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【社会学】『自由からの逃走』の要約

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『自由からの逃走』
エーリッヒ・フロム(日高六郎訳)
1951年初版発行
 

社会学者の日高六郎先生が、6月7日に老衰でお亡くなりになりました。

日高先生の代表的な業績といえば、エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』の翻訳でしょう。
当ブログでは日高先生に哀悼の意を表し、日高先生の業績を読者の皆様に知っていただくために、日高先生が訳された『自由からの逃走』の要約を掲示させていただきます。
日高先生のご冥福をお祈りします。
 
『自由からの逃走』の要約は以下の通りです。
 
フロムは「序文」で、近代人は前個人的社会の絆から自由になったと述べます。近代人は自由の重荷からのがれて新しい依存と従属を求めるか、あるいは人間の独自性と個性にもとづいた積極的な自由の完全な実現に進むかの二者択一に迫られるそうです。

第一章は「自由ー心理学的問題か?」です。ファシズムが国民を魅惑した方法を理解するためには、われわれは心理的要素の役割を認めざるをえないとフロムは考えます。

第二章は「個人の解放と自由の多義性」です。個性化の過程において、個人が完全に解放される以前に存在する一連の絆を「第一次的絆」とフロムは呼びます。子どもが成長し、第一次的絆が次第にたちきられるにつれて、自由を欲し独立を求める気持が生まれてきます。子どもは個性化が進むにつれて強くなっていく一方、孤独が増大していきます。孤独な子どもは、権威への服従か自発的行動かの二者択一を迫られます。

第三章は「宗教改革時代の自由」です。中世社会の人間はまだ第一次的絆によって世界と結ばれていましたが、ルネッサンスの時代になると貴族とブルジョアは自由と孤独を得ます。ルッター主義とカルヴィニズムは、都市の中産階級や貧困階級、また農民にいきわたっていた無力と不安の感情とともに、自由と独立の新しい感情をも表現していました。

第四章は「近代人における自由の二面性」です。近代社会の機構は、同時に二つの仕方で人間に影響をあたえています。その二つの仕方というのは、人間はよりいっそう独立的・自律的・批判的になったことと、よりいっそう孤立した・孤独な・恐怖にみちたものになったことです。資本主義社会がもたらした孤独と無力の感情は、気晴らしをする一般の普通人にはおおいかくされています。

第五章は「逃避のメカニズム」です。マゾヒズム的な人間は劣等感・無力感・個人の無意味さの感情にとりつかれており、外側の権力によりかかろうとします。サディズム的人間は孤独感と無力感から逃れるために、他者を支配しようとします。サド・マゾヒズム的性格のうち、ことに神経症的ではなくて正常な人間をさすばあい、フロムは「権威主義的性格」と呼びます。権威主義的性格の人間は権威をたたえ服従しようとする一方、みずから権威となって他のものを服従させたいと願います。サディズムマゾヒズムの根底には対象との共棲がみられますが、破壊性は対象を除去しようとします。破壊性もまた、たえがたい個人の無力感や孤独感にもとづいています。孤独や無力を克服するために個人が自分自身であることをやめることを、フロムは「機械的画一性」と呼びます。近代社会において自動機械となった人々は、安定をもたらしてくれるような権威に、たやすく従属しようとします。

第六章は「ナチズムの心理」です。労働者階級や自由主義的およびカトリック的なブルジョアジーの消極的なあきらめの態度と対照的に、ナチのイデオロギーは下層中産階級によって熱烈に歓迎されました。ヒットラーのパースナリティ、かれの教説およびナチの組織は権威主義的な性格構造の極端な形態を表現しており、ヒットラーと同じような性格構造を持った民衆に強く訴えました。ヒットラーは大衆をサディズム的方法で軽蔑し愛し、神・運命・必然・歴史・自然にマゾヒズム的に服従しました。

第七章は「自由とデモクラシー」です。われわれの社会では、感情や思考、意志的行為における独創性が欠如しているとフロムは考えます。自発的な活動は、人間が自我の統一を犠牲にすることなしに、孤独の恐怖を克服する一つの道です。人間が社会を支配し、経済機構を人間の幸福の目的に従属させるときにのみ、また人間が積極的に社会過程に参加するときにのみ、人間は現在かれを絶望ー孤独と無力感ーにかりたてているものを克服することができると、フロムは結論づけています。