだろう。 そして藤林さんは仮面ライダーという媒体を利用して、 ニーチェ哲学の核心を端的に要約しているように私には思えるので ある。
マルティン・ハイデガーは『ニーチェI』で、 力への意志と永遠回帰の関係性を立証した。ハイデガーによれば、 力への意志は「存在する者の体制」であり、永遠回帰は「 存在する者の存在様相」である。 つまりハイデガーの知見を借りると、「 この世に存在する全てのものは力であり、 全てのものは円環のようにグルグル回転しているんだよ」 というのがニーチェ哲学の大まかな骨子だと言える。
雨上がりBreak Cloud 隙間から
青空が手招きしてるAlright そろそろ行こうか誰かが言う Logic 信じない直感は信じていたいHigh Time 始まりを探して
「始まりを探して」という歌詞から推測できるように、「 SURPRISE-DRIVE」では、 現在から始源に回帰する円環時間が採用されている。 始まりから現在、現在から終わりに向かう直線時間は、「 SURPRISE-DRIVE」では採用されていない。 直感に導かれるがままに、 私たちは円環を描いて始まりへとドライブしていくのである。
フリードリヒ・ニーチェ(1844~1900)
見よ、この瞬間を!瞬間という名のこの通用門から、 一本の長い永遠の小道が後方へ繋がっている。私たちの背後には、 一つの永遠が横たわっているのだ。
一切の通過しうるものは以前に、 この小道を通過したことがあるにちがいないのではないか? 一切の起こりうるものはこれまでに、起こり、作用し、 通り過ぎたにちがいないのではないか?
(中略)
ーそして、回帰し、私たちの前方の、外へ通じるあの別の小道を、 この長いぞっとするほど恐ろしい小道を通り、ーかくして、 私たちは永遠に回帰するにちがいないのではないか?
(『ツァラトゥストラ』第三部二節「幻影と謎について」 より抜粋)
Fire Up, Ignitionヘヴィーなプレッシャー ぶっ壊してアクセル踏み込め
上述の歌詞では、重力(ヘヴィーなプレッシャー) に抵抗して過程を加速させる、 加速主義的な思想が表現されている。ニーチェの哲学では、 自己超克の意志の足を引っ張る抵抗力が「重力の精」 と呼ばれている。一方『ドライブ』の作中では「どんより」 と呼ばれる重加速現象が発生し、 その際に発生する重圧に対抗するために仮面ライダーが加速して戦 う。ドライブOPでは、ニーチェの言う「重力の精」 が文字通り物理的・ 精神的なプレッシャーとして表現されているのだ。
そして何より、私が重力の精の敵であるということ、 これは鳥の性だ。そしてまことに私は、重力の精の不倶戴天の敵、 最大の敵、宿敵だ!おお、 私の敵意がすでに飛んで行かなかった所、 飛び迷わなかった所がどこにあろうか!
(『ツァラトゥストラ』第三部十一節「重力の精について」 より抜粋)
Surprise 世界中がDrive (It's faster than ever)Feelin' high 目醒めるような (Drivin' Show me)始まる 運命には(keep chasin' forever)バックギアはないAll we need is "DRIVE"
「SURPRISE-DRIVE」のサビでは、「 世界中がドライブしている」ことが表現されている。 この表現はおそらく、「 世界中の万物がグルグルと円環を描きながら運動(運転) している」ことを意味しているのだろう。
エネルギー保存の法則は永遠回帰を要請する。
(『力への意志』第一〇六三節より抜粋)
さらに永遠回帰における万物は円環を描いて始源へと運動しており、 その運動は一方通行である。 万物は現在から前向きに未来に向かい、始源へと回帰する。万物が 現在から過去に後ろ向きにバックし、 始源へと後退することはない。
時間が逆行しないこと、それが意志の憤怒である。《 あったところのもの》 ーそれが意志が動かすことのできない石の名である。
そこで意志は、憤怒と不満に駆られて、もろもろの石を動かし、 自分と同じように憤怒と不満を感じないあらゆるものに対して、 復讐を行う。
(『ツァラトゥストラ』第二部二〇節「罪のあがないについて」 より抜粋)
いつだってそうさ 目を伏せて傍観者気取っていればAlright 後悔もないね言い訳みたいな 「でも」「だって」「だけど」吐き捨てた道は行き止まりRight Time 出口はすぐそこにShift Up, Goin' High追い越されてばかり 飽きるでしょ?突き抜けろ Winding Road
「SURPRISE-DRIVE」二番では、 言い訳をして先に進まない傍観者が批判されている。 ニーチェの哲学では、 怠惰な人間を乗り越えて進む強靱な意志の持ち主が「超人」 と呼ばれている。「超人」の対極にある存在は、「末人( 最後の人間)」である。末人は向上心を捨て、努力せず、 グダグダしながら無駄に長く生きる連中である。
見よ!私は君たちに最後の人間を示そう。
「愛とは何か?創造とは何か?憧れとは何か?星とは何か?」 最後の人間はそのように尋ねて、まばたきする。
大地は小さくなっていて、その上を、 全てのものを小さくする最後の人間が跳びはねる。 彼の種族はノミトビヨロイムシのように根絶しがたい。 最後の人間は最も長く生きる。
(『ツァラトゥストラ』序説より抜粋)
Surprise 今 時代がDrive! (It's faster than ever)Feelin' high 声 聞える (Drivin' Show me)止まりかけた心 (keep chasin' forever)トップギア回せAll we need is "DRIVE"Ah 瞬きしてたらチャンスも 見失うタフな運命でもBaby Kick on Drive
「SURPRISE-DRIVE」では、「 瞬きしてたらチャンスも見失う」と歌われている。 この歌詞はおそらく、「『愛とは何か?創造とは何か? 憧れとは何か?星とは何か?』最後の人間はそのように尋ねて、 まばたきする。」という、『ツァラトゥストラ』 の序説を意識していると考えられる。
「SURPRISE-DRIVE」 の歌詞の内容はニーチェの永遠回帰思想に似すぎているし、「 まばたき」という言葉は『ツァラトゥストラ』 からの引用だとしか思えない。作詞家・ 藤林聖子さんは仮面ライダー『カブト』『ドライブ』 の歌詞にニーチェ思想を巧みに織り交ぜていると私は思う。 そして「SURPRISE-DRIVE」は、「 時間と空間の永遠回帰」と「末人の批判」 を表現した主題歌だったのだ。
また、仮面ライダードライブは車を運転するヒーローであり、 ドライブの体には車輪が接続されている。そしてドライブは、 車輪を交換することによって能力を変更できる。 これはもしかしたら、 ニーチェが永遠に循環する世界を車輪に喩えたことを意識した設定 なのかもしれない。
万物は行き、万物は帰って来る。永遠は存在の車輪を回転させる。 万物は死滅し、万物は再び開花する。 永遠は存在の時代を経過させる。
(『ツァラトゥストラ』第三部一三節「回復しつつある者」 より抜粋)
【参考文献】
・Nietzsche, Friedrich. (translated by Kaufmann, Walter.) 1954. Thus Spoke Zarathustra. London: Penguin Books
・Nietzsche, Friedrich. (translated by Kaufmann, Walter.) 1968. The Will to Power. New York: Vintage Books
本稿のニーチェからの引用は、上記の和訳と英訳を併読して私= 甘井カルアが訳しました。ちなみにワイはドイツ語を読めませんw