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【考察】エロゲーの主人公にはなぜ「目」がないのか?

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今回は、エロゲーの主人公にはなぜ「目」がないのかを考察しますw

いや、目がないと言いきってしまうのはよくないかもしれませんね。
作品によっては、主人公にちゃんと目がある作品もありますからね。
それにしても、エロゲーの主人公は、エロくないゲームの主人公と比べて、目がないことが多いと思います。
そこで、その理由を考えてみたいと思います。
 

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今月末に発売されるKAIのエロゲー『青い空のカミュ』には、ゾンビのような「なにか」が登場します。
「なにか」は、燐や蛍を捕まえて犯そうとします。
「なにか」には、よくあるエロゲーの主人公と同じように、目がありません。
 

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『青い空のカミュ』体験版では、「なにか」に目がない理由がちゃんと説明されています。
オオモト様「そうね……その人が外からどう見られているか。あなたが初めての人と会ったとき、最初に見るのはどこかしら?」
蛍「うーん、やっぱり……顔、です」
オオモト様「その顔を失う、ということは今まで表面で認識されていたものを失ったってことでしょうね」
オオモト様「その人が持っていた考え方や、経験して積み上げた道徳など……そういったものが消えてしまった」
オオモト様「代わりに……ではないわね。残っているのは欲望。それが、皮膚の亀裂からのぞいている状態なのでしょうね」
 
また、『青い空のカミュ』公式サイトのコラムでは、〆鯖コハダさんはこうおっしゃっています。
燐や蛍をつけ狙い、彼女達を襲う異形の怪物は全て目が無く人としての顔がありません。一方で醜く歪んだ口が何かを訴えるように開いています。それぞれ、異形の怪物となり果てる過程で人間的な部分が溶け落ち、その一方でもっとも人間的な部分が露出している、そんなイメージでデザインしております。
 
要するに、『青い空のカミュ』に出てくる「なにか」は
「目がないので考えを顔から判断されることがなく、性行為に使う口や性器は露出する、欲望の主体である」
というわけですね。
 
この定義は、目がないエロゲーの主人公にそのまま当てはまるのではないでしょうか?
エロゲーの主人公には目がないので、エロゲーの主人公の顔から考えを読み取ることはできません。
一方、目がない主人公に犯されている女には大抵の場合目があるので、女のほうの考えは顔からちゃんと読み取れるようになっている。
男のほうは顔から考えを読み取られることはないけれど、男に犯されている女のほうは顔から考えを読み取られる…という非対称な関係があるわけですね。
目がない男に目がある女が犯されている絵を鑑賞することには、「男のほうは表面から認識されることがなく、女のほうだけを認識するのに専念する楽しみ」、いわば覗きや盗撮の「自分は見られずに相手を見る楽しみ」に近い愉悦があると私は考えております。
だから、エロゲーの主人公には、多くの場合、目がないのではないでしょうか?
あくまでも仮説ですが。
 
おそらく、大抵のエロ絵師さんは、「男に目がないほうがなんか抜けるから」というような感覚的な理由で、男の顔に目を描かないんじゃないかなw
〆鯖コハダさんのすごいところは、ちゃんとした理論を構築した上で、女を犯す「なにか」から目を取り除いたところだと思います。
 

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また、話が長くなるので少しだけお話ししますが、内田樹さんの素晴らしいカミュ論「ためらいの倫理学」では、相手の「顔」や「まなざし」を見ると相手に対する「ためらい」が生じるということが書いてありますね。
もしかしてコハダさん、カミュの著作だけじゃなくて内田さんのカミュ論も読んでるんですかねえ…?(震え声)*1
だったらすごすぎだろwww

*1:コハダさんが内田さんと同じようにレヴィナス哲学書を読んでいる、という可能性もありますね。その可能性のほうが高いかもしれない(笑)。