かるあ学習帳

この学習帳は永遠に未完成です

『仮面ライダードライブ』の魅力を超デッドヒートで語ります。

私は、仮面ライダードライブ』が大好きである。だから私はこれから、『ドライブ』の魅力を気の向くままに超デッドヒートで語りたいと思う。
 
みんな、ひとっ走り付き合えよ!!
 

なぜ序盤の段階でルー大柴を抜擢してしまったのか

仮面ライダードライブ』は、人気イケメン俳優・竹内涼真出世作である。初期の竹内涼真の初々しい演技を拝みたいから」という理由で、『ドライブ』を視聴する人は多いだろうと思う。
 

しかし『ドライブ』は、第3・4話に出演するルー大柴の演技力が凄い。ルー大柴は第3・4話で、ペイントロイミュードという悪の怪人役として登場する。ルー大柴は幹部でもラスボスでもない普通の怪人の役なのだが、彼の存在感は凄すぎる。あまりにもルー大柴の存在感が濃すぎたので、他のキャストが霞んで見えるレベルであった。
 
ルー大柴が演じるペイントロイミュードは、普段は前衛芸術家に成りすまして生活を営んでいる。彼のアトリエで怪奇現象が発生したという口コミを受けて、警察はアトリエの捜査を始める。しかしヒロインの警察官・詩島霧子が警察手帳を出した瞬間、なんとペイントロイミュードニヤニヤしながら霧子の身体をさすり始めるのである!
 

はあああーーー!!?一体何やねんコイツwww俺たちの霧子ちゃんの身体を気安くさするなあああああああああああ!!!!!
 
そして極め付けは、第4話の終盤でペイントロイミュードが霧子に言ったセリフである。あまりにもゲスの極みのような発言に、私は唖然とするばかりであった。
 

ペイントロイミュードこの半年間、あの時の君の恐怖の表情を超える女は、一人も現れなかったからねえ!ハハハハハハ!!
霧子(……絶句
ペイントロイミュードハハハハハハ!ハハハハハハハ!!君の前では、この倉庫の中の絵の女たちも、霞んで見えるよ!
 
…一体どぉなっちゃってんだよ、この『仮面ライダードライブ』とかいう子供向け特撮番組()……。序盤ですぐに倒される怪人役にルー大柴みたいな名優を抜擢してしまったら、後続の若手俳優がやりにくいやろ。実際『ドライブ』ルー大柴インパクトが強烈すぎて、私の心中では大半をルー大柴に持って行かれたと言って過言ではない。
 

主人公の設定に隠された秘密とはなにか

それでは気を取り直して、竹内涼真が演じる主人公・泊進之介(とまりしんのすけと、進之介が変身する仮面ライダードライブについて考察する。仮面ライダードライブは、バイクに乗らずに車を運転する珍しい仮面ライダーである。さらに興味深いことに、主人公・進之介本人も車のように止まったり進んだりする」性格に設定されている。
 

進之介は、警視庁特状課の刑事である。彼は普段かなりグダグダしてサボりがちで、「乗り切れない」「倦怠感でエンジンが止まる」などと語っている。しかし彼の脳細胞のトップギアが回転すると、彼は物凄い勢いで推理や捜査を進める。「泊進之介」という名の通り、主人公の性格が「車のように止まったり進んだりする」ところが良く出来ている。
 

『ドライブ』の批評的に面白い所は、進之介の勤務する警視庁や国家防衛局のような国家権力の様子が濃密に描かれている所であろう。宇野常寛が2011年に世に送り出した特撮評論書『リトル・ピープルの時代』には、仮面ライダーは非政治的・脱政治的な作品だ」ということが書いてある。この主張は元々信憑性がかなり怪しかったのだが、今では『ドライブ』を例に挙げれば簡単に論破できる。
 
『ドライブ』では警察や参議院議員による国家権力が描かれているし、後続作品の『エグゼイド』には衛生省という架空の省庁が登場した。さらに『ビルド』では戦争による国家暴力がテーマになり、政治的な戦略性のあるストーリーが展開された。そもそも平成初期の作品であるクウガ『アギト』も、ストーリーが刑事ドラマに非常に近かった。したがって「仮面ライダーはリトル・ピープル(言わば非政治的・脱政治的存在)だ」という宇野さんの説は、もはや説得力がほぼ皆無だと言ってよいだろう。
 

グローバルフリーズという設定に必然性はあるのか

『ドライブ』の冒頭では、「グローバルフリーズ」と呼ばれる災厄が世界中に訪れる。グローバルフリーズというのは、重加速により世界中の物体の移動速度が停滞する現象である。また、グローバルフリーズの首謀者であるフリーズロイミュードは、冷気を使った氷属性の攻撃をすることができる。しかし仮面ライダードライブは、重加速が発生して停滞した空間でも加速して動くことができる。
 

「グローバルフリーズ」の興味深い所は、今日の人類を悩ませている「グローバルウォーミング(地球温暖化)」の逆方向を志向している所である。今現在、地球上では環境破壊が加速しており、地球上の気温が上昇している。『ドライブ』の冒頭では「減速」と「凍結」が人類を悩ませているのだが、現実の人類は「加速」と「温暖化」に悩んでいる。『ドライブ』は一体なぜ、こんな真逆の設定を採用したのだろうか?
 
答えは簡単である。おそらく世界を「減速」させ「凍結」させれば、「車によって加速する」ことを簡単に正当化できるからであろう。現実の地球上では、車などから排出される排気ガスが地球の温暖化を加速させている。*1世界が「加速」し「温暖化」しているのならば、そこで車を運転するのは火に油を注ぐような行為である。しかし世界が「減速」し「凍結」しているのならば、車で加速するのは歓迎されうる。
 

仮面ライダードライブはやたら車を運転するヒーローなので、ドライブの行為を正当化するための土台として「グローバルフリーズ」が用意されているのだろうと私は推測している。車にとって、「凍結」は天敵だしな。
 

なぜ宗教をほのめかす設定がちりばめられているのか

最後に一つ、私が気になったことを書き残しておきたい。ドライブ』の作中には、何となく宗教を連想させる設定が多い。
 

例えば進之介の課長は、本願寺純という名前である。そして『ドライブ』の後半では、仁良光秀というクズ上司が特状課に籠城する。本願寺というのはお寺の名前だし、「光秀」と「籠城」という言葉の組み合わせは本能寺の変を思い起こさせる。また、進之介の誕生日は12月24日のクリスマスであり、特状課の職場には神棚が飾られている。
 
考えすぎかもしれないが、『ドライブ』は仏教やキリスト教神道のような宗教と何か関係がある作品なのだろうか?ドライブ』の次回作である『ゴースト』の主人公・天空寺タケルはお寺の跡取りであり、『ゴースト』はあからさまにお寺と関係がある。『ドライブ』と宗教、『ドライブ』と『ゴースト』とお寺の関係はどうなっているのだろうか。誰か(特に宗教に詳しい人)、良かったら俺の代わりに考察してくれ!
 
次は君の番だ! Start your engine!!

*1:最近は電気自動車の研究が進んでいるが、『ドライブ』は2014年に放送された作品だということを考慮して欲しい。